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第32話:Wall to Overcome

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「…高津さん、ありがとう。

…まだ、自分の選択を決めきれたわけじゃないけど、高津さんの意見、凄い参考になった。」


紀良は溢れ出しそうな感情を抑えながら、高津にそう感謝を述べた。


「…そう。まあ、無理して続ける事がいいと思わないけどね。でも、続けてたらいい事あるかも?ってのも確か。」


高津は紀良に感謝された事で少し照れ臭くなったのか、それを隠すように紀良にアドバイスを送った。

高津のその言葉から、紀良は自然と若越の事を思い出していた。


「…だから、私は続けた。」


急に高津の表情がスッと戻ったが、紀良はそれに気づいてはいなかった。

そう言い残した彼女の視線の先に、桃木と談笑しながら片付けを終えた巴月が高津の元へ向かっているのが映っていた…。






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新人戦大会の支部予選が週末に迫った月曜の昼休み、

珍しく若越と巴月、高津のクラスに蘭奈と紀良が集まっていた。


「…ってか、みんな明後日から定期テストだけど、順調?どない?」


すっかり陸上部1年生組は、休み時間に集まるようになるくらいには仲良くなっていた。

部活の話や試合の話をしていた時、ふと思い出したかのように高津がそう切り出した。


「…でも、杏珠も跳哉くんもいつもちゃんと授業聞いてるよね?大丈夫なんじゃない?」


巴月がそう言うと、2人は黙って俯いてしまった。

話題にする程高津は心配していたのであろう。切り出した本人すら黙り込んでしまう始末であった。


「…自信…来年インハイの全国大会に出る事の方が断然自信ある。勉強はそれなりに出来ればいいだろ?」


若越はなぜか強気にそう言ったが、巴月はため息を吐いた。


「…呆れた…。その様子じゃ、どっかの誰かさんは全国優勝の方が自信ありそうね?」


巴月はさも当然かのように、蘭奈にそう問いかけた。


「…俺は必ず、1年のうちに10秒台出してみせる…!」


蘭奈はそう囁くように言うと、小さくガッツポーズをした。

これには巴月もお手上げであった。


「…ったく、悪いが俺は問題ない。若と蘭がいくら陸上強くても、勉強では負ける気がしねぇな。」


その様子を見て、紀良は自慢げにそう言ってみせた。


「…なによー、紀良くんは自信あるって言うの?」


高津は自分たちが少し馬鹿にされた事が気に食わなかったのか、不貞腐れながら紀良に言った。


「ああ、まあな。1学期末のテスト、全科目上から5人には入ってた。」


紀良の暴露に、若越、蘭奈、高津の3人は驚いた。

巴月は何となくその事を知っていたのか、そこまで驚いている様子はない。


「…はぁ。今日自主トレの日よね?練習無いんだったらみんなで勉強するよ。

新人戦が控えてるとはいえ、テストできなくて赤点なんて言ったら話にならないからね。

お兄には私から言っておくから!」


巴月はそう言うと、強引に皆のスケジュールを決めてしまった。


「…え?それって俺も含まれてる?」


紀良は、いつもより気迫に溢れる巴月に恐る恐るそう問いかけた。


「何言ってんの?当たり前でしょ?

さすがに私1人で3人相手は無理よ?」


紀良は、そうですよね…と呟きながら愛想笑いをした…。


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放課後、再び集まった5人は各々テキストや問題集を開いて勉強を始めた。


