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21.朝チュンではないけれど②

 大葉たいようはふぃっと羽理うりから視線を逸らせてしどろもどろ。

 『お前の寝言を聞いたからだ』と、種明かしをするのは何だかもったいない気がしてしまう。

 かと言ってキラキラした目で自分を見上げてくる羽理の視線を真っ向から見詰め返せるほど、嘘が上手くもない大葉たいようなのだった。



***



 ヨロヨロとゼンマイ仕掛けのおもちゃみたいなぎこちない足取りで風呂へ向かった羽理うりが、同じく歩き始めたばかりの幼子のようなたどたどしい脚運びでリビングへ戻ってきたのを見て、大葉たいようはソワソワしてしまう。


 さっき羽理の様子を見に行っているとき焼いていた玉子は、ちょっと固焼きになり過ぎていた。

 それは自分が食べることにして、新たに羽理用の卵液をかき混ぜていた大葉たいようだったのだけれど、明らかに情事の後遺症にしか見えない左右に揺れまくりのペンギン歩きをする羽理に、思わず手が止まってしまう。


『羽理、もしかして身体に違和感でもあるのか?』

 だなんて、ド・ストレートに聞いていいものかどうか……。


 何せ処女を抱いたのは大葉たいようにとっても初体験。

 というよりそもそも女性経験自体が。

 いや、もっと言うと過去に関係を持った女性の人数自体が。

 年上の元カノ二人こっきりと、年齢の割に少ない大葉たいようとしては、辛そうな羽理をどういたわったらいいのか全く分からないのだ。


「ひょ、ひょっとして……歩くの、辛い……の、か?」


 結局迷った末、大葉たいようは割と見たままの問いかけをしてしまって――。


 一瞬だけ瞳を大きく見開いた羽理から「な、何かっ、……まだ足の間に大葉たいようのが挟まってる感じがするんですよぅっ!」と、こちらからも包み隠さない感想を述べられてしまう。


 その余りに生々しい告白に、大葉たいようは卵液を入れたボールを持つ手元が狂ってしまった。


「わわっ」


 ぐらりと揺れたボールの端から、トローン……と卵液が一筋、床に流れ落ちて。

 大葉たいようは、慌てて体勢を立て直すと、ボールをシステムキッチンのワークトップへ置いた。


 先の羽理からの赤裸々告白に、大葉たいようがどう返したらいいか戸惑いながら床の卵をティッシュで拭いていたら、羽理が恐る恐ると言った調子で声を掛けてくる。


「あ、あの……私っ。今日は……その……お、お仕事……お休みしてもいい、でしょう……か?」



***



 今日はどう考えてもマトモに歩けそうにない。

 股の辺りの違和感もさることながら、とにかく腰にきている。

 一歩一歩足を踏み出すたびにズキズキと腰が悲鳴を上げて、家の中を移動するだけでも一苦労だったのだ。


 羽理うりはギュウッと胸前で両手を握り締めて、大葉たいようの出方を待った。


 と――。


 大葉たいようが口を開くより先。

 しんと静まり返った部屋の中に、ブー、ブーッという振動音が微かに響いて、羽理はベッドわきで充電器に差しっぱなしにしていた携帯電話が鳴っているのだと気が付いた。


 メールならブブッと短く二回振動するだけだが、長く鳴り続けているところを見ると、どうやら音声通話着信のようだった。


「ごめんなさい、大葉たいよう。電話が……」


 言って、寝室へ向かおうと身体の向きをほんのちょっぴり変えた羽理だったのだけれど。


「ひゃぅっ!」


 その途端、足の付け根の筋肉痛がピキッとなって、それをかばうように変な動きをしたら、腰にズキン!と激痛が走った。余りの痛さに、羽理は思わず壁に手を付いて動きを止める。


「大丈夫か!?」


 そのまま壁をこするようにしてズリズリとうずくまってしまった羽理を見て、大葉たいようがすぐさま手を差し伸べてくれたのだけれど、羽理は鳴り続けている電話が気になって、そちらへ視線を流した。


