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第30話:Next Era

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江麻寺は左足で、力強く地面を蹴った。

浮き上がった彼の体は、ポールの湾曲のペースに合わせて足が高く振り上げられ、そのバーの上に到達した。


胴体部分を越え、江麻寺の体が完全にポールから離脱すると、まるで時間が止まったかのように彼の体はバーの上に浮き上がっている。


そこからは打って変わって、一瞬の出来事であった。


バーは微動だにせず、江麻寺の体は強くマットに打ち付けられた。

その反動のまま、江麻寺はマットの上に立ち上がると、バーが残っている事を確認して静かに右拳を掲げた。



観客席が呆気に取られる中、審判員は白旗を勢いよく振り上げる。


その瞬間に大歓声が響き渡った。

この状況下で、1回で、しかも出発前に宣言した通りに、見事に決めてしまった彼のパフォーマンスは、これまでの歴史の中でも上位になお連ねるであろう圧巻なものであった。



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「…何あれ…凄すぎでしょ…。」


巴月はただでさえ大きな目を更に大きく開きながら、江麻寺の姿を呆然と見ていた。


若越もまた、巴月程驚いてはいないもののその圧巻のパフォーマンスに目を奪われていた。

その名はもちろん知っていたものの、実際の"本気"のパフォーマンスを目の当たりにするのは初めてだっただけに、名声だけではない江麻寺の強さを改めて感じていた。



この大舞台で、大事な場面で確実に成功を収める。

それは若越自身かつて父親に感じていた偉大さそのものであった。

それ故に江麻寺にもまた、若越は偉大さを痛感する。




その圧倒的パフォーマンスを前に、プレッシャーを更に強いられたのか、桐暮、志木は3回目まで5m30cmの高さを成功する事なく試技を終えた。


宙一もまた、大きなプレッシャーを感じていた上に、自己ベストを大きく上回る高さに、3回目の試技まで縺れていた。


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迎える宙一の5m30cmの試技、3回目。


(…この土壇場で5m10越えられたんだ…。まだまだ行ける…っ!)


宙一はプレッシャーを感じながらも、アドレナリンに後押しされながら必死に自分自身を鼓舞していた。


宙一が成功すれば、次は5m35cmの試技で江麻寺と直接優勝を賭けて争う事となる。

宙一が失敗すると、試技差によりその時点で江麻寺の優勝と宙一の4位が決まる。


心臓が押し潰されてしまいそうな、今にも逃げ出したくなるような重圧の中、宙一は比較的冷静を保っている。



(…桐と志木に勝つには、俺はもう行くしかない。

その先、江麻寺さんに勝てるかも分からないが…そんな事はいい。少しでも上に…。)


宙一の目標はより上位での結果を収める事。

彼の目標達成まで、本当にあと僅か1歩に迫っていた。

但し、その1歩が限りなく絶妙に届かない位置にいる。


(…何故だろうな。江麻寺さんっていう大きな壁を目の前にして尚、ワクワクした感情が収まらねぇ…。

本格的に棒高跳びをやるようになって約4年。漸くここまでやって来れたんだ。

…勝っても負けても関係ねぇ。楽しんだもん勝ちだっ!!!)


