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18.飛ばしすぎ?②

「この、切ないくらいに痛いのが……恋の……?」


 胸元の服をギュッと掴んで言ったら、「ああ、そうだ」と肯定されて。


 羽理うりは、コレが俗に言う恋のときめきなのだと自覚した途端、頬がブワッと熱くなるのを感じた。


「私は、大葉たいようのことが……好き?」


「俺が他の女とどうこうなるのが嫌だって思うんならそうだな」


 大葉たいようの言葉に、羽理はギュゥッと胸元を押さえる手指に力を入れた。


 柚子ゆずと一緒にいる大葉たいようを見た時。柚子から「たいちゃん」と親し気に呼ばれている大葉たいようを見た時。柚子のことを大葉たいようが同じように呼び捨てした時。


 美男美女にしか見えない二人が、お似合いだと思ってしまったのと同時に湧き起こってきた、何とも言えないる瀬ない気持ち。


 そんな時に大葉たいようから告げられた約束反故ほごの連絡は、羽理を完膚かんぷなきまでに叩きのめしてズタボロにしたのだ。


 そう言うのを一気に思い出した羽理は、またあんな想いをさせられるのは耐えられないと思って。

 小さく「イヤ……」と答えてポロリと涙をこぼした。


「そっか……。だったら話は早い」


 大葉たいようが羽理の涙をそっと指先でぬぐって微笑する。


「え……?」


「羽理、俺を独り占めしたくないか?」


「ひとり、じめ?」


「ああ、そうだ。その代わりお前も俺だけのモノになる。そう言う夢のような関係を、俺はお前に与えてやれる。――なぁ、羽理。お前はそれが欲しくないか?」


「……そんな関係が……本当に得られるの?」


「ああ、得られる。しかも、今から俺が言うことに『はい』か『イエス』か『うん』のどれかで答えればいいだけだ。――出来るよな?」


 羽理が涙でアーモンド型の瞳をうるませたままコクッとうなずいたのを確認して、大葉たいようは静かに問いかけた。


「――荒木あらき羽理うりさん、俺としてくれますか?」



***



 突然大葉たいようから結婚して欲しいと乞われた羽理うりは、ヒュッと息を吸い込んだまま身体を固まらせた。


「え……?」


(この人、今……何ておっしゃいましたかね?)


 もちろん大葉たいようは羽理に何度も好きだと言ってくれていたし、先ほど彼のマンションでは『自分はすでに羽理の恋人のつもりだった』みたいなことも言っていた。


 でも――。


 こんな風に面と向かって二人の関係性をハッキリさせるような文言もんごんを投げ掛けられたのは初めてで。

 しかもその問いは恋人をすっ飛ばして結婚の申し込みな上、「する」「しない」の決定権が羽理にゆだねられているとか。


 何だか色んな意味でとっても滅茶苦茶。無理難題ではないか。


(え、えっと……大葉たいよう、さっき私に何て返事しろって言ってたっけ?)


 余りに突飛とっぴ過ぎて他力本願たりきほんがん


 大葉たいようから言われた言葉を全サーチ能力を上げて思い返した羽理は、与えられていた選択肢が結婚の申し出を了承するものしかなかったことに今更のように気が付いて……。


 その途端、何だかふっと肩の力が抜けて、緊張の糸がほろほろとほころんでいくのを感じた。


(ああ、そっか……)


 考えてみれば、確かに恋人よりも婚姻という法律上の後ろだてが得られる分、夫婦という関係はより確実にお互いを独り占め出来る合理的な制度ではないか。


 お見合いならば〝結婚前提〟でお付き合いをすることが基本だろう。


 だったら……結婚した後にきずなを深めていく、どこか頓珍漢とんちんかんな自由恋愛があってもいい気がしてしまった羽理だ。


 だってそれはまるで――。


(何だか私の大好きなティーンズラブの世界みたいだもの!)


