大和が学校へ向かうのと同じように、黒いもやが町のあちこちからあふれ出て、学校へと流れていっていた。
どこか胸がざわめき、嫌な予感がする。言いようのない感覚に包まれながらも、大和は走る。学校が近づく度に、急がなくてはならないと焦燥感に駆られた。
(なんなんだ……よくわからないけど、この感じ、どこかで……)
その時大和の脳裏に浮かんだのは、十年前のおぼろげな記憶。突然として現れた、見上げるほど大きな武者鎧のおばけ。そして、それに立ち向かう名も知らぬヒーローの後ろ姿。
それらを思い浮かべると、途端に足元から血が抜けていく感覚に襲われた。
「うっ……」
立ち止まると、学校へ向かう黒いもやが足に触れる感覚がする。なんとも言い難い不快感に見舞われながらも、大和は自身の頬を両手で力強く挟んだ。
「……ビビってんじゃねえ! ヒーローは恐れない!」
そうして自分を鼓舞し、再び走り出す。今度は立ち止まらずに学校へ着くことができたのだが、校門は当然のように閉まっていた。
「まあ、だよなあ……」
どうするべきかと後頭部を掻きながら考えていると、視界の端でなにかが動くのが見えた。
「うわあっ⁉」
思わず大きな声を上げると、動いたなにかが近づいてきた。それはよくよく見れば男性であり、服装を見るとこの学校の用務員のようだった。
「あ、えっと……」
学校の関係者と会うとは思っておらず、言い訳を用意していない大和は、誰から見てもわかるほどに狼狽えていた。そもそも夜中に用務員が残っているのも変な話なのだが、今の大和はそんなことを考える余裕はない。
「……こんな時間に、何の用?」
至極当然のことを聞かれ、大和はさらに狼狽えた。
「えっと、そう……っすよね! 変ですよね!」
「そうだね。用事がないなら、早く帰りなさい」
「用事ならあります!」
思わず言ってしまった言葉に、用務員の男はぽかんと口を開けた。言ってしまったのなら、最後まで言ってしまえと、大和は続ける。
「誰かはわからないけど、呼ばれたんです! ここに来いって!」
次に用務員の男は、目を丸くさせた。さすがに言わなくてよかっただろうかと、大和を凝視する男の様子を伺っていると、そっと唇が動く。
「そうか……君が……」
首を傾げていると、男は校門を開け始める。いいのかと視線を向けるも、男の視線は学校の屋上へと向いていた。
「すぐに屋上に向かってくれないかな。君の力が……おそらく必要なんだ」
校門前に立つ街灯のせいか、用務員の男の目は、刃を光に当てた時のような輝きをしていた。その鋭さに一瞬怯むも、大和は男の言葉に力強く頷いた。
「任せといてください!」
用務員の男は大和を見て、ようやく表情を和らげた。
恐る恐る学校の敷地内へと足を踏み入れると、背中を押すように風が吹いた。その風が行く先は、屋上。
「それじゃあ頼んだよ」
男の言葉を背に走り出し、上履きを履くことなく大和は駆けていった。
(……屋上に、いったいなにがあるっていうんだ?)
屋上へ向かえば向かうほど、高揚感は増していく。同時に、学校内に漂う不気味な雰囲気も増していった。黒いもやは、相変わらず大和の足元をすり抜けて、どこかへと向かっていく。
ふとその先を見てみれば、屋上へ続く扉が薄く開いていた。
「おらあああ! たのもー!」
勢いのままに扉を開いた大和の目に飛び込んできたのは、黒いもやの塊と、隣の席のクラスメイト、
「えっ……た、武⁉」
「おま……なんでこんなところに⁉ しかも、こんな時に……!」
武の表情が困惑から怒りへと変わったところで、黒いもやは地面に置かれた何かに吸い込まれていった。凄まじい風が巻き起こり、大和は目を庇いながらもやの行く先を見る。
「あれは……勾玉……?」
地面に置かれているのは、色もなにもついていない、透明な勾玉だった。そこへもやは吸い込まれていき、だんだんと勾玉は黒く染まっていく。
「とにかく、お前は邪魔だ! さっさと家に帰れ!」
目の前の現実離れした光景に目を奪われていた大和だったが、武の言葉で我に返る。
「いや、帰らねえよ! ここに来いって言われたんだ!」
「はあ⁉ 誰に!」
「わかんねえけど……でも、そう言ったら下にいた用務員さんは通してくれたぞ!」
「はあ……? 大友さん、なにを考えて……」
武がそう呟いたその瞬間、勾玉に吸い込まれていた黒いもやの動きが止まった。全てが勾玉に吸い込まれたのか、外から流れ込んでくるもやはなかった。
風も収まったかと警戒を解くと、突然として黒いもやが勾玉から飛び出し、大和へと伸びていく。
「うおおおおっ⁉」
「避けろ!」
武の声により、大和はすぐ横へ転がって回避することができた。黒いもやは、大和が入ってきた屋上の扉を殴りつけるようにぶつかり、その形を歪めてしまった。
「た、ただのもやなのに……って、うわあっ⁉」
黒いもやは諦めていないのか、大和に対し圧し潰すように襲い掛かってきた。ゴロゴロと転がって黒いもやを避け、大和は広い屋上を走る。それに対し、もやはさらに伸びて大和を追いかけた。
「なんで俺ばっかり追いかけるんだよー!」
「いつもと違う反応だ……あんな意思を持っているかのような、動きをするだなんて……」
大和を追いかける黒いもやを見て、武は驚きを隠せないようだった
しかし、大和が騒いでいる声を聞いて、一度深呼吸をする。
「なんにせよ……僕が倒さなくちゃいけないことに、変わりはない」
武は、眼鏡を外して丁寧に畳んで懐にしまうと、手首につけた数珠に連なる黄色の勾玉に触れた。そして、短く息を吸った。
「轟け、剛力!」
武がそう叫んだ瞬間、黄色の勾玉は輝きだした。
屋上は溢れんばかりの光に包まれ、大和は思わず足を止めた。黒いもやも動きを止め、武の方へと向きを変える。
「な、なんだ……武から、すごい光が……」
溢れた輝きはだんだん落ち着いていき、武の身体を包み込んでいく。
ほのかに黄金を纏った光が消えると、そこには獣の毛皮に身を包み、大きな斧を構えた武が立っていた。その横には、小柄な馬のポニーほどの大きさがある光の熊が控えている。
「す……すっげえー……!」
まさしく身体が変わった武のその姿は、ヒーロー。大和の顔が綻んでいくも、武は険しい表情を崩さない。
斧を構えて腰を深く落とした武は、ギリ、と唇を引きながら言う。
「我が身に宿れ……キンタロウ!」