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19.僕じゃダメかな?①

 大葉たいようを見送った羽理うりは、彼の言いつけを守ってしっかりと戸締りをしてから、いそいそと玄関脇の洗面脱衣所に入った。

 そこへ置いてあるサニタリーチェストには、バスタオルやシャンプーの詰め替えも入れてあるけれど、一番上の引き出しには下着がずらりと並べて収納してある。


 大葉たいようと自分の、〝裸でワープ〟を経験した後で、もしもに備えてここに移動させてきたのだ。


 そこから上下そろいのラベンダー色のブラジャーとショーツのセットを取り出していそいそと身に着けると、ちょっとだけ考えてから部屋着も別のモノに取り換えることにした。


 だって、やっぱりショーツも身に付けずに履いていたレギンスは何となくもう一度そのまま履くのには抵抗があったし、チュニックも、せっかくなら着替えて目新しいものをお披露目したくなったのだ。


(た、大葉たいように見せたいってわけじゃないんだからっ)


 普段下着のことなんて無頓着だし、何なら部屋着だって超絶適当テキトーな羽理だ。


 でも何となく……。そう、何となく今日だけは。ちょっぴり背伸びしてみたくなったんだから仕方がないではないか。


(た、たまたまっ。そういう気分だっただけだもん)


 別に大葉たいようを意識したわけじゃないと、誰にでもなく言い訳をしたくなったのは何故だろう。


(あ、そうだっ)


 前に秘蔵っ子の猫耳バスローブを緊急事態で下ろしたことがあるけれど、あれと同じようにもったいなくてまだ一度もそでを通していない、白とピンク掛かったパープルがボーダーカラーになった猫柄パーカーと、同色の短パンのセットがあったのを思い出した羽理だ。


(あれ、下ろしちゃおっかな?)


 きっと、大葉たいようなら羽理がいつも通りの、襟首えりくびやそで口がヨロヨロに伸びたダボダボTシャツを着ていたって、何も言わないだろう。


(さすがにズボン履かずにパンツむき出しのままは文句言われそうだけどっ)


 でも、今日は……そんな大葉たいようにちょっとでも可愛く見られたいと思ってしまったのだから仕方がない。


(だ、だって! 大葉たいようはいつもシャンとしてるから……!)


 会社ではもちろんのこと、いつだったか大葉たいようが部屋着に着ていたスウェットの上下ですら、着古された様子が全然しなかった。


(わ、私だけだらしないのは何か悔しいだけだもんっ)


 単なる対抗心だと自分に言い聞かせた羽理だったけれど、実際はそれだけが理由じゃないことくらい、さっきからいちいち色々言い訳しまくっている自分が、一番よく分かっている。


「あった。これこれ……」


 クローゼット奥から取り出した真新しいルームウェアの上下一式セット。

 今回はしっかりチェックして、タグも忘れずにちゃんと切り離した。

 取り出したばかりで、畳まれていた時の折り目もしっかりついたままの部屋着を着て、姿見の前でくるりと回ってみて、「よしっ」とつぶやいた羽理は、『あ、そう言えば……』とベッドへ放り投げたままにしていた携帯のことを思い出した。


「あ……大葉たいようが言ってた通りだ。充電切れてる」


 羽理は触れても反応しない真っ黒なままのスマートフォンの画面を見て、いそいそと充電器にさしたのだけれど。


 やっと起動出来たスマートフォンは、開通したと同時にショートメッセージを数件受信して――。


 開いてみれば、大葉たいようからの着信を知らせるメッセージの他に、仁子じんこからのものと、倍相ばいしょう課長からのものが混ざっていた。


 何だろう? とりあえず折り返さなきゃ……と思ってベッドにちょこんと正座したと同時。


 ピンポーンとチャイムが鳴って、羽理は大葉たいようが帰って来たんだ、と思って。


(もぉ、合鍵持ってるんだから勝手に入って来ればいいのに……)


