「では行ってまいります」
一人のエルフが世界樹の麓をたつ。その名はシンラ。100年前の戦いのおり、勇者と共に魔王と戦ったエルフだ。
「うむ。勇者殿によろしくな」
勇者が世界を超え帰還した魔力を感じたのは、もう数か月も前の事だ。帰還後は、自分の元にそれを伝えに来るとばかりシンラは思っていた。
『帰ってきたら、酒を酌み交わそう』
そう約束していたから。
その際は、世界樹の雫で作った神事でのみ振るわれる物をシンラは振舞うつもりだった。だが待てど暮らせど、勇者がエルフ達の暮らす世界樹に訪れる気配がない。
まさか約束を忘れてしまったのか? そんな考えがシンラの脳裏を過る。
長寿のエルフにとって、100年は体感的にそこまで長い時間ではない。だが人間は違う。100年という歳月は、人の思い出を風化させるには十分な時間と言える。ましてや、それが魔界で苛烈な戦いの日々を過ごして来たものなら猶更だろう。
だからシンラは世界樹から旅立つ。かつて背中を預け合った戦友との約束を果たすため。たとえそれを相手が覚えていなくとも。
「コーガス侯爵家が没落しただと!?」
タケルは間違いなくコーガス侯爵家へと戻っているはず。そう確信を持っていたシンラは、旧コーガス侯爵邸の在った場所でその没落を聞かされ、唖然とする。世界を救ったと言っても過言ではない勇者のルーツが、たった100年足らずで無くなるなど、エルフでは考えられない事だったからだ。
「信じられん話ではあるが、それが事実ならタケルは一体……」
コーガス侯爵家は、勇者タケルへと繋がる唯一の手がかりだった。それが失われた以上、何の伝手も持たないエルフに人を探し出す術はない。
帰還を知った時の様に、魔力を感知すればどうか?
それは不可能である。空間を超える様な強烈な魔法だからこそ、シンラはその魔力を感じる事が出たのだ。なのでタケルが余程強力な魔法でも使わない限り、魔力を見つけて探し出す事は出来ない。
「見つけるのは無理か。なら……」
この状況で一番確実なのは、見つけるのではなく、見つけて貰う事だとシンラは考えた。自身の名が響けば、向こうから接触してくるかもしれないと。
「だがエルフとして目立つのは不味い……」
現在、人間とエルフはほぼ不干渉状態にあった。だがもしシンラが名を売って好奇心を掻き立てれば、人間が過度に接触を求めて来る可能性が出て来る。そうなれば、他のエルフ達に迷惑をかける結果になりかねない。
「エルフとバレずに、あいつが気づきそうな方法が何か……」
――その時、シンラの脳裏にある名が浮かぶ。
かつて勇者タケルから聞いた、幼少の頃飼っていたという犬の話。犬の名は個性的な物だったので、その名を名乗って目立てばひょっとしたらタケルは気づくかもしれない。
そう考えたシンラは――
「ダメ元でやってみるとしようか」
――ブルドッグと名乗り、エルフである事を隠して動き出した。
「あれは……」
そして名を上げるために出場した王国武闘祭本戦で、彼女は特殊な瞳によって見つけだす。姿形は違うが、勇者タケルと全く同じ魔力を持った者達を。
「魔法による分身か何かか?タケルの奴は一体何をやっているのやら……」
タケルを見つけた時点で大会に出る意味は無くなっていた。だが、シンラはそのまま出場する。
「久しぶりの再会だ。この100年で磨いた私の腕をあいつに見せてやるとしよう」