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第八話

 日が昇った。

 クエストの達成期限は今日の昼までだ。


 森の入口が見えてきたところで、コルトは人型に変化した。

 一気に魔力が消費され、手足どころか心臓の鼓動さえも鈍くなる。

 おぼつかない足取りで魔法陣に足を踏み入れると、コルトは瞳を閉じた。


 浮遊感が止み、瞳を開く。

 かろうじて回復していた魔力も、魔法陣に吸い込まれたようだ。


 今にも倒れそうな歩みで、冒険者ギルドへ歩き出した。


「大丈夫か」

 通りすがりの冒険者らしき男が、コルトに声をかける。

 かすかに開いたコルトの口から、鼓膜を震わせるには不十分な声が漏れる。

「倒れるぞあんた」

 見ていられないと、冒険者は無理やり腕を持ち、肩に腕を回した。

「ギルドに行きゃいいのか」

「ああ」

 冒険者に声を掛けられ、コルトは二人の冒険者に両脇から支えられる。


 コルトの視界がぼやける。

 どこに何があるのか、どこに向かって歩いているのか把握できない。


「よお、マリちゃん。この男がどこのアイドル嬢推しか知らないか」

 コルトの右側を支える男が、顔なじみのアイドル嬢に声をかける。

「お、奥! 奥のマリアットって子!」

 顔を真っ青にしながら、アイドル嬢はギルドの奥を指さした。


 コルトを支える二人の冒険者の前に、最奥のカウンターが見えてきた。

「兄ちゃん、あんたの推しが見えてきたぞ」

 コルトを鼓舞する冒険者の肩から、コルトの右腕が滑り落ちる。

 腕が離れる感触に、冒険者がコルトの腕を掴もうとするが、その手は宙を掴んだ。


 冒険者が慌ててコルトを見ると、そこには人間ではなくダークウルフが倒れていた。


 悲鳴を上げ、冒険者は尻餅をつく。

 横の冒険者の異変に気付き、左を支える冒険者もコルトに目をやる。

 同じように悲鳴を上げ、ダークウルフを宙に放り投げた。


 ダークウルフと、ダークウルフの陰に包み込まれなかった荷物が投げ出される。

 誰もが遠巻きにダークウルフを見つめていた。


 ざわめきを割り、一人のアイドル嬢がダークウルフに駆け寄る。

「コルト様!」

 周りの目など気にも留めず、ダークウルフを抱きかかえる。

 マリアットは、表情が残っていた日を最後に唱えなかった祈りの言葉を唱えた。


「おい、モンスターを回復させるとか正気か」

「黙ってて」

 威圧を感じる目に、声を荒げた冒険者も閉口する。


「この方は私の大切な冒険者様です。どんな姿でも、私の大切な」

 瞳から涙を流し、何度も祈りの言葉を唱える。

 マリアットの涙がダークウルフの瞼に当たり、 うっすらとダークウルフは瞼を開く。


 ダークウルフはまるで子犬のような声で小さく鳴き、自身を抱く腕を舐める。

 そのまま再び瞼を閉じ、心臓は動きを止めた。




「マリアット」

 宿屋のカウンター奥で瞳を閉じていた女は、その声に瞼を開く。

 声の主は、宿屋の裏口で手を振っている。

「びっくりするぞ。おいで」

「くだらないことなら、しばらくオーゼンさんの夕食、作らないから」

 小さくため息をつき、マリアットは宿屋の裏口に向かう。


 オーゼンがドアを開けると、そこには小さな子犬が寝転がっていた。

 首輪を付けた子犬は、入口近くに打ち付けられた杭に鎖でつながれている。


 宿屋の主人は、無表情のまま固まるマリアットの頭を優しく撫でた。

「君の働いてた、あの冒険者ギルドに寄ったらさ、引き取り手を探してたんだ。あのダークウルフに似てたから急いで引き取ってきたよ」

 マリアットはゆっくり近づくと、子犬を抱きかかえた。

 子犬はマリアットの顔を見ると、小さく鳴いて腕を舐める。


 子犬の目には、わずかに上がった口角と涙に濡れた無表情が映った。


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