「…ぁぁぁぁあああああ!!!!わっかんねぇ!!!!」


静かに勉強に取り組んだかと思えば、開始5分で蘭奈がそう唸り声を上げた。

シャープペンを持ちながら頭を掻きむしる蘭奈の姿に、巴月は大きなため息を吐いた。


「…もううるさいっ!…全く、何処が分かんないの?」


巴月は厳しく蘭奈に注意するも、優しくそう声をかけた。

長女とはいえ妹である巴月であったが、マネージャーとしての仕事ぶりや今のような面倒見の良さから、とても妹とは思えないほどにしっかりしている。


「…これどうやったら分かるんだ?巴月ぃぃ!」


蘭奈はどう見ても弟タイプであった。

甘え口調で彼は巴月に問題の解き方についての教えを乞うていた。


「…蘭奈くんって、兄弟いるの?」


その様子を見ていた高津は、若越にそう耳打ちした。


「…さぁ?聞いたこと無いけど、多分一人っ子だろ。」


若越は、問題集から目を離す事無くボソッとそう答えた。


「…本当にぃ?若越くんも一人っ子でしょ?あいつとは偉い違いね。」


高津のペンを持つ手は既に止まっていた。

蘭奈と若越の姿を見比べながら、彼女はそう呟いた。


「…何も一人っ子がみんな一緒の性格とは限らないだろ。

それに、育ってきた環境だって違うし。一概には言えないよ。」


若越はそう言いながらも、問題集に書き込む手は止めずに続けていた。


「…若、言う割にはスラスラ問題解いてるけど、本当に勉強自信ないのか?」


紀良は皆が勉強する中、ただ1人本を読みながらそう言った。


「…あぁ、古典はな。なんか得意なんだよ。答え書いてあるようなもんだし。」


若越はそう言った。彼の問題集は確かに古典の内容であり、漢字がびっしり書かれていた。


「…逆に何が苦手なんだ?せっかくなら苦手な方やりゃいいのに。」


「…理系。」


紀良の言葉に、若越は即答でそう呟いた。


「…えっ…。」


「…理系科目は全部無理。計算とか数式とか公式とか、覚えられない。

あんなの今後の人生でいつ使うんだ?科学者になるわけじゃないのに。」


若越は文系生徒がよく言いそうなお決まりのフレーズをボソボソ呟いていた。


「…お前なぁ…よくそんなこと言って棒高やってるよな。

あんだけ数字との勝負だったり物理方式の世界でやってるやつの言葉とは思えねぇ。」


紀良の言うことは最もである。

そんな時、またも蘭奈の叫び声が聞こえた。


「…ぁぁぁぁあああああ!!!!なんだよ!なんで毎時3kmでチンタラ歩いて向かってるんだよこいつはぁ!!!走ればすぐだろ!!!」


どうやら、数学の問題にケチをつけているようだ。


「…はぁ。そんなこと言ったってしょうがないでしょ??

公式当てはめればすぐ解ける問題なんだからグズグズ言わないのっ!!」


巴月はもっともらしい理由で蘭奈に怒っていた。

言い合っているように見えて、実際は巴月が丁寧に蘭奈の面倒を見ていた。


「…せっかく勉強してるところ、集中切らして申し訳ないんだけどさ…。」


ワイワイしているところに、紀良が何やら神妙な面持ちで切り出した。

すると、4人とも急に静かに手を止めて、紀良を見た。


「…何でそんなに勉強が嫌なのに、陸上にはあんなに真剣になれるんだ?」


紀良の言葉に、4人は顔を見合わせた。

決して紀良が馬鹿にしたようにそう言った訳ではない事は皆分かってはいたが、彼の質問が4人にとっては新鮮だったのか、皆その答えに困っているようであった。


「…楽しいから?」


そう答えたのは、蘭奈であった。


「確かに、問題解いたりテストでいい点取るのもすげぇし、楽しいのかもしれない。勉強できる奴にとっては。

それと同じだ。俺たちがいいタイムを残せたり上の大会に出れたり、上の大会で結果残したりする事は、それと一緒の楽しさがあるから…か?」


それまで勉強が分からずヤンヤン騒いでいた人間とは思えない程に、しっかりした理由が述べられた事に、紀良は驚いた。


「…陸の言う通りだな。勝ち負けってのは何にでも付き物だと思う。勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。それがたまたま、俺たちは"陸上競技"ってスポーツにその楽しさを見出しただけ、って言えば答えになるか?」


若越はそう言った。何処かそれは、改めて自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。


「それがたまたま、俺は棒高、陸はスプリントだったってことよ。」


若越がそう言って蘭奈を見ると、蘭奈は大きく首を縦に振って若越の意見に同意した。

そして、付け加えたように若越は続けて言った。


「…だけど、最初っからそうだった訳ではないと思う。

俺はたまたま、父親が棒高跳び選手で、棒高跳びって競技に出会えて、それを続けたからそう言えるだけかもしれない。

陸は陸で、陸なりのスプリントに対しての面白さを見つけたタイミングがあると思う。

それは人それぞれだし、その楽しさを見出せたからこそ、真剣にのめり込めてるんじゃないかな?違う?」


若越がそう言うと、補足するように蘭奈が話した。


「俺は、足が速くなりたかった。単純にな!

だってかっこいいだろ?誰よりも速く走れるって。

そう思えた時、俺は走るのが楽しくなった。

負けたくねぇし勝ちてぇ。それが俺の陸上やってる理由、かな?」


蘭奈がそう言うと、紀良は持っていた本を栞も挟まずに片手でバスっと閉じ、納得した表情を見せた。


「…なるほどな。確かに、そう思ってて実力がそれに近づいてるお前らは、そこに楽しみを見出せるって訳か。」


紀良は皮肉混じりな言い方でそう呟いた。


「…楽しくねぇのか?光季。」


しかし、蘭奈は皮肉といった受け取り方は一切していなかった。

純粋に心配するように、紀良にそう問いかける。


「…楽しくねぇ訳じゃねぇけど…。」


紀良はそう言いかけると、話を終わらせようとわざとらしく時計を見た。


「あっ、やべぇ時間ねぇじゃん。早く勉強進めようぜ。」


紀良がそう促した事で、何とも後味のすっきりしない終わり方で、その話は閉じられた。






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