ここは冒険者の登録やダンジョン管理、その他各種サポートなどを一手に担う冒険者ギルド「ジョバンニ」。
いわゆる冒険者ギルドと呼ばれる組織は全国各地に点在しているが、「ジョバンニ」が管理するダンジョンは危険な魔物の生息数が比較的少なく、初心者が冒険者としての第一歩を踏み出すのに最適だと言われている地のうちの一つだ。
「おう、姉ちゃん! 冒険者の登録お願いするわ」
そんな「ジョバンニ」の受付には、今日も冒険者を志す男が一人、書類を持って訪れる。筋骨隆々のがっしりとした身体つきの、いかにもな腕っぷし自慢の男だった。
「ええと、
カウンターを挟んで反対側では、職員の女性がイヌゾウから渡された書類の確認をしている。フレームの細い銀メガネが知的さを醸し出しながらも、ふんわりと優しげな雰囲気も併せ持った、どこか包容力を感じさせる妙齢の女性だ。
「よっしゃ! 魔物の素材売りまくって、ボロ儲けしたるでぇ!」
鼻息も荒く、浮足立った様子が隠せていないイヌゾウ。
「はい、私どももイヌゾウ様のよき冒険者ライフを応援していますね。ところで、イヌゾウ様。大変申し訳ありませんが、当ギルドでは登録費として1万ゴールドを頂戴しております」
「1万ゴールド!? なんや、高いなあ。ぼったくりちゃうんか!?」
決して安くない金額を聞いてイヌゾウが顔をしかめる。口調からも露骨に不満そうだ。
それもそのはず。1万ゴールドもあれば一カ月は食いぶちには困らない。それくらいの金額なのだから。
しかし、そこは彼女もベテラン受付嬢としての経験値故か。イヌゾウの露骨な不機嫌オーラにも気圧されず、かつ慇懃に対応する。
「いささか高いですよね・・・・・・申し訳ありません。その代わりではないですが、当ギルドではイヌゾウ様の冒険者ライフを手厚くサポートさせていただきますよ」
そう言って彼女が取り出したのは、青白い光沢をたたえた魔鉱石製の剣と防具一式だった。
「まずはこちらを支給させていただきますね」
「え、これ魔鉱石製やろ!? ホンマにええん!? 偽物やないよな!?」
「もちろん本物でございますよ」
イヌゾウが戸惑うのも無理はない。冒険者用の武器防具に使うことができるような高魔力の魔鉱石なんて、初心者では到底立ち入れないような、ダンジョンの深層でしか採ることのできない代物だ。このクラスの武器防具を街の鍛冶屋で揃えようとしたら、さっき払った1万ゴールド程度では到底足りない。そんな代物をポンと支給してくれるというのだから驚きだ。
「いやー、ええもんもろたわ。さっきは高いとか言ってすまんかったな」
「いいんですよ。冒険者ギルドとして当然のことをしているだけですから」
すっかり気をよくしたイヌゾウは、青白い魔鉱石装備の輝きにすっかり目を奪われている。
「また、こちらも差し上げますね」
そんなイヌゾウの様子をよそに、彼女は新しく、黒い布に包まれた四角い箱を取り出した。その内側からは、なにやら無性に食欲をくすぐる香りが漏れ出している。
「ん? 弁当?」
「はい。この近くの街で有名な三ツ星レストラン『ボッタクリヤ』監修の、冒険者向けハンバーグ弁当でございます。慣れた冒険者の方々ですと、現地の食材を用いて悠々自適のダンジョングルメを楽しんでいる方が多いですが、駆け出しのうちは勝手も分からないと思いますので。受付にておっしゃってくだされば、毎食無料でご提供させていただきます」
「なんやて!? あの『ボッタクリヤ』のハンバーグが無料!?」
イヌゾウが驚くのも無理はない。『ボッタクリヤ』といえば、お通しのピクルスだけで10万ゴールドするほどの超がつく高級レストランだ。そのメインであるハンバーグなんて頼もうものなら、考えるだけでも恐ろしい金額になることは想像に難くない。そんな超高級店の料理が弁当としてただで食べられるというのだ。驚くなというほうが、どだい無理な話というものだ。
「おいおい、おたくら大丈夫かいな? こんなに景気よくサービスしてくれちゃって」
「もちろん、大赤字覚悟の出血大サービスでございますよ。でも、冒険者の皆様のためを思ってこそです」
「嬉しいこと言うてくれるやないか。こりゃあ俺も、おたくらのために頑張らないとな」
「いえいえ、そんな。いいんですよ」
先ほどまでの不機嫌オーラが嘘だったかのように、おべっかまで使い始めたイヌゾウ。
しかし、彼女は決してイヌゾウのペースには飲み込まれず、いささか声を落として話を続ける。
「イヌゾウ様。ダンジョン探索に際しまして、お一つ注意点がございます。弊ギルドにて管理させていただいているダンジョンにおいては、危険度の高い魔物はあまり生息していないのですが、一種だけ要注意の魔物がいるので周知させていただきますね」
「ああ、確か邪竜種のニーズヘッグやったか? でも、最奥層から出てこないんやろ?」
「そうですね。なので最奥層まで行かなければ遭遇する可能性はほとんどありませんが……。念のためこちらも渡しておきますね。ニーズヘッグが嫌う臭いを放つ邪竜除けの煙玉です。万が一遭遇してしまった場合には、こちらを投げて逃げてくださいね」
「命あっての物種やからな。肝に銘じとくわ」
「はい。くれぐれも探索の際はお気をつけくださいね」
受け取った煙玉を冒険者用のポーチへとしまうイヌゾウ。先ほどまでの浮かれた雰囲気はなりを潜め、適度な緊張感を抱いた冒険者の表情へと変わっていた。
そんなイヌゾウの左薬指を一瞥すると、彼女は新しく一枚の書類を差し出した。
「最後に一つだけ、ご紹介させていただきたいものがございます。イヌゾウ様の身に万が一のことがあった場合にその治療費、もしくは残されたご家族の生活を保障させていただくための保険となります。入会金として10万ゴールドいただくことにはなってしまいますが、ぜひお入りしていただくことをお勧めいたします」
右手で顎をつまみながら、差し出された書類とにらめっこするイヌゾウ。
「うーん……。まあ、万が一への備えは必要やんな……。よし、これお願いするわ!」
「ありがとうございます。では、こちらにサインをお願い致します」
彼女からペンを受け取ったイヌゾウは、契約書の下端の署名欄へ「カマセ・イヌゾウ」とやや拙い字で記す。
不備が無いことを確認すると、最後に彼女は優しく微笑んで口を開いた。
「これにてお手続きは以上となります。お疲れ様でした。イヌゾウ様、よき冒険者ライフを」
「おう! いろいろとありがとな、姉ちゃん! ほな、行ってくるわ!」
意気揚々とダンジョン入口へと向かっていくイヌゾウの背中を、深々とお辞儀しながら見守る彼女。
……イヌゾウ側からは角度的に見えない彼女の口元は、心なしか口角が上がっていた。