「
そこは黒い部屋だった。照明が切れているのではなく、正真正銘部屋一面が黒で塗り潰されている。室内には厚みのある大きな机が一つ置いてあり、それも黒一色で、自然な形で黒い室内に溶け込んでいた。
「ふふ、面白いではないか」
その机の主は、漆黒のゴスロリ服に身を包む幼い少女だった。前髪は綺麗に刈り揃えられ、長く伸びた後ろ髪は首元から1本に編み込まれている。その吸い込まれそうな程大きな黒い瞳には、見る者を惹き付けてやまない魔性の輝きが宿っていた。
ここは生徒会長専用の執務室。そして少女の名は
「そうは思わんか?」
薄く笑う口元には、年不相応な黒いルージュが引かれている。その出で立ちから少々怪しい雰囲気を醸し出してはいるが、荒木真央はまごう事無き美少女だった。100人に尋ねれば、100人が全てそれを認めざる得ない程の。
「……」
生徒会長に問われたが、その前に立つ氷部澪奈はその言葉には答えず、ただ押し黙るのみ。言い訳の利かないレベルの完敗ではあったが、自分がやられた事を面白いと言われ、それを笑顔で返せる程大人ではなかったからだ。まあまだ16歳の少女に、それを求めるのも酷という物だろう。
氷部が此処にいるのは、昨晩の事件の報告をする為である。6人の狼藉者の事だけなら、風紀委員内で処理するだけでも良かっただろう。だがその後にグラウンドを自身の能力で滅茶苦茶にしてしまっているので、流石にそういう訳にも行かなかったのだ。
「本来なら一般生徒を襲い、学園の施設を破損させたペナルティを課す所ではあるが……お主の境遇の事もある。ま、今回は見逃してやろう。幸いその生徒は怪我一つしておらぬそうじゃからのう」
「ありがとうございます」
最後の一言は嫌味であったが、スルーして氷部は頭を下げる。
「流石は荒木様!その御寛大な裁定にこの四条、身の震える思いで御座います!」
部屋の中には7人の生徒がいた。荒木の執務机の横に黒い制服――本来学園の制服の色は青――を着こんだ4人。そして机の前に氷部澪奈と、その横には制服の上から赤いマントを羽織った軽薄そうな男が1人。
今声を上げたのは、そのマントを身に着けている男だ。
彼の名は
四条は生徒会長の御機嫌を取る様に、ニコニコ笑顔で大仰に彼女を褒め称えた。それを見て、荒木真央は明かに嫌そうな顔をする。その眼はまるで汚い虫を見るそれだ。
「下らん世辞は良い。それより、お主には苦情が山積みじゃ。主に女生徒からのセクハラでの」
「はっはっは。彼女達は照れているだけですよ。御心配なく」
馬耳東風。セクハラを照れと笑って言い切る四条を見て、真央は大きく溜息を吐く。
「四条よ。そう何度も醜聞を見逃してやる程、私は甘くないぞ?」
荒木真央は実質的な学園の支配者である。だが強権を学園内で振りかざす事を好ましく思っていない為、彼女は余程の事がない限り、物事には寛容に対応するつもりだった。しかしここ最近の四条の行動は、そんな荒木からしても流石に目に余る物があったのだ。そのため、いっそすっぱり目の前の男の首を切って、とっとと氷部に風紀委員長の座を移すべきかと本気で思案していた。
「お!お待ちください!この四条!必ずや貴方様のお役に立つ事をお約束します!」
問題を起こすなという警告に対し、役に立つというずれた返答が返って来る。
ここまで来るともはや笑うしかないだろう。どうやら彼は状況認識能力が絶望的な様だ。
「妾はこれから三週間、所用で学園を空ける。その間に少しでも問題を起こす様なら、お主には責任を取って貰う。その時は風紀委員長――いや、風紀委員からも除名じゃ。覚悟しておけ」
