「し、失礼しま、す?」
ワンルームとは言え、玄関からリビングが丸見えは女性向け物件として良くないと考えられたんだろう。
その扉前に立って恐る恐る中へ声を掛けたら、「ああ、入れ」とやけに偉そうな男の声がして。
(ちょっと待って? 考えてみたらここ、私の家じゃなかったでしたっけ?)
羽理は、(何でゲストの貴方が我が家の主導権を握ってらっしゃいますかね?)と思ってしまった。
でも、その言葉遣いからして、中にいる人物が常日頃からそういう口調に慣れた立ち位置にいる人間なのだと再確認出来て。
(やっぱり見間違いなんかじゃなく……あのご
そう思い至った途端、羽理は別に会社でもないのに何だか緊張してきてしまった、――のだが。
ふと自分の格好を
とりあえず、緊張のあまり冷たくなってしまった手でそろぉーっと引き戸を開けてみたら、物凄く不機嫌な顔をした半裸の男性が、猫の顔の形をした天板が載ったローテーブルに
「ひっ」
思わず言葉にならない悲鳴が漏れてしまった羽理だったのだけれど。
すぐに『いやいやいや!』と気持ちを切り替える。
「な、んで……
しかも真っ裸で――。
心の底からそう付け加えたかったけれど、ジロリと睨み上げられた羽理は、何となくそれは指摘してはいけない気がしてしまった。
「その口ぶり。お前は……俺を知っている人間ということか。――最悪だな」
盛大に溜め息をつきながらそう言った
「なぁ、すまんが突っ立ったまま話されたら……その……目のやり場に困る。とりあえず座ってくれないか」
トントン、と机上を指先で叩きながら、自分の正面へ座れと
どうやら目の前に羽理の太ももがきているのがいけなかったらしい。
(部長ってば見た目は怖いのに案外純情なところがありますね!?)
と思ったと同時、(じゃあ、やっぱりアレは……もしや私の裸を見てお
それでだろう。
エッチシーンありなティーンズラブ作家としての本能か。
半ばネタ探しの取材気分。
「あ、あの……私が立ったままで居たら、もしかして部長の部長も
などと有り得ないことを問いかけてしまったのは。
***
「はぁ!?」
最初から妙な女だとは思っていた。
そもそもこの部屋からしておかしい。
やたら猫だらけで落ち着かないことこの上ないではないか。
(せめて犬にしろ!)
などと思いながら、今現在その三毛柄のタオルに辛うじて大事なところを覆って頂いている事実を思い出した
いきなり何を言い出すんだ?と思うのは正解だよな?と自問自答せずにはいられない。
(今のセリフ。やっぱり彼女、俺が
そう気が付いたら、『こんな可愛い子に嘘だろ!?』と叫び出したいような気恥ずかしさと情けなさに、机へ突っ伏したくなった
だが。
そうしたところで現状を打開出来るわけではない。
長く社会人をしていれば、いま目の前にいる彼女みたいに、本筋とはひどくかけ離れた突拍子もないことを言ってくる人間と言うものは少なからず存在する。
そういう不思議人種の軌道修正をさり気なく行うことも、上に立つ人間には必要不可欠なスキルだ。
***
だから
でも――。
残念ながら一度口にしてしまった言葉は取り消せないことも十分理解しているつもりなのだ。
ならば、せっかく恥ずかしい思いをしてまで投げ掛けた質問をスルーされてしまうのは、何とも悔しいではないか。
そう思った結果、
そもそも、ひどく整ったハンサムぶりに誤魔化されてしまいそうだけれど、目の前の男は人様の家の風呂場へ〝裸で〟不法侵入してくるような変態部長。
そんな変態さん相手に、少々エッチな質問を投げかけたところで叱られる義理はない!……と、思う。
(むぅー。腰のタオルをピラリとめくって確認するわけにはいかないんだから、ちょっとくらい教えてくれたっていいのにぃーっ!)