 恋愛にうと羽理うりが、自分には縁遠いからこそ興味を惹かれまくってしまう恋愛モノにありそうな、一風変わった設定みたいで。

 上手くいけば〝夏乃トマト〟の執筆活動のネタになりそうだよ!?とか思ってしまった。


 本当はそんな理由で軽々しく結論を出すべき事柄ではないことは、百も承知だ。


 でも――。


 それでも初っ端からお互いに真っ裸で「初めまして」をした大葉たいようと自分なら、それもありかな?と思えてしまったから不思議だ。



「――はい、喜んでっ!」


 勢いよくそう答えたら、大葉たいようから即座に「居酒屋か!」と突っ込まれてしまった。


 でも、羽理を抱きしめる大葉たいようの表情はとても幸せそうで。


 羽理は、大葉たいようの嬉しそうな顔を見た途端、大学時代に付き合っていた初カレから告白された時には感じたことのなかった、キュンキュンするような胸の高鳴りを覚えた。


 今まではずっと……。キューッと胸が締め付けられるたび、死んでしまうんじゃないかと恐ろしくてたまらなかったはずの〝不整脈〟が、どこか甘く心地良いものに感じられたのは、初めてかも知れない――。



***



 本当は「になってくれますか?」と言おうと思っていたのに、気が付いたら羽理うりを自分にもっと縛り付けたいみたいに〝結婚〟という契約しがらみを持ち出してしまっていた大葉たいようだ。


 もしかしたら、伯父から見合い話を持ち掛けられていることが心の片隅にあったことも関与していたのかも知れない。


 ――俺には結婚を約束した恋人がいるので見合いはお受け出来ません。


 大葉たいようは、腕の中の羽理を見下ろしながら、彼女を思い浮かべた上で毅然きぜんとした態度で伯父にそう言えたら最高だなと思ったのだ。


(お、OKもらったし……キスしたいって言っても受けてくれる、よ、な?)


 そんなことを思いながら「羽理……」と声を掛けようとした矢先、羽理が「あっ」と小さくつぶやいて足元に視線を落として。

 くそっ、タイミング!と悔しく思いながらも羽理の視線を追ってみれば、いつの間に来たのだろうか?

 二人の足元に尻尾の短い小太りな三毛猫が来ていて、抱き合う羽理と大葉たいようを見上げてでスゥッと目を細めた。


「にゃぁぁぁぁーん」


 そのくせ見た目のイメージとは随分かけ離れた愛らしい声で甘えたように鳴くから、大葉たいようは、(もっと野太い声を出せ!)と心の中で突っ込んだのだけれど。

 次の瞬間、その猫から小馬鹿にしたようにニタリと笑われた気がしてしまった大葉たいようだ。


(チェシャ猫!)


 まるで『不思議の国のアリス』に出てくる、わけもなくニヤニヤ笑う大口をしたあの猫じゃないか、と思って。


 気味悪さにヒッとなって、思わず腕が緩んだと同時。


「焼き鳥の三毛ちゃん!」


 言って、羽理がスルリと大葉たいようの腕をすり抜けてしまう。


 本当はしゃがみ込んで撫でたかったんだろうが、一瞬腰を落としかけてノーパンな心許こころもとなさに負けたみたいに中腰のまま中途半端に動きを止めた。


 でも手は猫の方へ伸びたままで。


「お、おいっ、羽理っ! 下手に手を出すと不思議の国に連れて行かれちまうぞ!?」


 自分の中ではすっかり〝チェシャ猫〟認識なので、思わずそう言ってしまったのだけれど。


 幸い、三毛猫は羽理が手を伸ばすより先にタタッと駆け出すと、神社脇の植込みに姿を消した。


 それを無言で見送ってすぐ――。


「あのっ、不思議の国って何ですか?」

 と羽理が大葉たいようを見上げたのと、

「なんで猫なのに鳥なんだ!?」

 と大葉たいようが羽理に問い掛けたのとがほぼ同時で。


 即座に二人して

「どう見てもチェシャ猫だからだ!」

「あの子と焼き鳥をシェアしたからです!」

 とこれまた同時に答えて、何だか可笑しくなって顔を見合わせて笑ってしまった。



***



 その後はブランケットを羽織った妙な格好のまま、やたらと恥ずかしがる羽理うりの手を半ば強引にギュッと握って幸せ一杯、羽理のアパート前までやって来た大葉たいようだったのだけれど。


