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この大地を愛した君へ
この大地を愛した君へ
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現代ファンタジー異能バトル
2025年05月15日
公開日
1.7万字
連載中
その涙を拭う為に、人はどれだけの犠牲を払えばいい。  ネオンの光が欲望の坩堝と化す繁華街。その喧騒の裏、薄闇に蠢く路地裏を、神代銀次は煙草の紫煙を吐きながら歩む。キャッチの誘いを軽やかにかわし、彼の心は冷たく、ただ仕事――妖魔を斬る使命――にのみ向かう。財布に金の余裕があろうと、心に余裕はなく、舌に残る香水の雑味は彼の厭世的な吐息に溶ける。  携帯電話の着信は、如月鏡花からのもの。彼女の声は、任務の重さを告げる。「三人死んでいる」と。斬魔の戦士と術師が妖魔の巣に呑まれたという事実を、銀次は「弱かっただけ」と冷笑で切り捨てる。鏡花の怒りと人間らしい悲しみは、彼の心に波紋を残さず、ただ黒ずんだアスファルトに吸殻を捨て、裏路地を進む。  斬魔――呪いから生まれる妖魔を討つ者たち。社会の裏で血と命を賭して戦う彼らは、ヒーローという虚飾の下、過酷な運命に縛られる。初戦の死亡率は20%を超え、生き残った者も心に傷を負う。銀次は、その傷を宿命と嘲りながら、上級討魔官として剣を握る。だが、その刃は、英雄の栄光ではなく、生贄の血で濡れているのかもしれない。  この戦いは、単なる妖魔退治ではない。教団の陰謀と斬魔の宿命が交錯する、銀次の運命の岐路。血と闇の中で、彼は何を見、何を斬るのか。過去の冷たく薄暗い人生に、未だ見ぬ光が差し込む予感を、剣の刃先に宿しながら――。

 たった一つの捨てられない命を前にした時、人は何を捨てるべきなのだろうか。


 命を掛けてお前を守る、絶対に。そんな軽い言葉で彼女の命を支えられたのならば、俺の存在は命一つ分の価値しかない。薄暗い人生に光を与え、後戻りできない今となってはこれ以上の言葉を幾らでも吐き出せるのだから。


 重いんだよ、お前の言葉は。言葉を失い、瞳だけで会話をしようとする彼女へ俺はどんな言葉をかければいい。もっと話していれば、もっと心の内を曝け出していれば、彼女の心の声を聞くことができたのに。


 眠るように祈りを捧げ、瞼を閉じた少女の頭をゆっくりと撫でる。傷んだ髪が指先に絡まり、数本抜けて腐った床板にハラリと落ちた。痛いはずなのに微笑みを浮かべ、俺の手を握った彼女の手は柔らかい温もりに包まれていた


 もう後戻りはできない。俺が俺であるために、彼女の願いと祈りが大地を癒やす為に、剣を握って最期の戦いに臨むとしよう。己の役割を全うし、全てを清算する。その後のことは……何も考えていないのだから。


「行ってくる」彼女の手を握り返し、小さく微笑み「また会えるかどうか分からないけど……絶対に帰ってくるよ。もう、嘘は吐かないから」朽ちかけた教会のドアを蹴破り、有象無象の黒服達を睨む。


 ざっと見て百人……いや、狙撃手を加えれば百五十。後方支援部隊も数に入れたとしたら三百人程だろうか? 緊張した面持ちで武器を構え、足を竦ませた黒服を一瞥した俺は剣を構えると手始めに目の前の敵を斬り殺し、号令も無しで戦闘態勢に移行した戦闘員を瞬時に把握する。


 能力を発動した者が五十、準備段階に入った者の数は四十、肉壁として立ち向かってくる低位の戦士が十。剣で胸を貫き、そのまま盾として構えた俺は狙撃手の弾丸を防ぐ。


 一対三百……組織に属していた頃であれば、手持ち無沙汰でしょうがないと笑っていただろう。前線に出張る戦士だけで片がつくと缶コーヒーを片手に、上の指示を待っていたところだ。


 しかし、組織の敵性勢力として戦場に立てば戦慄してしまう。死に物狂いで得物を振るい、此方を仕留めようとしてくるのだから。能力による炎の渦を切り払い、氷の柱を踏み砕き、隙を狙う戦士の首を一閃で弾き飛ばした俺は浅く息を吸い込み、己の能力を発動する。


