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第29話


 ジリリリリリ。


 けたたましい目覚まし時計の音で目が覚めた。

 魔法の存在する世界でも、目覚まし時計はよくある普通の目覚まし時計だ。

 うっかり元の世界にいるような感覚に陥ってしまう。


 いや、それよりも。


「あの夢は、一体……」


 ただの夢、ではないだろう。

 私の脳が作り出した夢なら、ローズはもっとゲームに寄った性格のはずだ。

 あんな変な人間であるはずがない。


 それなら夢の中のローズが言う通り、あの夢はローズ自身が魔法で見せたものなのだろう。

 何と言っても、ここは魔法の存在する世界だ。

 ローズはきっと夢に出てまでも、私に伝えたいことがあったのだ。


「……うん? ローズは何を言っていたんだっけ?」


 ローズのキャラが濃すぎて、言っていたことがイマイチ思い出せない。

 嫌な気分にさせられた気はするのだが……それと。


「物事には必ずそれに至る理由がある」


 これだけははっきりと覚えている。

 夢の中のローズは確かにそう言っていた。

 私の異世界転生にも、ローズが無表情なことにも、ナッシュが過保護なことにも、もしかすると『死よりの者』が人間を襲うことにも。


「……だとしても、私にどうしろって言うのよ」


 それぞれに理由があったとして、一体私に何が出来るのだろう。

 ただの陰気なOLだった私に出来ることなど、たかが知れている。

 とりあえず今こんな私にも出来るわずかなことは。


「遅刻して悪目立ちしないようにしよう。遅刻をするなんて悪役令嬢だ、なんてこじつけられるのも嫌だし」


 なるべく目立たないように過ごして、『死花事件』の犯人だ、なんて言われないようにしよう。




 ……そう思っていたのに。


 授業棟に到着した私を待っていたのは、冷たい視線だった。

 特に一人の栗毛色の髪の女子生徒が、教室へやって来たばかりの私のことを睨んでいる。


「どうして……というか、誰?」


 学園内では、学園外での地位は反映されず生徒同士は全員クラスメイトという同じ地位ということになってはいるものの、公爵令嬢であるローズに対していい度胸だ。卒業したら元の地位に戻るというのに。


 とはいえ、私だって女子高生に睨まれたぐらいで怖気づくような人生を送ってきてはいない。

 私が彼女を無視して席に着くと、彼女は腕を組みながら近づいてきた。


「ローズさん。よく登校して来られましたわね?」


「あら、ごきげんよう。あなたこそ令嬢なのに挨拶の一つも出来ないなんて、ずいぶんと教育が行き届いているようね?」


「なっ!?」


 女子高生にいきなり喧嘩を売られたら嫌味が出るものらしい。

 図らずも悪役令嬢らしい返しをしてしまった。


「罪人の分際で偉そうにするなんて! わたくし、見ましたわよ。あなたが聖女様の部屋に泥棒に入る姿を!」


 彼女の非難は謂れの無い……いや、ものすごく憶えがある。

 きっと昨日、ウェンディの部屋に忍び込んだところを見られていたのだ。

 そういえば部屋に入る前も部屋から出た後も、廊下には生徒がいた。

 間一髪で部屋に侵入した姿を見られなかったと思っていたが、そうではなかったようだ。


「黙ってないで何とか言ったらどうですの!? 聖女様に言いつけますわよ!?」


 私は黙って彼女の顔を見た。

 良くも悪くも特徴のない普通の顔だが、昨日廊下で見たような気もする。

 ああ、もっと気を付ければよかった。


 …………ん?

 この顔は、昨日二回見た気がする。

 ウェンディの部屋に入るときと出るとき。

 それなら!


 一か八か、私は彼女に冷たい視線を投げた。


「あなた、私がウェンディさんの部屋に入るところを見たのに、止めなかったわよね。それどころか誰も呼ばずに私が出てくるのを見届けていたわね。ウェンディさんに言いつけるのは自由だけど、困るのはあなたも同じではなくて?」


「わ、わたくしは何もしていませんわ!」


 女子生徒はあからさまに焦っている。

 私の言おうとしていることが分かったのだろう。


「あなたは私がウェンディさんの部屋に入ったことを利用して、私を脅そうとしているわよね。それって、ウェンディさんを利用したことと同義よね?」


 私が昨日勝手に部屋に入ったことがウェンディにバレるのはまずい。

 だけど目の前の彼女にも、私欲のために私の悪行を見逃したという後ろ暗いところはある。

 そして彼女自身もそのことに気付いている。

 ということは、ハッタリをかます価値はある。


「ねえ。あなたは私のことを泥棒扱いしているけれど、私は何も盗んでないわ。聖女様のお部屋に入ったらご利益があるかと思って入ってみただけよ」


 本当はウェンディの部屋で図書館の鍵を盗んだが、さすがに盗んだ鍵を手に持ったまま部屋を出るようなヘマはしていない。

 きちんとポケットにしまってから部屋を出た。

 だから私が盗みを働いたことを、彼女は断言することが出来ない。


「部屋に侵入して何も盗まないなんてありえませんわ!」


「へえ。じゃああなたは、私がウェンディさんの部屋で何かを盗むと思ったのに、あの場で止めなかったのね?」


「それは……でも、何もしていないわたくしと、他人の部屋に侵入したローズさんでは、わたくしの方が優位ですわ!」


「じゃあ学級裁判でも何でもすれば? 裁判になれば、私は泥棒ではないことが判明するけど、あなたは泥棒だと思った相手を脅そうと企んであえて止めなかったことが判明するわね。私はそれでもいいわよ?」


