夜明けの気配が、わずかにカーテンの隙間から忍び込んでくるころ──俺はついに限界を迎えていた。
「はは……ついに三日連続オール達成か。ラノベ作家としてこれ以上ない勲章だな、うん。……いや、普通に死ぬぞコレ!」
机の上には、空になったエナジードリンクの缶が十本以上、小さなピラミッドを作っている。モニター画面には赤い点滅字幕で「第17回異世界ラノベ大賞・応募締切:あと2時間」が踊っていた。俺、茶川龍介(ちゃがわ・りゅうすけ)、42歳。売れないラノベ作家の悲哀と誇りを背負い、必死で原稿を仕上げた。
「……よし、これで限界だ。いや、むしろこれ以上の文章は俺の脳内から出てこない!」
目を閉じた瞬間、部屋の空気がスッと変わった。
ふわり。
「お疲れ様でした、龍介さん。いや、リュウとお呼びすべきかのう?」
耳元で響いたのは、澄んだ老人声。慌てて目を開けると、そこには銀髪の長髪を背中に垂らし、虹色に輝く羽根をたなびかせた存在が、天井からゆっくりと降りてきていた。ローブは淡い蒼色で、裾がゆらゆらと宙を撫でている。
「えっ、え? ……夢? それとも幻覚? や、ヤバい、エナドリって違法だっけ!?」
「違わぬ。これは夢ではない、ラノベの神じゃ。三徹の執念を持つ者にのみ現れるという伝説の存在……見事じゃ!」
「マ、マジでラノベ神!? そんな設定公式じゃないでしょ!?」
ぽかんと口を開ける俺に、神様は微笑んだかと思うと──
「ほれ、お主の努力、無にせぬぞ。転移のチャンスじゃ。望む世界を申せ」
「き、来たコレ! 異世界転移!?」
心の中でガッツポーズ。俺は畳の上に正座し、両手を組んだ。
「神様! どうか、どうかファンタジーな世界に転移させてください! 魔法が使えて、ドラゴンもいて、スローライフで、ハーレムもあって……とにかく全部入りの異世界に!!!」
「お主、欲張りじゃな……ふむ、よかろう。ついでに16歳に若返らせてやろう。ほいっ」
神様が指をぱちん、と鳴らす。その刹那、部屋の壁がグルグルと渦を巻き、世界が大きく揺れた。
「……あ、ちょ、ちょっと待って! スローライフとハーレム、設定が噛み合ってないんじゃ……!?」
気づいたときには、もう──
外は青々とした森。柔らかな木漏れ日が風に揺れる葉の隙間から零れ落ち、薪がくすぶるログハウスの前へ、俺はパンツ一丁で立っていた。
「……なんで服がないの!? ていうか、パンツ一丁!?」
辺りを見回すと、背後で木の隙間に囲まれた小さな小川がきらきら光り、鳥のさえずりが心地よい。どこかで小動物の足音が枝をかすめる。草の匂い、湿った土の匂い──異世界感は満点だが、俺の全身を駆け抜けたのはただ一つの感情。
神様、ちょっと雑すぎるやろ!
だが、この春めいた朝こそ、俺の異世界スローライフ(ただし執筆付き)が幕を開けた瞬間だった。ーー全ては、ここから始まる。