 ふと手元を見下ろして「あ……」とつぶやいた。


「どうしたの?」


 羽理がキョトンと大葉たいようを見上げてくるのが可愛くて、思わずかすめるように羽理のひたいに、唇を触れさせるだけの軽いキスを落としてから、大葉たいようは決まりが悪そうに口を開いた。


「俺、何か色々浮かれすぎてたみたいだ。――泊まりの荷物とか、全部車に忘れて来てるわ」


「えっ?」


 ブランケットにくるまった羽理を、安全に助手席から下ろすのに注力し過ぎて、後部シートに乗せていた宿泊グッズや明日の弁当の総菜、そうして……何ならトランクに載せてあるサツマイモに至るまで……全部車に残したまま。

 ほぼ手ぶらでここまで来てしまっている。


 持って来ているものと言ったらただひとつ、いつも持ち歩いている車の鍵と財布が入った小さなボディーバッグだけ。

 それだけは常の習慣で流れるように肩から斜め掛けにして車を降りていたから、普通に車にロックも掛けられて、他を忘れたことに今の今まで気付けなかった。


(通りで身軽に羽理を抱きしめたりとか……色々出来たわけだな)


 なんて思うと、荷物を置き忘れて来たことが、そう悪いことではなかったようにも思えてくるから不思議だ。


「なぁ、羽理。ちょっと俺、荷物取りに戻って来るから部屋ん中で大人しく待っててくれるか?」


 羽理の部屋の前までしっかり羽理を送り届けてから。


 以前羽理うりから預かったまま、何だかんだと返さないままでいた合鍵を使って彼女の部屋の鍵を開けると、

「さっさと中に入って身なりを整えろ」

 羽理を部屋の中へ押し込みながら、あえて「下着を身に着けろ」とは言わずにそれを示唆しさした大葉たいようだ。


 羽理はうながされるままに部屋へ入りつつも、「あの……大葉たいよう、その鍵……」と大葉たいようの右手にある〝戦利品〟を指さしてくる。


 大葉たいようは折角の合鍵を奪われないようサッと元通り。肩がけにしたボディーバッグに仕舞ってから、

「ほら。今日だってこれがあったからすぐお前んの鍵が開いたわけだろ? それに……俺たち、その……けっ、結婚の約束もした、わけ……だし? 今更返す必要もねぇだろ? あ……、も、もちろん! 俺の部屋のキーロックの暗証番号もちゃんと教えてやるから! ふ、不公平じゃないぞ?」

 としどろもどろに言い募った。


 そうしながら、前に身一つで羽理のアパートから飛ばされた時、キーレスのマンションで良かったとつくづく思ったのを思い出した大葉たいようだ。


(あん時、もし普通にここみたく鍵がなきゃ開かないタイプのドアだったら俺……あの不審者ルックのまま管理会社の人間を呼ばなきゃいけなかったんだよな?)


 今更のようにそんなことに気が付いてゾワッとした。


 何しろあの日の自分の格好は、羽理チョイスの無地Tシャツに下着トランクスをむき出しのまま履いて……ズボンは無し。足元は裸足にサンダルを突っかけただけと言う余りにもラフすぎる格好で。

 羽理は折角買ってきたんだし!……と言うノリで靴下も履いて、レインポンチョも羽織れば完璧みたいに勧めてきたけれど、それでは変質者まっしぐらだと思ってつつしんで辞退申し上げたのだ。




「確かに……大葉たいよう合鍵それを持っててくれたお陰で今、助けられましたし……、今後のことを考えてもそうして頂いた方が良さそう……です、ね。……分かりました。その鍵はそのまま大葉たいようにお預けしますので……管理の方、よろしくお願いします」


 羽理がちょっとだけ考えてからそう答えてくれてホッとした大葉たいようだ。


「じゃあ、すぐ戻ってくるから。ちゃんと戸締りして待つように」


 言って、コインパーキングまでの道のりを小走りで戻った大葉たいようだったのだけれど。


 途中で一台の車とすれ違ったことに気付けなかったのは、痛恨の極みだったかも知れない――。

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