「ッ! 戦鬼の能力が発動するぞ! 術師は防衛陣地を」


「おせぇよ、雑魚が」


 焦りを隠さずに後退する戦士の四肢を切り落とし、能力で生成した黒鉄の甲冑を身に纏う。


「これで十」驚愕の色に染まる能力者を真っ二つに斬り裂き「十五」屍血のように暗い大剣を振り回しながら「二十五」屍の山を築いていた矢先に、狙撃手の弾丸が俺の脳を貫いた。


「―――」


 思考が白に染まり、意識もまた遠のく。


「―――」


 死という現実が牙を剥き、魂を齧り取る異様な感覚が全身を駆け抜け、命の終焉を直感的に理解した。

 だが「―――」まだ終われない「―――ッ!!」死の影に覆われる命の一部を削り取り、能力の強化へ回した俺は吹き飛ぶ身体を両の脚で支え、脳の奥にまで食い込んだ弾丸を自力で排出する。


「な、あ」


 黒服はあり得ないと大きく目を見開き、銃を構えて引き金を引く。装甲の隙間を縫って肉を貫く弾丸は能力の強化を受けた特殊弾頭だ。普通の人間……妖魔ならばひとたまりもないだろう。


 荒い息を吐き、黒ずんだ血を吐きながら突撃する。術者の防御陣地を切り崩し、狂ったように剣を振るう。生温かい血が頬に飛び散り、命による強化を施された甲冑が敵の血を啜り、金属を擦り合わせたように嘶いた。


 もう後戻りは出来ない、人としての生を捨てたのならば。脳裏で誰かが囁き、真っ赤に濡れた手で甲冑の装甲を撫でる。


 背を向けたのならば、突き進むしかあるまいに。口から血の泡を噴き出した老人が優しい笑みを浮かべ、俺の背を押す。


 信じていた、裏切らないと思っていた、だけど……貴男はそれを選択した。脳天を砕かれながらも、呆れたように溜息を吐いた女が煙草を咥え、紫煙を吐く。


 命に手を付け、残り少なくなった魂の盃から力を引き出した瞬間に俺は既に道を違えていたのかもしれない。戦う為に命を燃やし、生き残る為に魂を削り、最後は守る為に死を引き延ばしているだけ。


 血塗れの手が足に纏わり付き、頭蓋を割られた死人の顔が俺の眼を覗き込む。だが、そんな幻覚は一瞬の出来事で、命を燃やす禁術の影響から黒い炎に巻かれて塵となった。囁く誰かも、老人も、女も……俺が殺した人間が記憶と共に消えて無くなってしまう。


「ッ!!」


 パキリ———と、脳の奥で何かが割れた音がした。


 ドス黒い血を吐き出し、剣を支えにして立ち続ける。視界が真紅に染まり、術を放とうとした術師の腹へ刃を突き立て、獣のように叫ぶ。狂ってしまわぬように……彼女のことだけは忘れまいと。


「愚かなものだな……神代」


 静かで底冷えするような声が鼓膜を叩き、戦闘服を着込んだ男がメカメカしい戦闘義肢を唸らせる。不味い―――そう思ったのも束の間、義肢から射出された無色透明な糸は俺の四肢を拘束し、宙に吊るす。


「師を殺し、魔我利を斬り、最後は斬魔をも裏切るとは……気でも狂ったのか? 貴様は」


「……大神、さん?」


「貴様に名を呼ばれる筋合いは無い。既に貴様は処分対象に入っている。聖女共々死して償え、戦鬼」


 漆黒の防御コートを風に靡かせ、能力者用戦闘義肢を軋ませた男……大神総一郎は憎悪と怨嗟を孕んだ目で俺を睨む。


「……大神さん」


「黙れ、黙ってくれさえすれば楽に殺してやる」


「違う、違うんだ、大神さん。俺は……アンタに頼みたいことが」


「黙れと言っているッ!!」


 右腕に激痛が奔り、ボトリと嫌な音が鼓膜を叩く。そっと視線を足元に這わせ、綺麗に断ち切られた右腕を眼に映した俺は叫び声を噛み殺し、タール液のような粘り気のある血を垂れ流す。


「貴様は育ての親を、家族と呼ぶべき斬魔を裏切ったんだぞ⁉ 分かっているのか⁉ 殺すべき聖女を匿い、逃げ続けた結果がこの殺戮か⁉」


「……」


「何とか言ったらどうだ⁉ 斬魔序列第三位、戦鬼!!」


 全部俺が悪いのは分かっている。組織……斬魔を裏切り、育ての親である師を殺し、この剣で魔我利を斬ったのは仕方のないことだった。そうしなければこの大地は呪いに蝕まれ、世界は終焉を迎えていたのだから。