宙一は意を決して助走路に足を踏み入れた。

その表情に一切の曇りはない。獲物を仕留める寸前の豹のような鋭い目つきで、宙一は自らの行く先を見つめた。


吹き流しは追い風を示している。

いつ出発しても申し分ないコンディションではあったが、宙一の心だけが未だ準備段階であった。

両手はしっかりとポールを握りしめているも、その先端はまだしっかり地面に着いていた。


決定的な出発の気持ちに欠ける。

その時であった。


「「「「高薙ぃぃ!高薙ぃぃ!!」」」」


観客席から響き渡る"高薙"コール。そしてそれに合わせた手拍子が、どうらや継聖学院メンバーから発せられているようであった。


徐々に大きくなる手拍子に、自然と他の観客たちも合わせて手拍子を行った。

そして"高薙"コールも大きくなっていく。どうやら他校の観客も合わせてエールを送っているようであった。


「高薙ぃぃぃ!!!高薙ぃぃぃ!!!」


若越や伍代、桃木や巴月もそのコールに合わせてエールを送った。

気づけばバックストレート側の観客席は、大きな"高薙"コールと手拍子に包まれていた。



宙一はハッとして観客席を見渡した。

大勢の全国各地から集まった観客たちが、一斉に自分に向けてエールを送っている。

目頭が熱くなる感覚がしたが、零れ落ちそうな感情を抑えながら宙一は真っ直ぐ目の前に視線を移した。


(…ここで行かなきゃ、漢じゃねぇ…っ!)


宙一はポールの先を天高く振り上げた。


「…行きまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっすっ!!!!!!!!」


「「「「「「「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!!!!!!!」」」」」」」」


宙一の大きな意思表示に、観客席からも大きな返事が送られた。


その合図を機に、宙一は走り始めた。

背中を押す追い風。体で感じる以上に、宙一は背中に大きな後押しを感じながら助走路を駆け抜けた。


踏み切った左足が、地面を強く蹴る音が見ているものにも分かる程に聞こえてくる。

素早く上下反転した体は、バーの上目掛けて伸び上がっていった。


真っ直ぐ1本の木のように、ボックスから足先まで一文字になっている宙一。

高さは十分申し分ない。

後はバーに触れずに越えるだけであった。



しかし、そう簡単には物語は進まなかった。



胴体から右腕にかけて、しっかりとバーに接触してしまった。

バーの奥に体が越えたときには、既にバーは大きく上空に跳ね上がって支柱から離れてしまっていた。


宙一の体が、勢いよくマットに打ち付けられる。

その足元に、バーが落下して軽い音が響き渡っていた。


審判員は少し残念そうに赤旗を振り上げた。


マットに寝そべっている宙一の視界の先には、青く広がる雲一つ無い空だけが広がっていた。


(…あぁ、悔しいなぁ…。だけど何だろ…清々しい。

…もう一度、味わいてぇ…この感じ…。)


そんなことを考えながら、宙一はマットの上に立ち上がると、観客席に向かってエールに対する礼を示すために深くお辞儀をした。

観客席からは割れんばかりの大きな拍手が彼に送られた。

心做しか、江麻寺が5m30cmを成功したときよりも大きな、大きな拍手であった…。


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1.江麻寺 美鶴 九皇院第一 5m30cm

2.桐暮 那津葉 九皇院第一 5m10cm

3.志木 聖   九皇院第一 5m10cm(2)


インターハイ全国大会、男子棒高跳び決勝。

上位を九皇院第一が独占する形で、今大会は締め括られた。


江麻寺は5m30cmクリアの後、高校生記録である5m50cmの更新の為5m51cmに挑むも失敗。

大きな結果とはならなかったものの、ハイレベルな戦いが繰り広げられていたことは間違いなかった。


それは、今回決勝に進むことが出来なかった伍代や、それ以前に敗退していった者たちにとっても大きな影響を及ぼしていることは間違いなかった。


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インターハイが終わると、夏休みが本格的にスタートした。

その最初の部活動で、改めて短距離ブロックの3年生が引退表明を行った。

長距離ブロックと橋本マネージャーは、冬の駅伝大会まで部に残留する。


羽瀬高陸上部は学校のグラウンドに集合すると、部長を務めた室井が全員を木陰に誘導した。


「…本日をもって、改めて俺たち3年生は部を引退する。

引き続き、競技を続ける者もいると思うが、中にはここで競技を引退する者もいるだろう。

3年生は、後輩たちに向けてメッセージを伝えてくれ。」


室井が全員の前でそう言うと、3年生を皆の前に集めた。

後輩部員たちは座って3年生たちの姿を見上げた。

夏の照りつける日差しも相まって、その姿は後輩たちの目に輝いて映っている。


まずは、女子部員のリーダー的存在であった諸橋が3年生が並ぶところから一歩前に出て話し始めた。


諸橋 美来もろはし みくです。

改めて、3年生のみんな。2年半お疲れ様でした。

室くんやつーちゃんが素晴らし成果を残していってくれた中、私はみんなに残してあげられたものはもしかしたら何も無いかもしれないけど…彩ちゃんや杏ちゃんといった後輩ちゃんたち女子部員が残ってくれたこと、後輩たちが活躍してくれていることが、今後の羽瀬高陸上部のさらなる発展に繋がると思います。

