陰陽師の世界は、才能が全てだ。
生まれ落ちた時に全てが決まる。陰陽師の子供は基本的に親からその素養を継ぎ、多かれ少なかれ不思議な力を持つとされる。
その力がどれほどのものかは、物心つく前から周囲の人間に見定められる。
たとえば常人には見えないもの――妖の姿を見る。
たとえば戯れに手を動かしただけで近くの箪笥が軋み、扉が開いたりする。
今の当主が幼かった頃など、彼の玩具が壊れた不機嫌に任せて泣いただけでみるみる晴天が曇り、雷雨となったという。
当主の強力な血筋ともなれば別だが、陰陽師の子に宿る才能は通常神の思し召しによる。必ず親の力量に倣うということでもない。
要は。
才能の多寡は、その幼子の近くで何が起きるかによって判断されるのだ。
――さて、少しだけ前のこと。
陰陽師の名家、篁家分家の当主のもとに、三人目となる女子が生まれた。
その子の上にはすでに兄ひとり姉ふたりがいて、全員が幸運にも才能に恵まれた。特に兄は特筆すべき才能を持ち、十にも満たない今のうちから本家に目を掛けられるような存在だ。
父である当主は子供達の優秀さに満足していて、この度生まれた三女については長男が誕生したときほどの緊張感をもはや失っていた。
無事に生まれてきてくれただけでいいと、穏やかに破顔したという。
そんな父の愛情に応えたか。
生まれた愛らしい赤子は、やがて己の目に見えるもの全てに目を輝かせた。自分の世界を囲むあらゆるものに興味を持ったような笑顔、どんなものにも手を伸ばそうとする仕草。
好奇心旺盛な子だと、誰の目にも思われた。
その頼もしい様子に、分家とはいえ当主の子だからと期待される向きも確かにあったが――やがてそんな期待は緩やかに消えていく。
何も起こらなかったのだ。
花のような笑顔を浮かべようが、泣こうが喚こうが、ぼうっとどこかを見ている時も、その小さな手を力一杯振り回した時も――彼女が陰陽師の子供らしき何かを周囲に感じさせたことはただの一度もなかった。
名を上げることに命を懸ける家に生まれなかったことは彼女にとってこの上ない幸運だった。
両親も兄たちも、純粋な愛情を彼女に向ける余裕があった。彼女は才能こそ微塵も持ち合わせなかったけれど、それを受け止めて愛してくれる家族がいた。
彼女は才能はなくとも勉強家だった。
皆にそう思われた通り彼女は人並み外れた好奇心旺盛な子供で、幼い頃から外に飛び出し、内に籠り、山を駆け回り、本の海に沈んだ。
分家の屋敷には一生掛かっても読みきれないほどの本があり、彼女が好き勝手にその書棚を荒らすのを誰も咎めなかった。陰陽道について描かれた貴重な絵巻は彼女にとってまったく縁のないものだったけれども、幼い彼女はその絵を心から楽しんで眺めた。
――陰陽師の世界で生きていくことはない子だ。
――才能を見出されることはないのに、勉強しようなんて健気なことだ。
そんな同情のような気持ちから、誰もが彼女を静かに見守った。彼女を自由にさせた。
だから見逃すことになる。
彼女が確かに知識を付けていくのを。
自分の中に湧き上がる知識欲を満たす行為を。
自分が持たなかった才能を「そのほかのこと」で完全に補い、世界を掌握したいと願い始めた彼女の心を。
名前を、篁白蓮。
後の篁本家当主の妻にして――陰陽師の名家篁家を完膚なきまでに崩壊させ再建した、史上最悪の化物である。