「あの、大葉たいよう……申し訳ないんだけど私の電話を――」


 取って来て欲しい、と告げるまでもなく、大葉たいようはサッと立ち上がって寝室へ向かうと、「法忍ほうにんさんからだ。切れないうちに応答だけしといていいか?」と問い掛けてくる。


 羽理はちょっと考えて「はい」と答えていた。


 どうせ倍相ばいしょう課長にバレてしまったのだ。

 仁子じんこにだけ大葉たいようとのことを隠しておくのはフェアじゃない――。



***



 羽理うりからの承諾を得た大葉たいようが、携帯を充電ケーブルから抜いて「もしもし?」と応じれば、当然というべきか。

 電話先で息を呑む気配がした。


『あ、あれ? 私……羽理の携帯に掛けた、はず……だよね? えっ。もしかして間違え電話、しちゃってますか?』


 困惑した様子でそう問いかけてくる法忍ほうにん仁子じんこに、大葉たいようは「いや、間違ってないよ。キミが掛けたのは荒木あらき羽理うりさんの携帯で合ってる」と答えたのだけれど。


 途端電話先で一瞬だけ黙る気配がしてから、『あの……もしかして……裸男さん?』と問い掛けられた。


 自分が〝裸男〟と呼ばれているのは知っていた大葉たいようだけど、「はい、そうです。俺が裸男です」だなんて素直に認められるわけがない。


 ふとそこで今は亡き大物コメディアンの『そうです、私が変なおじさんです』というセリフを思い出してしまった大葉たいようは、尚のことうなずくことが出来なかった。


 少し考えてから、「キミたちの間で俺がそう呼ばれていることは何となく知ってはいるが……正直俺としては不本意な呼び名である。すまんが屋久蓑やくみのと呼んでくれるか?」と本名を名乗ることにした。


 電話に応じながら壁際に寄りかかるようにして座り込んだままの羽理の元へ近付くと、大葉たいようはそっと羽理の腰に手を添えるようにして猫型ローテーブルのすぐそば。

 ニャンコ柄座布団の所まで羽理をいざなってゆっくりと座らせたのだけれど。


 羽理が着座と同時に「きゃうっ」と悲鳴を上げて眉根をしかめたのにオロオロしていたら、手にしたままのスマートフォンから、法忍ほうにん仁子じんこの困惑した声が漏れ聞こえてくる。


『えっ。ちょっと待って……? 屋久蓑やくみのって……もしかして……ぶちょ……っ!? ええええええーっ!? 嘘でしょぉぉぉーっ!?』


 大葉たいようのすぐそば。痛みからか涙目で自分を見上げてくる羽理に、小声で「勝手に名乗ってすまん」と謝ったら「……大丈夫です」と何となく困ったような顔で微笑まれた。


「その……倍相ばいしょう課長にもバレちゃいましたし……仁子にもちゃんと伝えなきゃフェアじゃありませんから」


 手放しに明かしたいわけではないようだが、どうやらそういうことらしい。



***



 法忍ほうにん仁子じんこが落ち着くのを見計らって、大葉たいよう羽理うり懇意こんいにしていることを打ち明けたら、仁子が妙に納得した風に、『ああ、言われてみれば羽理と部長、何か距離が近かったですよねっ♥』とどこか嬉しげに鼻息を荒くした。


 そうして続けざま、『いつからですか!?』とか、『どちらから告白したコクったんですか!?』とか矢継ぎ早に質問攻めが来て、羽理に携帯を手渡せないまま。

 大葉たいようは小さく吐息を落として、「いま悠長にそんなことを話していたら、会社に遅刻するんじゃないのかね?」と上司の顔でするりとかわすことにした。


 途端電話の先から『あっ、そうだ! いま朝だった!』と慌てた声がして、

『あ、あのっ、屋久蓑やくみの部長! 時間がないのは分かってるんですが、ちょっとだけ羽理に変わって頂けますか? あの子ってば昨日早退してからそのまま音信不通になっちゃってるんで心配で……』

