佐藤宗次こと佐久間宗太郎は、妻・鮎子と共に鳥取を後にし、岡山の地へと足を踏み入れた。享保年間の旅で博多を拠点に評を広め、江戸での暗殺未遂を偽名で逃れた宗太郎は、山口で弟子・太郎を失い、広島で17歳の鮎子と結婚した。島根の出雲そば、鳥取の松葉ガニを味わい、旅を続けてきた。鳥取での新聞取材で過去が明らかになり、市民の注目を集める中、宗太郎と鮎子は新たな旅路を歩む。黒崎藤十郎の陰謀は遠ざかり、沙羅の安堵も伝わったが、旅の先にはまだ未知の試練が潜んでいる。鳥取の夜、酒を酌み交わしながら子供の夢を語った二人は、岡山で新たな味と未来を求めていた。
岡山の田園地帯は、木々の緑が鮮やかに広がり、春の風が穏やかに吹き抜ける。宗太郎は鮎子の手を握り、道を進んだ。鳥取での会話が二人の心に残り、特に鮎子は宗太郎の「子供が欲しい」という言葉を胸に秘めていた。まだ17歳の若さで、旅の過酷さや命の保証のない生活に不安を感じつつも、宗太郎の子供なら産みたいという思いが芽生えていた。彼女はそれを口に出さず、宗太郎の横で静かに微笑んだ。
「宗次さん、岡山って本当に綺麗だね。木々がたくさんで、なんだか安心するよ。」
宗太郎は鮎子の言葉に頷き、彼女の手を優しく握り返した。
「 鮎子、そなたの言う通りだ。岡山の自然は、旅の疲れを癒してくれる。桃太郎の伝説もある土地だ。そなたと共に見る味が、また新しい物語になるかもしれん。」
二人は道中で、木々に囲まれたのどかな場所にポツンと建つ小さな団子屋を見つけた。屋根は苔むし、看板には「吉備の里」と墨で書かれ、風に揺れる様子が旅人を誘う。宗太郎と鮎子は互いに顔を見合わせ、店内へ入った。
店内は木の香りが漂い、素朴なテーブルが並ぶ。窓からは緑の木々が覗き、静かな時間が流れる。店主の辰蔵、60歳の老人が現れ、穏やかな声で迎えた。
「ようこそ、吉備の里へ。旅の二人だな。吉備団子を味わいに来たか? この土地の誇りだぞ。」
宗太郎は微笑み、注文した。
「辰蔵殿、吉備団子を二人前頼む。桃太郎の伝説にちなんだ味を、ぜひ味わいたい。」
辰蔵は頷き、厨房へ向かった。鮎子は宗太郎の隣に座り、木々の緑を眺めながら呟いた。
「宗次さん、桃太郎の話は子供の頃に聞いてた。鬼を退治する話で、団子が大事だったよね。なんか、そなたと旅してるみたいで面白い。」
宗太郎は鮎子の言葉に笑い、彼女の肩に手を置いた。
「 鮎子、そなたの言う通りだ。桃太郎が団子で仲間を集めたように、俺たちは味で絆を深めてきた。そなたがそばにいることが、俺の最大の力だ。」
二人は見つめ合い、互いの温もりを感じた。鮎子は心の中で、宗太郎の子供を産む夢を強く意識し、頬が少し赤らんだ。宗太郎はそんな鮎子の表情に気づかず、旅の思い出を語り始めた。
やがて、辰蔵が吉備団子を運んできた。
吉備団子は、小さな丸い団子が竹の籠に並べられ、きな粉と蜜がまぶされている。素朴な甘さと香ばしさが、岡山の田園を思わせた。
宗太郎は団子を手に取り、香りを嗅いだ。きな粉の香ばしさと蜜の甘さが混じり合い、口に入れると柔らかな食感が広がった。鮎子も一口食べ、目を輝かせた。
「宗次さん、この団子、すごく美味しい! きな粉が香ばしくて、蜜が優しくて…岡山の自然みたいだよ。」
