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第70話

 もはや千鶴が来ることもなくなった部屋。白蓮が来たと聞いて多くの陰陽師たちが顔を見せたが、一時間と少しほどで晴臣がやってきた。

「晴臣様!」

 話していた「本家付き」が肩を震わせ席を立ったので、白蓮は驚く。つられて振り返った彼女の顔を見て晴臣は小さく笑った。

「いや……悪い。急かすつもりはないんだが、俺のほうはもう、いつでも話せるから」

「うん! ありがとう。後で部屋に行くよ」

「ああ。……すみません、続けてください」

「えっ、晴臣さ――」

 静かに頷いて廊下に消える晴臣を見送ってから「それで」と話を戻そうとする白蓮を、今度は「本家付き」の女性のほうが遮った。

「い、いやいや。白蓮ちゃん、わたし、晴臣様をお待たせするのは……」

「大丈夫ですよ。おじさまじゃないんだし、晴臣はそんなこと気にしませんから」

「でも、わたしが気になるよ」

「必要以上に遜られるのは嫌って言ってたのは晴臣ですし。大丈夫大丈夫――ほら、私が出入り禁止になってないのが何よりの証拠、じゃないですか?」

 あっさりと言う白蓮に、彼女は呆気に取られる。彼女にとって晴臣よりも優先されるなどという機会はタイミングもあってこれが初めてだったが、信じられないような気持ちだった。

(……)

 確かに次期当主と謳われる晴臣は、現当主ほど恐れられてはいなかった。

 それは彼が成長しても、周りへの丁寧な態度を変えなかったことと――常にこの少女がふわふわと、緊張感なくそばに居続けてきたことが影響している。

 確かに敬われてはいても、恐怖の対象にはなっていない。

 白蓮との微笑ましい、時にコントのような姿をよく目撃されているせいで――妙な親しみを持たれている部分さえあるかもしれない。

「話が途中だったじゃないですか? この前の巡回任務の話、聞かせてください」

 にっこりと向けられる笑顔には嫌味がない。誰にでも態度を変えず明るい彼女は、本家の中でももはや自然な存在になっている。

 不思議な子だと思っても――誰も、それ以上の感情を抱いていない。

「そ、そうね。この前は妖に遭遇したから……」

「ええ、ええ! それで?」

 無垢な瞳が輝く。その笑顔を見ているうちに彼女もまた、まあいいかと口を開く。


 *


「晴臣ー!」

 晴臣は、やがて元気よく部屋を訪ねてきた幼馴染に毎度のことながら苦笑させられた。白蓮が元気をなくしているところを未だほとんど見たことのない晴臣である。

「……元気だな、おまえ」

「元気だよ! 晴臣も元気そうで何よりだよ」

「ああ」

 無事に終わったの、という問い掛けにも頷かれ、白蓮は微笑む。

「璃々ちゃんは大丈夫だった?」

「ああ、璃々がすぐ怒るのはいつものことだから……。皆、間に入ってくれたしな。皆に褒められてるうちに機嫌も治った」

「良かった。言葉選びがまずかったなーって思ってたんだ」

 話しながら白蓮は部屋の奥へ移動した。反対側まで行けば縁側があり、庭の裏手を見ながら話ができる。そうしたいと言わんばかりに振り返る彼女に、晴臣がひとつ頷く。

 障子を開け放し、縁側に並んで座れば――昔から何も変わらない距離感で、二人が並ぶ。

「でもさ」

「何だ?」

「皆に囲まれて璃々ちゃんの稽古とか、いいよね。……本家もなんだか明るくなったんじゃない?」

 晴臣が窺った幼馴染は自分でなく前を向いたままで、表情はいまいち読めない。確かに笑ってはいるが、それ以上のことは量れないのだ。

「確かに本家の陰陽師同士で親しくなってたり、会話がしやすくなっているような気はする。……おまえがちょくちょく顔を出してるからっていうのも、あると思う」

「え? まあ、私、みんなと仲良いからね!」

 白蓮がぱっと笑うと、まるで花が開くようだった。冗談めかした言い方をするが、晴臣は自分の言葉が真実であることを実感している。

 ――昔、本家はもっと厳粛な空気が漂っていた。自分が幼かったこともあるだろうが、「本家付き」の陰陽師でさえ自分と気軽に会話をするようなことはなかった。

 誰もが晴臣に気を遣い、顔色を窺って、怯えてさえいると感じていた。

 今でもその向きは変わらない。だが鍛錬の場を同じくするくらいなら誰とでもできるようになったし、陰陽師同士の前向きな交流も珍しくはなくなった。

 プライドの高さゆえに自分から歩み寄ることが難しかっただろう陰陽師の間を、いっそ無遠慮な明るさで照らし、繋いで回った少女がいたからだ。

 ――あの白蓮って子が。白蓮が。

 決して不穏ではないトーンでそんな会話が交わされるのを、晴臣でさえ何度も耳にしている。

 最初は才能のない白蓮の来訪に冷ややかな目を向けていた者でさえ、いつの間にか彼女と談笑するところを見掛けるようになった。

 次期当主である自分より、よほど本家に大きな影響を与えていると――晴臣はそう思っている。そしてそれほどまでの存在が自分の横でポカンとしているのを見ると、信じられないような気持ちにもなる。

 彼女が自分の隣にいることが。

「……白蓮」

「なに?」

 呼びかければ軽く返事をする、まだ幼さを残した笑顔。

 いつも真っ直ぐで迷いのない視線。汚れなく真白の目と、クリアブラックの瞳。それを見ると晴臣はいつも言うべき言葉を見失ってしまうような気がする。

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