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21.朝チュンではないけれど③

 羽理うり仁子じんこ大葉たいように何を言うつもりなのか気になりながらも、仁子の勢いに押されるように大葉たいようを呼ばずにはいられなくて。


「あ、あの、大葉たいよう! 仁子がまた大葉たいようとお話がしたいって」


「は? 何でだ!?」


「分かんないです。分かんないですけど……何か大葉たいように言いたいことが出来たみたいです」



***



 電話している羽理うりを残してキッチンへ移動した大葉たいようは、今日一日自宅療養する羽理のため、せっせと弁当を作っていた。

 猫柄弁当箱の横に、もうひとつシンプルな容器を並べ置いているのだけれど、自分用ではない。


 歩くのもままならない羽理うりを一人にしておくのは忍びなくて、姉の柚子ゆずに羽理の世話を頼もうとメールしたのだ。

 まぁ、弁当はそのための賄賂わいろだったのだが。


(昨晩は元気だった羽理うりが、一晩経ったらズタボロって……絶対ぜってぇなんか言われるな)


 そう思いはしたものの、そこはまぁ羽理のため。大葉たいようは甘んじて姉からの非難ひやかしを受けようと覚悟を決めた。



***



 冷凍して持って来ていた作り置きのおかずの中から、甘辛いたれで煮絡めたミートボールを電子レンジへ入れたところで、不意に羽理から声が掛かった。


 何故か再度自分に替われと法忍ほうにん仁子じんこが要求してきているらしい。


 生まれたての小鹿みたいにぎこちない様子で立ち上がろうとする羽理を制して彼女のそばまで行くと、通話中のままの携帯電話が差し出された。


 今更自分に替わって、何の用があると言うのだろう?


 まさか昨夜の情事あくじがバレて、『初心者相手に何してるんですか! ちょっとは手加減して下さい! 部長は発情期のサルですか!』とか何とか責め立てられるのだろうか?


 そう思ってゾクッとした大葉たいようだったけれど、別に法忍ほうにんさんの前で、羽理がヨロヨロとペンギン歩きをして見せたわけではない。


 いくら何でも電話で話しただけで、彼女が羽理の不調の理由に勘付いたとは思えなかった。


(羽理もそんなこと話してる素振りはなかった……よ、な?)


 女同士がどこまで赤裸々にアレコレ語るのか、大葉たいようには未知の世界だ。

 だが、漏れ聞こえていた会話からそんな気配はなかったはずだ。


 だが当然のこと、大葉たいように聞こえていたのは羽理の声のみだったわけで……。


(もしかしたら羽理のやつ、何かやらかしたか?)


 何せ相手は奇想天外娘の羽理だ。その可能性は十分にある。


 大葉たいようはごくりと唾を飲み込むと、恐る恐るスマートフォンを耳に当てた。


「もしもし……?」



***



「ちょっと部長! 何で羽理うり、あんなにズタボロになってるんですか!」


 もしもし?と電話口から屋久蓑やくみの大葉たいようの声が聞こえてくるや否や、仁子じんこは話そうと思っていた会話運びの算段をすっ飛ばして、恨み節を投げ掛けずにはいられなかった。


 本人は言わなかったし実際に見たわけじゃないけれど、羽理は絶対相当肉体的なダメージを受けているに違いないと仁子は確信している。


(でなきゃ責任感の強い羽理が、二日も続けて休みたいだなんて言わないはずだもん!)


 もしかしたら、屋久蓑やくみの部長相手にこんなに強気に出てしまったのは、会社で聞くより彼の声が気持ち緊張しているように感じられたからかも知れない。


(いやいやいや! だからって油断は禁物よ、仁子!)


 何せ相手はあの機械仕掛けみたいな印象の、鬼部長様だ。

 間違いなど犯そうものなら、論破されて完膚かんぷなきまでに叩きのめされてしまう懸念がある。


 屋久蓑やくみの大葉たいようという男――。羽理と一緒にいるときにはほわりと身に纏う空気感がやわらいでいる気がするけれど、それはあくまでも恋人への特別仕様かも知れない。


 そう思って気を引き締めた仁子だったのだけれど、このところ屋久蓑やくみの部長の雰囲気が変わってきているのを肌で感じているのもまた事実なのだ。


 以前は業務上で用事がない限り、他の社員のことなんて眼中にない感じでスルーだったのが、結構な頻度でフロアに顔を出すようになった。

 それじゃあ、とすれ違う際「おはようございます」と声を掛けてみれば、驚いたように「おはよう」と返って来るようにもなった。

 これまでは、せいぜい偉そうにうなずく程度だった屋久蓑やくみの大葉たいようを知っている仁子からすれば、かなりの変化だ。


 あれが、全部親友羽理うりのお陰だと気が付いたからだろうか。

 つい【羽理の友人枠】と言うことで、ちょっぴり気が大きくなって〝虎の威を借る狐〟になれそうな気がしている仁子なのだ。

 そうして、もしかするとその〝威〟は〝魔王=屋久蓑やくみの部長〟対策としては、無敵装備かも知れない。


『あ、いや、すまん。あの後……その、い、色々……あってだな……』


 だってその証拠に、仁子の言葉に屋久蓑やくみの部長がしどろもどろになっているではないか。


 そうしてまた出た、色々!


