都会の喧騒から逃れるように、慎一は雪深いこの村へ引っ越してきた。幼い頃、両親とともに訪れた記憶があるこの土地は、どこか懐かしさと神秘的な空気を持っていた。広がる雪原、寒さをしのぐための煙突から昇る煙、そしてどこか静まり返った空気――その全てが彼に新しい生活の始まりを感じさせていた。
「これからは静かな暮らしをしよう。」
慎一は荷物を下ろし、周囲を見渡した。都会では時間に追われ、仕事に疲れ果てていたが、この場所では心の奥底から安らぎを感じることができる気がした。
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移住初日の夕方、慎一は近所に挨拶をしようと家を出た。村の人口は少なく、全ての家が徒歩圏内にある。数軒回った後、最後に訪れた家が特に印象的だった。家そのものは古びており、小さな庭には雪が積もっている。それでもどこか温かさを感じさせる雰囲気があった。
「すみません、ご近所の挨拶に来ました。」
慎一が扉をノックすると、しばらくして小さな物音が聞こえた。ゆっくりと扉が開き、ひとりの女性が姿を現した。
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彼女の名前はユキ。透き通るような白い肌に長い黒髪が印象的で、どこか影のある表情をしていた。彼女は少し戸惑った様子で慎一を見つめ、挨拶の言葉を探しているようだった。
「こんにちは……初めまして。」
控えめな声でそう言うと、彼女は微かに頭を下げた。慎一はその声にどこか不思議な魅力を感じた。
「僕は隣に越してきた村田慎一と言います。これからよろしくお願いします。」
そう言いながら手土産を差し出すと、ユキは一瞬戸惑ったように見えたが、丁寧に受け取った。
「ありがとうございます……こちらこそ、よろしくお願いします。」
その声にはほんの少しぎこちなさが混じっていたが、慎一は彼女の誠実さを感じ取ることができた。
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その日の夜、慎一は村の雑貨店を訪れ、日用品を買い揃えていた。そこで店主の老人から話しかけられた。
「新しく引っ越してきた人だね。どこに住んでいるんだい?」
慎一が答えると、老人は興味深そうに頷いた。
「隣に住んでいるのはユキさんだろう。あの人は少し変わったところがあるが、悪い人じゃない。ただ……あまり深入りしない方がいいかもしれないな。」
慎一はその言葉に少し驚いた。
「どうしてですか?」
「まあ、村にはいろいろな噂があってね。あまり気にしなくてもいいが、彼女には少し不思議なところがある。気をつけるんだよ。」
慎一は老人の言葉に納得はできなかったが、特に気に留めることもなく買い物を終えた。
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翌日、慎一はユキの家の前を通りかかると、彼女が庭で雪を掃いているのを見つけた。彼女の動作はどこか不器用で、慎一は自然と声をかけていた。
「お手伝いしましょうか?」
ユキは驚いたように顔を上げたが、すぐに小さく首を振った。
「いいえ、大丈夫です。でも……ありがとうございます。」
彼女の声は控えめで、どこか距離を置こうとしているようにも感じられた。しかし、その控えめな態度が慎一には新鮮で、自然と彼女に興味を抱くようになっていった。
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数日後、慎一はまたユキと話す機会を得た。彼女は少しずつ心を開いてくれたようで、話している間に微笑むことも増えた。その笑顔はどこか儚げで、それが慎一の心をさらに惹きつけた。
しかし、村人たちのユキに対する態度は慎一が感じたものとは異なっていた。彼女が村を歩くと、村人たちはどこか距離を置くような雰囲気を漂わせ、時折ささやく声が聞こえてくる。
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「ユキさんって、何か特別な理由があるんですか?」
ある日、慎一は再び雑貨店の老人に尋ねた。老人は少し困ったような表情を浮かべたが、やがて静かに話し始めた。
「まあ、この村には昔からいろいろな言い伝えがある。ユキさんもその一部なのかもしれないな。ただ、彼女自身が悪いわけじゃない。それだけは分かってやってくれ。」
慎一はその言葉の意味を深く考えなかったが、ユキが普通の人ではないということをほのめかしているのだろうかと感じた。
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慎一はそれでもユキとの交流を続けることを選んだ。彼女の不器用ながらも温かい性格に触れるたび、彼は都会での忙しさとは無縁の、穏やかな時間を感じることができた。
「何があっても、この村で新しい生活を楽しもう。」
慎一はそう心に決め、ユキとの距離を少しずつ縮めていくのだった。
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