 首筋を流れる冷や汗を無視して余裕な顔を作ってみせる。

 実際に学級裁判が開かれてウェンディの部屋に侵入したことが明らかになったら、昨夜ウェンディの部屋から図書館の鍵が無くなったことが私の仕業だと気付かれてしまう。

 しかしこの女子生徒はウェンディの部屋から図書館の鍵が無くなったことは知らないし、エドアルド王子から秘密裏に貸してもらっている以上、ウェンディも自分からは昨夜図書館の鍵が部屋にあったことを伝えはしないだろう。


 だからこのハッタリは賭けだ。

 学級裁判を起こされたら負け、起こされなかったら勝ち。


 首筋を伝った冷や汗が背中に流れていくのを感じた。


「……もういいですわ。ローズさんとは関わりたくないので、このことは黙っていることにします!」


 女子生徒はしばらく唸り声を上げていたが、やがてプイとそっぽを向いてしまった。

 どうやら私は賭けに勝ったようだ。


「まあ! ありがとうございます。ではこれは、聡明なあなたへのほんの心ばかりのお礼ですわ」


 去ろうとする女子生徒に強引にお金を握らせた。

 誰にも見えないように、しかし本人にはお金であることが分かるように。


 今は切り抜けられたが、いつ彼女の気が変わるか分からない。

 それならばお金を渡すことで、昨日の出来事を話せなくしてしまった方が良い。


「こんなものを受け取ったら、わたくしは……」


「そうね。私がウェンディさんの部屋に侵入したことは、もう誰にも話すことは出来ないわね。でも何も盗んでないから安心していいわよ。それにあなたは、お金が欲しかったのよね?」


 そう言って、にっこりと微笑んでみせた。

 彼女は少しの間、悩む様子を見せたが、お金の力には敵わなかったらしい。


「…………ふん。どうしてもと言うのなら、頂戴しますわ」


 彼女は貰ったお金を懐に入れてから、くるりと振り返ってこちらを見ている生徒たちに向かって声を張り上げた。


「みなさま、ごめんなさい。どうやらわたくしの勘違いだったようですわ。さっきの話は忘れてくださいませ!」


「ふふっ。私のフォローまでしてくれるなんて嬉しいわね。私、賢い人は好きよ」


「わたくしはあなたが嫌いですわ」


 私がそう言うと、女子生徒はもう一度私の方に向き直って、はっきりと言い放った。

 本当に度胸のある子だ。


「私はあなたのことが気に入っちゃった。あなたの名前を教えてちょうだい?」


「あなたに気に入られても嬉しくはないですけれど……マーガレットですわ」


「あら。私と同じでお花からとった名前なのね。何か縁がありそうね」


「あなたとの縁なんか、いりませんわ!」


 女子生徒は私のことを苦々しげな顔で見つめてから、自分の席へと戻って行った。


 これでよし。


 …………あ。

 またうっかり悪役令嬢をやってしまった。


 他人の部屋に侵入して、物を盗んで、生徒を脅して。

 私ってば、どんどん悪役スキルが上がっている。


「悪役な行動が処刑に直結……は、しないわよね? 小さな悪事くらいなら……ねえ?」


 果たして私のやったことは小さな悪事だろうか。

 ……考えるのはよそう。

 考えれば考えるほど、私が完全に「悪役令嬢」をやってしまっていることがはっきりする。


「で、でも! ローズが処刑されたのは、悪役令嬢だからじゃなくて、『死花事件』の犯人だったからよ!?」


 だから私の悪事が許されるのかというと、もちろんそんなことはない。


「そりゃあ私だって、悪事を働かずに『死よりの者』を倒せるならそうしたいわよ。私自身に聖力があったら、単独で『死よりの者』退治が出来るのに。そうじゃないから苦労しているのよ……はあ。私は『死よりの者』を退治するたびに悪事を重ねるのかしら」


 こんなことを続けていたら、いつかきっと悪事が露呈する。

 今回は免れたが、毎回こうはいかないだろう。

 どうにかして、悪事を働かずに『死よりの者』退治が出来ないものだろうか。


「…………あれ?」


 クラスメイトたちが、私から距離を取りつつひそひそと話し始めた。

 ぶつぶつと独り言を呟き続けている令嬢は、悪役令嬢だろうとそうでなかろうと、近づいてはもらえないようだ。




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