明るいうちに寮から出て外で待機をしておけと言われても、特に行くところがない。
部活見学に行くにも中途半端な時間だし、夕食も済ませたし、図書館も閉館している。
ナッシュやジェーンとお喋りをすれば時間は潰せるだろうが、二人がその後の肝試しにもついて来ようとすることは容易に想像が出来る。
そうなれば、秘密を守らなかったと、私がルドガーに嫌われる恐れがある。
「何もせずに待っているのは暇よね…………ん?」
ぼんやり歩いていると、修練場の倉庫に入って行く人影が見えた。
長髪を一つに束ねたあの後ろ姿は、エドアルド王子の側近であり用務員のセオだろう。
「何をしてるんですか?」
「うわっ!? ……って、あなたでしたか」
せっかく出会ったからとセオの後を追って倉庫に入ったが、全く気付かれなかったため後ろから声をかけると、セオは私の出現にとても驚いた様子だった。
「すみません。集中力を欠いていたようで気付きませんでした」
「ああ、睡眠をとらないと集中力散漫になりますからね」
疲れた様子と目の下のクマですぐに察してしまった。
セオは昨夜、徹夜だったに違いない。
「あはは、バレましたか。たった一日の徹夜でお恥ずかしい」
「遊びでの徹夜と働き続けての徹夜は違いますからね。やつれるのは仕方ありませんよ」
「何だか実感がこもっているように聞こえるのは、自分の気のせいでしょうか?」
「き、気のせいに決まってるじゃないですか! 私は今、十五歳ですよ!?」
高校に入学したてのピッチピチ乙女、それが今の私。
……本当の高校生はそんな表現使わないけど。
おかしいな。
同じ轍は踏むものかと今日は年下らしく敬語で話しているのに、またやってしまったのだろうか。
「そんなことよりも。ここで何をしてるんですか?」
話題を変える意図もあり、再度問いかけてみた。
セオは剣や防具を触っては、紙にペンを走らせている。
「備品のチェックです。自分では満足に建物の設備点検が出来ないので……剣や防具に不具合が無いかを確認しようと思いまして。それなら自分にも多少は心得がありますから」
用務員が学園側から言い渡されたのは、建物を中心とした設備点検だけだと風の噂で聞いた。
だが修練で使用する剣や防具に不具合があった場合も、生徒の怪我に繋がる。
だから点検自体をしてくれるのはありがたいのだが……。
「学園から頼まれたのは建物の点検だけですよね? 剣や防具の点検は、建物の点検が終わってからでもいいのではありませんか?」
その時間を睡眠に当てた方が良いと思う。
効率的に働くためには睡眠も重要だ。
「いいえ。今日点検しないと、明日誰かが怪我をする恐れがありますので」
「急に真面目ですね」
「これは言い訳になってしまいますが……新人の用務員は別件で忙しい者が多く、これまで学園の雑務はその日に行う必要のある最低限のものしか行なっていませんでした。そのため、急を要さない点検などは蔑ろになってしまったのです」
「紛れもない言い訳ですね」
確かに二足のわらじとしては、もう片方の仕事である王子の側近の仕事は重すぎる。
しかしそれを理由に学園の整備不良で事故死させられたのでは、納得できるわけもない。
「その通りです。自分も深く反省しました」
「だからこれまでの分を取り返すような仕事をしている、というわけですか」
「はい。取り返せるなどという考えはおこがましいですが、せめて少しでも役に立てたらと」
「なるほど……頑張ってくださいね」
この様子では、私が何を言ったところで備品のチェックを続けるだろう。
それならば放置するしかない。
セオはいい大人だから、自分の体力の限界くらいは判断できるはずだ。
その後、私はしばらくセオの仕事風景を眺めていた。
剣一本一本、防具一個一個を様々な角度から確認し、丁寧な仕事をしているように見える。
「用務員さん。真面目なのはいいことですが、時と場合によっては上手に手を抜かないと苦労しますよ?」
私が話しかけると、セオは点検中の剣から顔を上げずに答えた。
「手を抜いた結果がこれですから。やはり慣れないことはするものではないですね」
「あなたは手を抜きたくて抜いたわけではないですよね? 激務すぎて手が回らなかったのだと思うのですが……違いますか?」
「どうしてそう思うのでしょうか」
「仕事ぶりと顔を見れば分かります。用務員さんは過労のせいで老けてますから」
私がそう言うと、それまでスムーズに動いていたセオの手が止まった。
「ちなみに……自分、何歳に見えますか?」
そして面倒くさいことを言い出した。
「何歳に見えるか、ですか」
初対面の相手にされて一番困る質問だ。
原作ゲームをやっているから、セオが二十四歳だと知っているが、この場合は何歳と答えるのが正解だろうか。