 そこだけは譲れない、と言った調子で畳み掛けられた。


 羽理の携帯電話は、羽理が大葉たいよう宅の風呂場に飛ばされてきてから長いこと電池切れでダウンしていたから、法忍ほうにん仁子の言い分はもっとも。

 朝になってやっと繋がったと思ったら、代理が出て本人が応答しないとあっては、彼女が羽理の安否を気遣うのも無理はないと思えた。


「もちろんだ。そもそも羽理の携帯でキミと俺が長々と話していること自体おかしな状況だしな」


 大葉たいようはすぐそばで自分を見詰めている羽理をちらりと見遣ると、画面をササッと服の袖口そでぐちで綺麗に拭って、羽理に携帯を差し出した。



***



「もしもし、仁子じんこ?」


 大葉たいようから携帯を受け取って、恐る恐る応答したら『もぉー、羽理うりぃー! メッセしても既読スルーだし、電話しても電源切れてるってアナウンスが流れるばっかだし……! 何の音沙汰もないからめっちゃ心配したんだよ!?』と、思わず電話を耳から離さないといけないくらいの大音量でまくし立てられた。


「ごめん! その……寝込んでる間に携帯の電源が落ちてたみたいで」


 厳密にはずっと寝込んでいたわけではないが、そこは嘘も方便だ。


 そもそも、今日も羽理は〝別の理由〟で仕事に行けるような状態ではないわけで……ゴニョゴニョ……。


「もぉ! しっかりしなさいよね!? ……そういえば、体調はどうなの? 余りにも連絡がつかないから私、昨日の夕方、ちょっとアンタの家、行ってみたのよ?」


「嘘……」


「嘘じゃないわよ。けど、羽理、チャイム鳴らしても出てこなかったでしょ? もしかして病院行ってた? それとも……ひょっとして寝込んでて出らんなかったとか!?」


 もし後者だったら申し訳ないことをしたと謝ってくる仁子に、羽理は言葉に詰まった。


「昨日は……その……夕方、たいよ……じゃなくて……えっと、や、屋久蓑やくみの部長のお家でお世話になってて……それで――」


「〝大葉たいよう〟でいいわよ。さっき部長から二人の関係、聞いちゃったし。そっか、そっか部長の家にねぇー。へぇー、そうかそうかー。その辺もまた詳しく聞かせてもらうからね!?」

 と付け足されてから再度。

「で、体調はどうなの?」

 そう問いかけられた。


「……じ、実はちょっと調子が良くなくて……それで……」


 昨日は精神的に。今日は肉体的にグダグダなのだと正直に言えない気恥ずかしさが、羽理うりの言葉尻を曖昧に鈍らせる。


「色々って何! 朝起きたらまたどこか悪い所が増えてたってこと!? 一晩休んだのに!? 私てっきり昨日は弱って帰ったんだと思ってたのに……違ったの!? もぅ! だったら寝てなきゃダメじゃない! ――って私が電話で起こしちゃったのか。――羽理、ごめん!」


「いや……わ、私の方こそ……何か色々とごめんなさい。ホント……色々と……」


「さっきからやけに色々と、多いわね? 〝色々〟が何かすごく気になるの、私だけ? あー、けど! とりあえず調子悪いなら無理は禁物! 謝らなくていいからしっかり養生なさい。いいわね!?」


 そこまで言って、仁子はちょっとだけ黙ってから、小さく息を呑んだ。


 そうして――。


「えっと……羽理。悪いんだけどもう一度だけ部長と替わってもらえる? 私、部長に言いたいこと出来たわ! ――羽理は部長に電話渡したらこっちのことは気にせず速やかに寝ること! いいわね!?」


 何だかよく分からないけれど、再度大葉たいように電話を渡すようにまくし立てられてしまう。


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