愚かな返答に即刻首を言い渡されてもおかしくはなかったが、荒木真央は四条に、巻き返しのラストチャンスを与える。彼女がチャンスを与えたのは、四条のその能力の高さ故だ。
腐っても四天王。その強さは他の一般生徒を寄せ付けない。そのため問題児ではあっても、風紀委員としては優秀だった。実際、彼は委員長としてこれまで多くの争いを諫めて来てもいる。
「そ!そんな!どうか考え直しを!」
四条は見栄っ張りであった。だが自身の強すぎる承認欲求を満たすには、四天王という肩書だけでは到底足りない。その為、彼は風紀委員長という立場に強く固執していた。その席を失うかもと、彼は慌てふためく。
まあ3週間大人しくしておけばいいだけの話ではあるのだが、荒木に食い下がるあたり、本人にその気が全くない事がハッキリと伝わってくる。
「話は此処までじゃ。二人とも、もう帰ってよいぞ」
真央は四条の見苦しい言葉を無視し、退室を促した。
「荒木様!わたっ!?う……し、失礼します!」
四条はそれでも口を開こうとするが、荒木の射抜く様な視線に身の危険を感じ、そそくさとその場を退散する。愚かな男ではあるが、彼女を本気で怒らせてはいけない事ぐらいは理解している様だ。
「失礼します」
そんな彼の行動を冷ややかな目で見ていた氷部も、軽く頭を下げてから退室する。
「やれやれ。あれでもう少し性格が真面なら、良い駒になったんじゃがな。まさかここまで拗れようとは」
彼女は自身の体に対して大きすぎる黒い机に肘をつき、呟いた。
「まあ、あれだけ盛大に振られれば致し方ない事かと」
それまで黙っていた黒服の女生徒が口を開く。彼女の名は
「たかだか失恋如きで情けない奴じゃ」
半年ほど前、四条はある女生徒に振られている。それも大勢のギャラリーの前で堂々と告白し、「キモチ悪い」の一言でバッサリと。
それ以来だ。彼の奇行が始まったのは。誰彼構わず女生徒にアプローチをかける様になり、校内でカップルを見つけると因縁を吹っかける。今の彼は完全に輩以外の何物でもなかった。元々素行に多少難のある人物ではあったが、ここ迄酷くなったのは間違いなく失恋が原因だろう。
「氷部も罪な女じゃのう」
四条がこっぴどく振られた相手は、他でもない同じ風紀委員の氷部澪奈だった。同職であるため少しは気を使いそうな物だが、彼女は遠慮なく告白を斬り捨ててしまっている。
「私には、氷部さんが最初っから四条さんを嫌っている様に見えました。寧ろあの状況で、何故告白したのか理解に苦しみますね」
「まあな」
茨木の言葉に、荒木真央がにやりと笑う。彼女も副会長と同意見だった様だ。実際誰の目から見てもそれは明らかだったので――『何故四条は告白したのか?』——というのは、関係者全員に共通する大きな謎となっている。
「ま、あのアホの事は良いじゃろう。答えは3週間後に出る。それよりも……捕らえた六人への教育は、今度こそしっかりするよう伝えておけ」
氷部を襲った6人は、1年前違法薬物――ブーストに手を出した事で彼女に捕縛されていた。1年かけて更生施設で薬物の依存症を克服し、やっと学園復帰が叶ったというのに、氷部に報復しようとしたせいで彼らはまた施設に逆戻りだ。
しかも荒木真央の鶴の一声で、きつい更生プログラム付きで。哀れな物である。
「はい、お任せください。特段きつく締めあげるよう、施設長には伝えておきます」
「では、今日は此処までじゃ。妾は明日からアメリカじゃからの。後の事は頼んだぞ」
「「お任せください」」
荒木真央の言葉に、黒制服の生徒達は返事を返し頭を下げた。下僕達の反応に満足そうに頷いた彼女は、執務室を後にする。