「もう、二人して『色々』って一体何なんですか! あの子、昨日早退した時は体調的には何の問題もなかったはずなんですよ!? 部長も……羽理と一緒にいらしたならその辺、ご存知のはずですよね!? なのに休まないといけなくなっちゃうんですか!」


『あー、うん、まぁ、色々は色々だ……。悪いが少々さわりがあるから全部は話せん。……けど……何かキミにも心配掛けてしまっているみたいで……その、お、ホント、申し訳ない……とは思ってる』


 屋久蓑やくみの部長の言葉に、仁子はグッと携帯電話を握る手に力を込めた。


(あー、これ絶対、部長ってば羽理を……)

 ひとつ邪推をしてしまったけれど、それはひとまず置いておくとして確認しておきたいことがある。


「今、部長、確かに『俺のせい』っておっしゃいましたよね? それってつまり……」


 昨日、羽理は帰り際、仁子に泣きそうな顔で言ったのだ。


「自分から誘ったくせに羽理との約束を破ったのは部長だったってことで合ってますか? 羽理、すっごく落ち込んでたんですけど……ちゃんとフォローした上で今一緒にいるんですよね!?」


 最初、仁子は羽理のセリフを倍相ばいしょう課長がランチの約束をすっぽかしたことだと思っていたのだけれど、課長に聞いてみたら違ったから。


 羽理を傷付けた真犯人は誰だろう?とずっと気になっていたのだ。


 それが屋久蓑やくみの部長だと言うのなら、彼には羽理の心のケアをする責任がある。


 それをおろそかにして、もしなし崩し的に破廉恥はれんちな行為に及んで体調まで崩させたんだとしたら、羽理の友人として黙っているわけにはいかないではないか。


「どうなんですか?」


 黙り込んでしまった屋久蓑やくみの部長は有罪に思えた。


『ああ、法忍ほうにんさんの推察の通りだ。俺が全部悪い。けど――』


 そこまで言うと、屋久蓑やくみの部長が小さく吐息を落としたのが分かった。


『その辺も含めて昨夜羽理とはちゃんと仲直りした。その上で――』



***



「プロポーズをしてOKをもらったんだ。法忍ほうにんさんには羽理うりの友人として、どうか温かい気持ちで俺たちのことを応援して欲しい」


 大葉たいようがいきなりそんなことを口走ったから、痛む腰をさすりながら猫型テーブルにもたれ掛かっていた羽理うりは、「はぅぁ!?」と変な声を上げて身体を起こした。


 途端、「イタタタタ……!」とうずくまる羽目になったけれど、実際問題それどころじゃない。


「ちょっと大葉たいよう!」


 大葉たいようを呼んで携帯電話をひったくると、羽理は「仁子っ、……い、い、い、今のっ!」と何とか誤魔化そうとしたのだけれど。


『ちょっと羽理ぃー! プロポーズって何なのぉぉぉぉっ!』


 当然と言うべきか、仁子じんこからそんな雄叫おたけびを聞かされてしまう。


「あ、あのっ、そ、それは……えっと……」


 羽理が仁子の勢いに押されていたら、大葉たいように再度携帯を奪われた。


「まぁそれについてはまたゆっくり羽理と話すといい。――だが、とりあえず今朝のところは一旦興奮をおさめて……朝の支度したくに戻らないとお互いまずいと思うんだが?」


 羽理は休むからいいとして、大葉たいようも仁子も仕事なのだ。


 上司モードでそれを示唆しさした大葉たいように、仁子が『わわっ。ホントだ! もうこんな時間!』と慌てて、『すみません! 羽理にはまた改めて話聞かせてもらうって伝えて下さい。では――』と早々と通話から離脱してしまう。