実は自分の身体が異性にとって魅力的なのかそうでないのか。
それ自体が、
このところリアルな恋愛に前のめり気味な羽理は、例えば桃色吐息的戦法で、自分が男性を魅了できるかどうかを知りたいなと思っていて――。
自分も真っ裸で準備なしは心底びっくりしたけれど、裸を見られたのはある意味好都合。
目の前の
罠にかかったからにはとことん色々取材させてもらうんだからね!?とか思っていたりする。
そのための質問を無残にもつぶされたことにガッカリしながら、ぼそりとつぶやくように「
「それは……さっきのぶっ飛び質問への報復ですか?」
ジロリと真正面から睨んだら、「バカ! んなわけねぇだろ。っていうか、とんでもない質問をしたっていう自覚はあったのか。……驚きだな。お前ホント、どういう感性をしてるんだよ!」とか。
(ば、バカって言った……! 変態裸男の癖に……)
羽理の頭の中、もう一人の羽理が『可愛げのないことを言う人には三毛ちゃんタオルは貸しません!』とか何とか言いながら、
(いやいやいや。さすがにそれはダメでしょ)
そんなことをしたら
「ア・ラ・キ・ウ・リです! キュウリではありません!」
羽理は、小学生の頃
羽理の冷たい視線にひるんだのかどうなのか。
「アラキ・ウリか。しかし……ウリとはまた珍しい名前だな」
羽理はその言葉にすかさず反撃を試みる。
「
以前社内報を読んでいて、『タイヨウという響きは素敵なのに、漢字!』と思ったのを羽理は鮮明に覚えているのだ。
何だか自分だけ
だが、親の信じられないセンスのお陰で青果を専門に扱う
最終面接で、採用担当者から『野菜の名前が入ってるだなんて、うちの会社にふさわしい人材ですね』とニコニコされたのだけれど、もしかしたらウリの方ではなくキュウリの方をすくい上げられたのかも知れないな?と今更のように気が付いた。
そうして――。
(部長も名前採用の人なのかも?)
ふとそんな親近感を覚えてしまった。
それで生暖かい目で
いやいやいや、いきなりどうしてそういう発想になりますかね!?
確かにこうして真ん前に座ってみると物凄く整ったお顔立ちで、さぞやおモテになられるだろうな?とは思う。
思うけれど。
(自意識過剰ですよ!?)
残念ながら羽理には
(まだ部長のことは課長以下という認識です!)
羽理は思わず目ん玉が飛び出そうなくらい大きな目で
「確かに部長のお身体は筋肉の付き方とか理想的で割と好みですし、お顔も整っていらっしゃるなぁってうっとりしてます。けど……ごめんなさい! 今まで接点がなさ過ぎて思いっきり圏外でした! これからは意識するよう心がけますので、ファン認定するのは
ぺこりと頭を下げて素直に謝罪したら、「お前、ホント容赦ないな」と苦笑されてしまった。
「なぁ、やたらと身体のことを指摘されたから言うんだが……この部屋エアコンが利きまくってて結構寒くないか? お前は
だけど思い直したように口をつぐんでしまった。
「あの……、言いたいことがあるならハッキリ言ってください!」
その居心地の悪さに羽理がそう告げたら……。
「……じゃあ言わせてもらうが……荒木、お前、首の辺りがチクチクしないか?」
チョンチョン、と首筋の辺りを指し示されて心配そうな顔をされる。
「え? 首? 別に何ともないですけど……?」
「そうか。ならいい……」
本当に何も感じなかったのでキョトンとしたら、「――ところでお前、彼氏はいるのか?」とさっさと話題を変えられてしまった。
「えっ!? か、れし? って部長、もしかして……」
(――私狙いですか!?)
まだファンにはなっていませんけれど、部長の身体も顔もかなり好みの部類に入る。
(もし今、あの身体で……じゃなくてっ、あのお顔で迫られたら私っ、ついOKしてしまいそうですっ!)
などと思った羽理だったのだけれど。
思わず口を突いて出たのは心裏腹。
「せ、セクハラです!」
と言う言葉で。
上司が部下にそう言うことを聞くのは、確か言われた側がそう感じたならばセクシャルハラスメント扱いになるはずだ。