「……二十代後半ですか?」
悩んだ挙句、実年齢よりも上でありながら、たいして傷付かないであろう言い方をすることにした。
もし年齢を問われたのがジェーンだったら、三十代後半と答えていたのかと思うと、同情で泣けてくる。
「あはは……実際はそれよりも若いです。確かに老け顔なのかもしれません……はあ」
「そんなに気にすることでもないと思いますよ。老け顔と言っても、顔面自体は整ってますから。年齢よりも渋い魅力があるという意味です」
「えっと、ありがとうございます」
セオは一度顔を上げて私と目を合わせてから、やや恥ずかしそうに頭を下げた。
雑談で仕事を邪魔している生徒に対して律義すぎる対応だ。
「……さっきも言いましたが、もっと手を抜いていいんですよ? 具体的に言うと、雑談で点検を邪魔してくる女子生徒の発言にいちいち反応する必要はありませんよ」
邪魔をしている本人である私がそう言うと、セオは怒った様子もなくさらりと答えた。
「いいえ。あなたはエドアルド王子殿下の婚約者ですので」
……うーん。
私が言うことでもないが、口を滑らせている気がする。
ただの用務員が、入学して数日の生徒の素性を知っているのは不自然すぎる。
これではセオがただの用務員ではなくエドアルド王子の側近だと言っているようなものだ。
セオもそのことに気付いたのか、慌ててそれらしい理由を付け足してきた。
「あっ、いえ、以前生徒会室でお話をされていたので……あのあと気になって、あなたが誰なのかをエドアルド王子殿下に確認したのです」
その説明ならギリギリ誤魔化せた……かな?
まあ私は原作ゲームをやっているから、セオが王子の側近だと知っているのだが。
「私が王子殿下の婚約者だからと言って、用務員のあなたが私に気を遣う必要はありませんよ。この学園では、外での身分を反映しない決まりですから」
私は今の発言で誤魔化されたフリをして話を合わせた。
「それもそうですね……ですが、お喋りをしていた方が退屈せずに点検が出来ますので。自分のことこそ、お気になさらず」
「退屈しないって、女子生徒と話していても退屈ではありませんか?」
「そんなことはありません。あなたと話すときは、同年代か少し年上と話しているような感覚で……あっ、悪口ではありませんよ!?」
セオは言ってから慌てて両手を振って否定した。
少し口の滑りやすいタイプのようだ。
「ふふっ、私もあなたくらいの年齢だと話しやすいです。周りの若者たちはキラキラキャピキャピしすぎていて、たまに着いていくのが辛いことがあるので」
十五歳とは思えないローズの発言に、セオは首を傾げていた。
「急にお姫様抱っこをしたり、手の甲にキスをしたり、頭を撫でたり、抱き締めたり……正直、私はスピード感に圧倒されました」
「ご令嬢はそういったことをされるのが嬉しいものなのではありませんか?」
セオは本気でそう思っている口調だった。
乙女ゲームの世界とはいえ、この考え方では将来嫌な思いをする令嬢を生み出してしまうかもしれない。
やんわりと私の意見を伝えておこう。
「物事には順序があります。順序を飛ばしていきなりそんなことをして、令嬢が喜ぶと本気で思っているのなら、それは思い上がりですよ。そんなものは、いきなりベタベタ触ってくる単なる気持ちの悪い人です。いくら顔が良くても、親密になる前に過度なスキンシップをするのは感心しません」
「……あなたはお堅い方なのですね。婚約してもまだスキンシップが嫌だとは。分かりました。王子にそれとなく伝えておきます」
「あっ!? 今のは王子殿下のことではなく一般論で……確かに頭を撫でられたり抱き締められたりは王子殿下にされたことですが、そうではなくて!」
私とセオの話は微妙に食い違っていたらしい。
私はただ一般論を話したつもりだったが、セオは終始私が王子への不満を言っていると思っていたようだ。
「今のは王子殿下への文句ではありません! ただ王子殿下以外にそういうことをされると困るという意味で」
「焦らなくても大丈夫です。自分も王子は少々性急だと思っておりました。いくら婚約者といえど、校内で女性を抱擁するのはいかがなものかと。これは自分の意見としてお伝えしますので。あなたの名前は出しませんからご安心ください」
「……あなたもお堅いタイプの人だったんですね」
「堅いと言いますか、もうがっつくような年齢でもありませんから」
「二十代前半はまだがっついてください!?」
というか乙女ゲームで二十四歳の枯れキャラってどの層を狙ってるの!?
いっそ枯れ専狙いなら、もっとずっと年上の設定にしなさいよ!?
『死花の二重奏』の製作スタッフは、何から何まで狙う客層を間違えている。
疲れた顔で枯れたようなことを言うセオを見て、天に向かってツッコんでしまった。