それは、いつの年かの10月中旬のこと。朝の空気が少し肌寒く、でも気持ちのよい青空が広がる、そんな季節の変わり目の日だった。
中学二年生の山里ありすは、通い慣れた通学路を歩いていた。けれどその日は、いつもと違うことがひとつだけあった。
「おはよう、山里さん。一緒に行ってもいいかしら?」
声をかけてきたのは、同じクラスの宮の森里美。お嬢様のような雰囲気で、普段はあまり話すことのなかった同級生だった。
「うん、もちろん。っていうか、私も話してみたかったんだ」
「まあ、うれしいですわ。ずっと仲良くなりたいと思ってたの」
そんな他愛もない会話をしながら二人は並んで歩き、信号の前まで来たとき――突然、街にけたたましい警報音が鳴り響いた。
「え? なに、今の?」
「……あっちの銀行から聞こえてきますわ」
横断歩道を挟んだ向こう側、まだ開店前のはずの銀行。その正面に、自動車が突っ込んでいた。シャッターをぶち破り、車の半分は建物の中に埋もれている。
「わ、事故……? って、まさか……」
「行ってみましょう」
「ええっ!? 危ないかもしれないよ!」
「人が困っているかもしれませんわ。ほら、あそこに誰か……」
銀行の裏口から、スーツ姿の男性がふらふらと出てきた。
「大丈夫ですか?!」
「怪我は!? それに、これ……事故ですか?」
「……ちがう。強盗だ……!」
「えぇぇ!?」
ありすも里美も、目を丸くして叫んだ。
「まさか、本当に強盗!? それも開店前に!? そんなのあり得ませんわ!」
「とりあえず、警察には連絡いってると思うけど……」
そのとき、里美がありすの袖をぎゅっとつかんで見つめた。
「山里さん……いえ、“ありすちゃん”。行きましょう。あの中に、きっと人質がいるわ」
「うん……私、見過ごしたくないから」
ありすは、銀行の正面を見据え、ゆっくりと両手を組む。
「Je me transforme dans une fille magique pour toi」
地面に赤い光が走り、魔法陣が現れる。風が下から吹き上がり、制服は光に包まれて姿を変えていく。ピンクと白のドレス、長いポニーテール、大きなリボン。そして、完成した姿は――
「魔法少女、ありす。参上……って言ったほうがいい?」
「言ったほうが絶対いいですわ!!」
「じゃあ、次のときまでに考えておくよ……」
ありすは再び呪文を唱えると、銀行の建物が透けて見えるようになった。中の様子が手に取るようにわかる。犯人は三人。銃を持ち、職員たちを脅していた。倒れている警備員もいる。
「――いくよ」
「お願い、ありすちゃん……!」
ありすが唱えた魔法は、心の奥底にある“良心”を呼び覚まし、悪しき力を打ち砕く魔法。犯人たちは銃を手放し、動揺したようにその場に座り込んだ。倒れていた警備員たちも、光に包まれてゆっくりと目を覚ます。
「なんだ……身体が、痛くない……」
「……さっきまで出血してたのに、傷が……消えてる……?」
回復した職員たちはすぐに動き出し、犯人たちを拘束した。
「助かった……ありがとう! 魔法少女、ありすちゃん!」
「どういたしまして。ちなみに、“ありす”はひらがなです」
「え?」
「登録商標の関係で……いろいろあるんだよ」
「その話は後で! 今は学校に行かないと遅刻しますわ!」
「わっ、ほんとだ! 走ろう!」
二人は駆け出す。学校へと続く通学路、日常の風景の中を。
走りながら、ありすはふと隣を見る。里美は笑っていた。まっすぐな瞳で。
(……この子、ただのお嬢様キャラじゃないかもしれない)
そう思ったとき――魔法少女ありすの、ちょっと不思議でにぎやかな毎日が、幕を開けた。