 いつもなら確認するドアモニターもインターフォンも確かめずに「はいはーい」と言いながら無防備にドアを開けてしまった。


 だがドアの外に立っていたのは、大葉たいようじゃなくて――。

「えっ。倍相ばいしょう課長?」

 だった。



***



 昼、一緒にランチをしたときにはいつも通りだったはずの荒木あらき羽理うりの様子がおかしくなったのは、受付ロビーで屋久蓑やくみの大葉たいようが彼自身のと会話をしているのを見かけてからだ。


 倍相ばいしょう岳斗がくとは、明らかに動揺しているように見える羽理に、「やけに親密な感じがしたけど……もしかしてさんとか?……だったのかなぁ?」と、ふたりが血縁だと知っていてわざとそんな風に意地悪く鎌を掛けてみたのだけれど。


 ビンゴと言うべきか。

 その瞬間の羽理の泣きそうな顔を見て、岳斗がくとはピンと来たのだ。


(裸男の正体は屋久蓑やくみの部長だ)


 彼が、何故〝裸男〟と呼ばれているのかは分からない。


 でも、羽理本人は気付いていないようだが、彼女が恋のやまいを発症している相手が裸男で、その羽理が屋久蓑やくみの大葉たいようの女性関係でいちいちこんなに分かりやすくショックを受けると言うことは……二人は同一人物だと考えるのが自然だと言う結論に達した。


(下っ端の五代ごだいならともかく、僕より格上の屋久蓑やくみの部長が相手とか……が悪すぎるでしょう!)


 そう思いはしたのだけれど、羽理が自分の恋心に気付いていない今ならまだ間に合う気がして――。


 とりあえず羽理と仲の良い法忍ほうにん仁子じんこから〝真実〟を告げられたらアウトだと思った岳斗だ。


 大葉たいように彼女がいたと思ったのが、相当ショックだったんだろう。

 自分のついた嘘のせいとはいえ、痛々しいくらいに様子がおかしくなってしまった羽理を呼び出して早退するよう仕向けたのは、実は仁子から引き離すためだ。


 なのに羽理を席に戻すなり仁子が熱心に何かを話しかけているから。

 それを見て、岳斗は柄にもなく真っ向勝負。

 二人の会話をあえて断ち切るように仁子を呼び出して、いつもなら上手くやる駆け引きさえ忘れて、『荒木さんの恋心に起因する動悸のこと、きっと法忍ほうにんさんも気付いていらっしゃると思います。ですが、僕に考えがあるのでしばらくの間、彼女には種明かしをしないようにしてもらえますか?』と要らぬ釘をさしてしまっていた。


法忍ほうにんさんの性格からして……あれは絶対反発するよね)


 そう思ったからこそ。

 岳斗は仁子が動く前に、勝負に出ないといけないと思って羽理に電話を掛けたのだ。


 だけど――。


 電源が切られているのか通じなかったから。


(裏を返せば法忍ほうにんさんからの連絡もいかないってことだよね?)

 と少し安堵して――。


 見舞いと称してじかに荒木羽理の家を訪ねることにしたのだった。



***



「……荒木あらきさん、体調はどう?」


 倍相ばいしょう岳斗がくとに、心配そうに眉根を寄せて小首をかしげられた羽理うりは、突然の上司の訪問に強張らせていた身体の力をほんの少しだけ抜いた。


「あの……課長どうして私の家を?」


「あー、ごめんね。急に来たりしたら気持ち悪いよね。――えっと……前に迎えに行くって話した時があるでしょう? あの時に法忍ほうにんさんから荒木さんの家、聞いてたんだ」


 照れ臭そうに……どこか申し訳なさそうに言われた羽理は、なるほど、と思って。


「……一応来る前に連絡はしたんだけど……。ひょっとして荒木さん、携帯の電源切ってない?」


 眉根を寄せた岳斗から、「何度掛けてもずっとオフモードなアナウンスが流れるから……倒れたりしているんじゃないかと心配になって来ちゃった」と続けられた羽理は「わー、申し訳ないのですっ」と、岳斗のうるん……とした子犬のような雰囲気にほだされて、思わず謝っていた。


