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第一章

薄暗闇の男


 ネオンに煌めく繁華街は男と女が交わる一種の交差点……欲望の坩堝と例えられるだろう。


 薄闇に映える電光掲示板と背の高い電信柱、夜空を遮る電灯の明かり、後ろ暗い連中が集まる路地裏。繁華街に蔓延する雑多な香水の香りを肺一杯に吸い込み、ゲェと舌を出した俺は引っ切り無しに声を掛けてくるキャッチを素通りする。


 「お兄さん、可愛い子いるよ? どう? 二時間飲み放題二千円! ウチは安いよぉ?」


 「ワリィ、いま金ねぇんだわ。タダなら飲みに行くけど?」


 「冗談!」


 「そ、じゃぁな。商売頑張れよ」


 金が無いのは嘘だ。財布の中には多少の金が入っているし、何ならカードもある。ボッタクられたとしても、相手がただのヤクザやマフィア程度ならば何も問題は無い。煙草を咥え、紅い火種を灯した俺は紫煙を吐く。


 繁華街に酒を飲みに来たワケではない。女と寝るつもりは無いし、キャバクラで遊ぶ必要も無し。単に仕事の為だ。空になった煙草のソフトケースをくしゃくしゃに丸め、排水口へ捨てた俺は裏路地へ足を向けると携帯電話をスーツの胸元から取り出す。


 着信履歴が一件、名前は如月鏡花。仕事仲間からの着信にうんざりしながらも電話を掛け直し、応答を待つ。


 『もしもし? 貴男いま何処にいるの?』


 「現場に向かってる途中。何だ? お前はもう着いたのか?」


 『とっくの昔に。貴男ね、社会人なら十分前行動って言葉知らないの? こっちはもう準備万端なんだけど』


 「仕事熱心だねぇ、別に俺が居なくても現場は回るだろ? いや、そもそも俺が行く程の任務なのか? 鏡花ちゃん」


 『……三人死んでるのよ』


 「へぇ」


 『斬魔の戦士が二人、そして術師が一人。言ってる意味分かる?』


 「勿論」


 『なら』


 「ならソイツらが弱かっただけだ。まともに戦えないクセに妖魔の巣に足を踏み入れて、逆に狩り殺された。食物連鎖で言うなら、今回の死亡案件は豚が人に食われただけ。何も可笑しいことじゃないし、悲しむことでもない。お前が熱くなる必要もないってワケだ。オーケー?」


 『最ッ低。人の心分かる? アンタ』


 「そう言ってくれたら気が楽だね、俺もさ」


 喚く如月との通話を切り、密かに愛し合う男女を一瞥した俺は煙草の吸殻を黒ずんだアスファルトの上に捨てる。


 斬魔……呪いから湧き出る妖魔を斬る者達、社会の裏で秘密裏に動く能力者集団。戦士と術師から構成される三人一組のチームで戦い、魔我利と呼ばれる存在から下される任務を遵守する組織の名称。物心付いた頃から戦場に立たされる者も居れば、日常と非日常を往復しながら任務に励む者も居る。一見すれば命を守るヒーローのような存在。


 だが、現実は血生臭い戦いの方がずっと多い過酷な仕事だ。下位の戦士であれば任務は命懸けで、初戦での死亡率は裕に20%を超え、もし生き残れたとしても殆どの斬魔が心的外傷を負う。傷を使命で覆い隠し、苦しみを宿命で誤魔化せる人間だけが斬魔として生きることが許される。


 呪いを斬る為に血を流し、濁り固まった犠牲で流出する呪いを塞ぐ。哀れというか、愚かと見るか……。終わらない戦いだと分かっていながらも剣を握り、命を削る。英雄とは身を捧げる者だと揶揄されるが、斬魔は一歩間違えば生贄として妖魔に捧げられる立場であるのだろう。


 新しい煙草を口に咥え、小綺麗に見える五階建てのコンクリートビルに近づいた俺は入口でタブレットを操作する女……スーツ姿で此方を睨む如月へ手を振った。


 「遅いんだけど」


 「五分前だろ?」


 「上からの突き上げが酷いのよ。さっさと処理しろってね」


 「あっそ。無視しろよそんなもの」


 「……あのねぇ、貴男自分の立場分かってんの? 神代銀次上級討魔官」


 「分かってる。だからそう怒るなよ、如月鏡花担当官殿」


 吸いかけの煙草を踏み消し、如月から鞘付きの剣を受け取った俺はビルの自動ドアを蹴り破る。任務の為に予め警備装置を解除してくれていたのか、監視カメラの録画ランプが死んでいた。