今後も、選手は引退しますが皆さんの更なる活躍をOGとして応援しています。」


諸橋がそう言って一礼すると、一同は拍手を送った。

続けて、紡井が一歩前に出て話し始める。


紡井 柚穂つむい ゆずほです。

美来が言ってくれた通り、私も羽瀬高陸上部の更なる発展に期待しています。

2年生たちはもちろん、1年生のこれからの活躍も大いに期待しています。

頑張ってください。」


その後、倉敷、泊麻が同じように後輩たちにメッセージを残していった。

そして最後はこの男。


「…羽瀬高陸上部主将を務めた、室井 透治むろい とうじです。

この場で改めて、後輩のお前たちに伝えたいことは俺にはない。

これまでの活動や試合結果で、お前たちが俺や3年生たちから感じたこと、学んだことがもしあるのならば、それが俺たちが伝えられたことだ。

その為に、俺自身はインターハイで全国優勝という最高の形を目指してこれまで取り組み、それを今いる皆の前で証明した。

そして、これからはお前たちの時代だ。自分たちが新たに学ぶこと、感じたことは、お前たち自信が後輩世代に引き継ぐ番だ。

…俺はかなり口下手だ。だからこうして、自分の活躍や姿勢でしか見せることは出来なかったのかもしれない。

ただ、お前たちはお前たちなりに、今後の次世代へと魅せていってくれ。」


室井の言葉を、皆真剣な眼差しで聞いていた。

それがある意味室井のカリスマ性、先導力を物語っていた。


「…期待してるぞ。一人一人、羽瀬高陸上部の皆に、な。」


室井が最後にそう言い残すと、大きな拍手が彼を包んだ。中には拍手をしながら泣き出す者すらいた。


1つの時代が終わる。

その光景を初めてしっかり目の当たりにした若越もまた、彼の姿に改めて感銘を受けていた。


「…というわけだ。後輩たちに引き継ぐにあたり、俺の独断ではあるが次の部長を務めてほしい奴がいる。」


室井はそう言うと、その者の姿を真っ直ぐに見てその名を呼んだ。


「…七槻 勝馬ななつき しょうま

俺はお前に、羽瀬高陸上部部長の名を引き継ぎたいと思っている。

皆はどうだ?」


その名を呼ばれた七槻は俺ですか?と自分を指差して驚いたが、反対する者は誰もいなかった。

皆拍手でその提案に応えると、室井は改めて七槻に意思確認をした。


「…七槻、と言うわけで反対する者はいなそうだ。

引き受けてくれるか?」


室井の問いに、七槻はうーんと唸り声を漏らすも、大きく息を吸って答えた。


「…室さんみたいな、すげぇ部長になれるか分かんないっすけど…。やってみせます、部長。

室さんみたいに、全国優勝とまでは言わずとも、拝璃や満と一緒に全国の舞台で大暴れ出来るように、頑張ります。宜しくお願いしますっ!」


七槻は大きな声でそう宣言した。

皆誰1人その決意を笑う者はいなかった。再び大きな拍手が彼を包み込んだ。


そして、室井と七槻は固い握手を交わした。

室井たちの長いようで短い2年半の終わり、そして七槻たちの新たな1年に向けた強い気持ちが、それには込められているように感じられた…。




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こうして、中学時代に全国大会優勝を経験した少年が、不運な出来事から棒高跳びを諦めてしまう物語は、"伍代 拝璃"という1人の先輩の手によって再び動き始めた。


そして出会った新たな仲間とライバルたち。

彼らの存在が、今後"若越 跳哉"という少年の人生をどう左右していくか。


物語は、夏を終えた彼らが

次なる舞台"新人戦大会"に挑むが…。

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