 このところちょっぴりイメージからかけ離れた一面を見せられて何となく戸惑っていた羽理だけれど、いま見せられているアレコレの表情は羽理のよく知る倍相ばいしょう岳斗がくとのほわほわとしたの微笑みだったから。


「あ、あの……ご心配をおかけしました。実は携帯の電池切れに気付かなくて……さっき充電器に掛けたばかりなんです。体調の方は……ご覧の通り、お陰様ですっかり良くなりました」


「そっか。良かったぁー。――って、……ホント突然押し掛けるみたいになっちゃってごめんね」


「いえいえ、全然……」


「あ、そうだ。忘れるところだった。――はい、これお見舞い」


 言いながら、岳斗がくとが差し出してきたのは飲み屋街の一画にあって、開店時間が十七時夕方の五時から……と言うちょっぴり変わったケーキ屋さん『アフターファイブ』の箱で。

 振り子時計に「5」のローマ数字を現す「V」が描かれた特徴的なロゴに、羽理は、「わぁっ、ここのケーキ、仕事後に行っても売り切れ商品が少ないからお気に入りでよく行くんですっ」と相好そうごうを崩した。


「うん、実は以前荒木さんの車がお店の前に停まってるの、見掛けたことがあるんだ」


「わわっ。ホントですかっ。な、何か恥ずかしいんですけど……!」


「別に恥ずかしがらなくても。……ここだけの話、実は僕も結構甘いものが好きでね、あそこは良く利用するんだ。今日も自分が好きだからってチーズケーキとイチゴのショートケーキにしちゃったんだけど……平気? 嫌いじゃない?」


 やっぱり無難にチョコとかの方が良かったかな……と続けられた羽理うりは、驚いてしまった。


「奇遇です! 私もあそこのお店ではその二種類が特に好きなんですよ。きゃー。倍相ばいしょう課長と好きなケーキが一緒とか……何か照れちゃいますね」


 羽理がヘヘッと笑ったら、岳斗が瞳を見開いた。


「……そう言うトコ……。ね、荒木さん、キミは魔性の女だって言われたりしない?」


「え?」


 突然岳斗からわけの分からないことを言われた羽理は、目を白黒させてソワソワと岳斗を見上げた。


「ねぇ、、僕じゃ……ダメかな?」


 目が合うなり、岳斗から何故か〝名前呼び〟をされて、ひどく切ない顔をされてしまうから。


「ダメって……な、にが……です、か?」


 辛うじてそう返しながらも、羽理はますます混乱するばかり。


「ほら、羽理ちゃん、恋人はいないって言ってたでしょう? だから……えっと……僕じゃ恋人候補になれないかなって……そういう……意味……なんだけど」


 岳斗からの思わぬ告白に、羽理は驚きの余りヒュッと息を呑んだ。



***



 両手に沢山の荷物を持って小走りに羽理うりのアパートまで戻ってきた屋久蓑やくみの大葉たいようは、建物脇の道路に路上駐車された見慣れない車を見て何となく胸騒ぎを覚えた。


 急いでエレベーターホールにたどり着いて、操作パネルで昇りボタンを押せば、さっき自分が下まで降りた時に一階まで降ろしたはずの箱が、羽理のいる七階に上がっていた。


 七階フロアにあるのは、もちろん羽理うりの部屋だけではない。


 大葉たいようが荷物を取りに行っている間に、他の住人が帰って来たという可能性だってもちろんある。


 だけど――。


 大葉たいようは落ち着かない気持ちをぶつけるみたいに何度も何度も操作パネルを連打せずにはいられなかった。


(くそっ。何でこんな時間かかんだよ!)


 だが、階段を走って上がるよりは、もどかしくてもここでエレベーターが来るのを待った方が断然早い。

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