「もぅ、大葉たいようのバカぁ! プロポーズのこと、勝手に仁子に話しちゃうなんて酷いですっ」


 大葉たいようが電話を羽理に戻してきたのと同時、羽理うりはそんな恨み節を言わずにはいられなかった。


「知らないのか、羽理。仕事でもプライベートでも外堀固めは重要なんだぞ?」


 なのに大葉たいようはいっかな悪びれた様子もなくククッと笑うと、余りのことにハクハクと口を開け閉めするしか出来ない羽理を残してキッチンへ戻ってしまった。


 身動きのままならない羽理が、恨めし気に呆然と見つめる先、大葉たいようは電子レンジから温めたまま放置していたミートボールを取り出すと、弁当箱に詰めて「よし」とつぶやいた。


 どうやら弁当が完成したらしい。



***



「待たせたな、朝食にしよう」


 大葉たいようがトレイに美味しそうなオムライスと湯気のくゆるマグカップを載せてリビングへ戻って来た時、羽理は未だにムゥーッと唇を突き出して拗ねっ子モードのままだった。


 それを見て、大葉たいようは(ホント可愛いな、こいつ)と思ったのだけれど、今そんなことを言えば揶揄からかっていると余計に怒らせてしまいそうだったので、言わずにおいた。


「ほら、冷める前に食え。……食わねぇなら俺が全部食っちまうぞ?」


 ツン!とそっぽを向いている羽理うりの鼻が、ウサギの鼻先みたいにヒクヒク動いているのを知っていて、大葉たいようがわざと羽理の前に置いたオムライスの皿を自分の方へ引き寄せれば、「ダメ!」と言う声と共に皿のふちをギュッと握られた。


 急に動いたからだろうか。一瞬「はぅ」と悲鳴を上げた羽理が痛々しく思えてしまう。


 卓上のオムライス、当然羽理の方はとろりとした半熟の卵がチキンライスの上に乗っかっていて、少し焼け過ぎた大葉たいようのものよりかなり見栄えがいい。

 ケチャップで、大葉たいようが描いた〝猫っぽいモノ〟がなければもっといい感じだったはずだ。


 それら全てがつぐないになるかどうかは定かではないけれど、無理をさせてしまったことへの、せめてもの罪滅ぼしだと思ってくれたら有難い。


「ブタさん……?」


「猫だ!」


 猫っぽいものを見詰めながらつぶやいた羽理に、猫だと言い張りつつ「火傷するなよ?」と言い添えて、マグカップに注いだサツマイモのポタージュスープを差し出せば、羽理が視線をケチャップ絵からカップへ移して瞳をまん丸にした。


「わぁー、オムライスだけじゃなくスープまで! この匂いはサツマイモですか? やーん、すっごく美味しそうです!」


 すっかり自分が拗ねていたことを忘れてしまったみたいにキラキラと瞳を輝かせる羽理に、大葉たいようは無意識に微笑んだ。


「スープカップとかあると見栄えもいいし、お勧めなんだがな?」


 口が緩んだのを隠すようにわざと苦言を呈すれば、「スープはいつもクナール社のカップスープをお湯で溶いたものを愛飲しているのでマグで十分なんですよぅ」と、羽理が曖昧に笑うから。大葉たいようは「さては買う気ねぇだろ」と図星を突いてやった。


「ぐっ。……そ、そう言えばうち、ミキサーないのにどうやってポタージュなんて作ったんですか?」

 カエルがつぶれたような声でうなった後、誤魔化すみたいに話題を変えてきた羽理に、「あく抜きしたサツマイモを電子レンジで柔らかくしてな。鍋に移してからお玉の背でつぶしたんだ」と答えたら、今度こそ申し訳なさそうに眉根を寄せられてしまう。


「すみません。うち、マッシャーもなかったですね」


「問題ない」


 実際、柔らかく火の通ったサツマイモを潰すのなんて、造作ないことだったから。


 大葉たいようがクスッと笑って羽理を見詰めたら、羽理がソワソワと瞳を揺らせてから「い、いただきます……」とつぶやいてスープに口を付けた。


 さっき味見をしたから知っているが、羽理が飲んでいるスープは確かにミキサーで作ったものより少し舌触りがざらざらしている。

 けれど、逆にそれがアクセントになっていて美味しく感じられるはずだ。


 現に羽理はカップから口を離すなり、「はぁー、すっごく美味しいですっ。大葉たいようはホントいいお嫁さんになれそうですねっ」と、とろけたように微笑んだ。


 まるで思ったままを口にしたというていの羽理に、「俺はお前を嫁にもらう予定なんだがな?」と低めた声で返したら、羽理の頬がブワッとあかくなった。


(ちょっ、可愛すぎだろ、嫁候補!)


 何故か大葉たいようまでそんな羽理の反応にあてられて、やたらと照れてしまった。

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