 世界を救い、命を生かす。二つの命を祈りに捧げ、たった一つの願いを叶える為に全てを捨てた。後戻りはできないのは痛い程に理解しているし、後ろを振り向けないのならば残された道はただ一つ……進むだけだ。魂の盃から最後の命を掬い、斬魔序列第一位をこの手で無力化する。


「一つ……聞きたいことがある」


「……」


「彼女の選択は、彼女の人生は、間違いだったのか?」


「あぁ」


「あの涙も、言葉も、祈りも……誰かを助けたいって願いも、アンタには嘘に見えたのか?」


「聖女の存在そのものが間違い……産まれてきたこと自体が罪なんだよ戦鬼ッ!!」


「……そうか、なら、俺は大神さんを」


 放ってはおけないッ!! 最後の命を燃やした瞬間、細胞が黒い炎に包まれる。


 黒鉄の装甲が音を立てて変形し、切断された右腕の代わりに鋼の腕が飛び出し生える。斬魔序列第一位、闘争者を無力化させるにはまだ足りない。戦闘義肢から繰り出される能力の糸を知覚できる反応速度、強靭無比な妖魔の手足、人間を超越しなければ大神総一郎は倒せない。限界を超える強化を肉体に施し、人としての生を自らの手で断ち斬ろう。


「戦鬼、貴様はッ!!」


 糸を引き千切り、紫電を散らす戦闘義肢と拳を交わす。鋼と鋼が激突し、腕が裂け、血が噴き出す。壊れた腕に更なる強化を施すと記憶の一部が砂の城のように崩れ、炎に巻かれて焼け消えた。


 最早自分が誰なのかも、何故戦っているのかも、何を守りたかったのかも曖昧だ。戦えば戦う程に俺が壊れ、魂の盃が空になる。魂……命とは血の記憶。記憶を燃やし、力に変えるが故に禁術と呼ばれる人の業。無茶苦茶に叫び、目の前の『男』の腕を断った俺は大剣を横薙ぎに振り抜き、糸を繰り出す戦闘義肢を破壊する。


 男の瞳に焦りが見え、直ぐに冷静さを取り戻す。恐らく奴の能力は一つじゃない。糸を操る能力も全体の一部分。思い出せ、消し炭になった記憶から男の能力を―――。


「温いんだよ、戦鬼」


 身体が動かなくなり、四肢もまた硬直する。一瞬の隙を見逃さず、男は生身の右腕を膨張させ、


「死ね」


 空間の固定化を解除し、破滅的な力を俺の腹に打ち込んだ。


「ガ――あッ」


 固定化した空間を撃鉄を弾くように爆発させ、火薬式杭打機の如く撃ち出された拳は一撃で装甲を打ち砕く。 


 そうだ、男の能力は空間固定能力。戦闘義肢は固定能力をピアノ線に付与するための補助装置に過ぎず、奴の肉体強度は大型妖魔かそれ以上。


 破裂した内臓が血から吹き出し、喉奥を通って吐き出される。男は決着がついたとばかりに歩を進め、大の字で倒れた俺を一瞥するだけ。


「戦鬼……いや、神代銀次」


「……」


「貴様の目的は何だったんだ?」


「俺は……ただの、時間稼ぎ……捨て駒さ」


 大地が震え、木々もまた揺れる。夜空を飲み込む奈落の雲が稲妻を迸らせ、地上へ世界の呪いを吐き出した。


「……アンタ、多分……強い人なんだろ?」


「……」


「頼みが……あるんだ。戦えない人を、自分よりも弱い誰かを、守ってやってくれ。俺は……彼女を、聖女を守るから。頼むよ……」


「貴様、俺が誰だか分からないのか?」


「……ごめん」


 俺の命は、魂の盃は空っぽだ。もう何も覚えちゃいないし、愛する彼女の顔を見ても誰だか分からないだろう。だが、一つだけ覚えていることがある。


 必ず帰る、もう嘘は吐かない。真っ黒い血を垂れ流しながら立ち上がり、剣を引きずって男の横を通り抜けた俺は、祈りを捧げる少女の後ろで剣を構える。


「……なぁ」


 彼女は何も答えない。


「……生まれ変わったら、普通に生きよう。普通の恋をして、愛し合って、話をしよう。こんな最後にならないように……またお前を守るよ。だから……もう休んでもいい。十分頑張ったよ……お前は」


 男の姿は何処にも無い。代わりに聞こえたのは大型妖魔の嘶きと金切り声。少女の冷たい頬を撫でた俺は「お休み……久遠」壁を崩して雪崩込んできた妖魔へ刃を奔らせた。

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