 「銀次」


 「ん?」


 「忘れ物」


 如月から髑髏の仮面と骨伝導通信機を投げ渡される。


 「要らないなら返してもいいわよ」


 「助かるよ」


 「どういたしまして」


 通信機を耳に掛け、仮面を被った俺は眼孔レンズを通してフロントを見回す。


 綺麗に掃除されているが血飛沫の跡は消えていない。屍血の臭いも濃く残り、血痕を辿った先には給湯室と書かれた部屋がある。


 剣を振り上げ扉を斬る。粘ついた赤黒い血が流れ出し、ブーツの爪先で揺れた。


 「……」半透明な皮膜で覆われた人間大の卵が胎動し、その奥には溶けて変形した斬魔の戦士が身を丸めて眠り「……」呪いの影響で徐々に肉体を妖魔へ変質させている最中だった。


 このビルに妖魔の巣があることは間違いない。卵を潰して回り、呪いを生み出す妖魔を殺す簡単な仕事。だが、問題が無いワケではない。


 ビルの所有者は公的記録によれば信濃川祐清という個人だ。繁華街の路地裏といえど土地代は安くなく、ヤクザの地上げも考慮しなければならない上に不動産収入も必要な筈。


 「……」


 五階建ての空ビル。元々は複数の企業が籍を入れる予定だった。しかし実際はテナントの一つも存在しないもぬけの殻。卵の中で眠る幼体を斬り殺し、濃い血の香りを嗅ぎ取った俺は天井へ剣先を向け、筋繊維を剥き出しにした血濡れの妖魔へ刃を突き立てる。


 「鏡花」


 『なに?』


 「ビルの所有者……信濃川の金は何処に流れていると思う?」


 『謎掛けのつもり? そんなものとっくの昔に判明してるわよ』


 「教団か?」


 『正解。ビルの所有権は信濃川名義だけど、管理保安関係は全て教団が保有する企業群ね。妖魔の巣って私達は言うけど、奴らにとっちゃ』


 「妖魔の培養施設ってワケか。なるほど、俺が呼ばれるワケだ」


 頭部を丸々脳で埋め尽くし、天井から落ちた妖魔の首を断った俺は仮面のズレを直す。


 大地に呪いを振りまき、妖魔による世界救済を掲げる狂った集団。太古の昔より斬魔と血で血を洗う戦いを続け、現代まで因縁を引きずるカルト共。自らを『救世の血』と名乗る狂信者は妖魔を増やす手段を選ばない。


 教団は塵か屑の何方かだ。まともな連中は世界に絶望しても誰かに縋らないし、泣きつかない。人を呪わば穴二つという言葉が示すように、呪いの養殖に手を貸す人間は妖魔諸共殺し尽くす。


 濃い闇の気配が背後に溜まり、金切り声が静まり返ったビル内に木霊する。錆つき腐った刃を両腕に代わりに振り上げ、赤子のような歩き方で現れた妖魔……腐刃を見据えた俺は息を浅く吸い込みマニュアル・ギアを脳内に思い浮かべる。


 能力の発動……斬魔に属する討魔官が持つ異能力を引き出す為に必要なものは繊細なイメージと思考的動作理解の二つ。炎を操る能力者であれば脳内に火炎放射器を思い浮かべ、己の肉体を通して放出するイメージ。俺の場合は自動車のギアチェンジ。段階的な肉体強化手順を踏むこと。


 戦いで気分が良くなったことも、己の能力を過信したことなど一度も無い。妖魔は呪いが意志を持ち、形を成した半人間的生命体の一種。あのおぼつかない足取りは戦士に戦闘力を悟らせない為の拙い策。クラッチを踏み、ギアをローへ入れた俺は重い一撃を腐刃の横っ腹へ叩き込み、足元から這い出たもう一体の妖魔を蹴り上げる。


 敵の気配は三体だけ。目に見える敵は二体で、もう一体は何処かに潜んでいる筈。


 「……」血濡れの刃が仮面を掠め、音を立ててドロリと溶けた「……」戦闘行動が続いているのならばギアを上げるべきか。ローからファーストへ段階を進ませ、肉体強度を引き上げた俺は闇に紛れるもう一体の腐刃を見据え「……」地面の妖魔の脳を潰し、スーツの生地を焼きながら一太刀で目の前の腐刃を両断する。


 仲間……妖魔に仲間という概念が存在するのかは不明だが、同胞を殺られて黙っている生物は居ない。闇に紛れていた腐刃が金切り声を上げながら四足歩行で襲い掛かる。


 「トロいんだよ、雑魚が」


 刃を振り下ろす単調な攻撃動作を軽くいなし、剣を地面に突き立てた俺は敵の両腕を掴んで一気に千切る。緑と赤が入り混じった体液を撒き散らし、ジタバタと転がる腐刃の姿はまるで悪戯に羽根を捥がれた蜻蛉のよう。剣の柄を握り、妖魔を滅多刺しにした俺はエレベーターへ視線を向ける。


 動く数字と低い駆動音。剣にこびり付いた血を振り払い、扉が開いた瞬間に駆け出した俺は黒衣の男の胸を刺し貫き、妖魔を呼び出そうと身構えた女をエレベーターの壁に叩きつけ、


 「よぉ教団員、少し聞きたいことがあるんだが……全部話してくれると助かるね。俺としても」


 開閉ボタンを強く押す。




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