宗太郎は頷き、団子を味わいながら心の中で評を紡いだ。旅の疲れを癒す味に、太郎の笑顔や鮎子との未来が重なった。筆を取り、評を書き始めた。
吉備団子、岡山の田園の贈り物。きな粉の香ばしさが木々の風を呼び、蜜の甘さが旅の休息を約束する。桃太郎の伝説が息づく味は、俺と鮎子の絆を深める。弟子・太郎の遺志を胸に、未来への希望を刻む。
評を書き終え、宗太郎は鮎子に見せた。鮎子は目を細め、宗太郎の肩に頭を寄せた。
「宗次さん、素敵な評だね。太郎さんのことも書いてくれて…私、誇らしいよ。そなたと一緒なら、どんな旅も頑張れる。」
宗太郎は鮎子の髪を優しく撫で、彼女の言葉に心を動かされた。
「鮎子、そなたの支えが俺を強くする。岡山の団子が、俺たちに新しい力をくれる気がする。」
二人は団子を分け合い、互いに一口ずつ食べさせた。宗太郎が鮎子に団子を差し出すと、彼女は照れながら口を開けた。鮎子も宗太郎に返し、二人は笑い合った。辰蔵はカウンター越しにその様子を見て、穏やかに語った。
「若い夫婦だな。吉備団子は、昔、旅人や子供たちに元気を与えた。桃太郎の伝説通り、お二人の旅も幸多きものになるよ。」
宗太郎は辰蔵に感謝し、鮎子と手を握った。
「辰蔵殿、ありがとう。俺たちは旅を続け、各地の味を味わう。そなたの団子は、俺たちの記憶に残る。」
鮎子は辰蔵に微笑み、付け加えた。
「辰蔵さん、団子の味、忘れられないよ。岡山の自然が、私たちに優しさを与えてくれた。」
辰蔵は頷き、二人の幸せそうな顔に満足げだった。
午後、二人は団子屋の外で木々に囲まれた場所に座り、団子の余韻を楽しんだ。宗太郎は鮎子の隣に寄り添い、旅の未来を語った。
「鮎子、鳥取で子供の話をしたな。そなたが賛成してくれて、俺は嬉しい。岡山の団子を食べながら、子供と共に見る味を夢見るよ。」
鮎子は宗太郎の言葉に心を打たれ、胸に秘めた思いを少しだけ口にした。
「宗次さん…私も子供が欲しい。まだ17歳で怖いけど、そなたの子供なら産みたいって、ずっと考えてた。旅が大変でも、そなたと一緒なら頑張れるよ。」
宗太郎は鮎子の告白に目を丸くし、彼女の手を強く握った。
「鮎子…そなたのその気持ち、俺には宝だ。17歳でそんな覚悟を持てるなんて、俺はそなたに感謝する。子供ができたら、岡山の団子を初めて食べさせるのもいいな。」
鮎子は照れ笑いを浮かべ、宗太郎の胸に寄り添った。
「うん、そなたと子供と三人で団子を食べる日、楽しみだよ。桃太郎みたいに、強くなれるかな。」
二人は笑い合い、木々の緑に囲まれた場所で穏やかな時間を過ごした。宗太郎は鮎子の肩を抱き、彼女もまた宗太郎の腕に安心感を覚えた。旅の道中、風が団子の甘い香りを運び、二人の笑顔を優しく包んだ。
夕方、宗太郎と鮎子は団子屋を再訪し、辰蔵に別れを告げた。辰蔵は二人の手を握り、祝福の言葉を贈った。
「宗次殿、鮎子さん、旅路が安全でありますように。吉備団子が、いつでもお二人の心に残るよ。子供ができたら、また来てな。」
宗太郎は深く頭を下げ、鮎子も礼を言った。二人は手をつないで岡山を後にし、次の地へ向かう準備を始めた。新聞の影響で注目を集める中、宗太郎と鮎子の愛は深まり、子供への夢が新たな希望となった。沙羅や藤十郎の動向は遠くに感じられ、岡山の田園が二人の未来を見守った。