日が昇った。
クエストの達成期限は今日の昼までだ。
森の入口が見えてきたところで、コルトは人型に変化した。
一気に魔力が消費され、手足どころか心臓の鼓動さえも鈍くなる。
おぼつかない足取りで魔法陣に足を踏み入れると、コルトは瞳を閉じた。
浮遊感が止み、瞳を開く。
かろうじて回復していた魔力も、魔法陣に吸い込まれたようだ。
今にも倒れそうな歩みで、冒険者ギルドへ歩き出した。
「大丈夫か」
通りすがりの冒険者らしき男が、コルトに声をかける。
かすかに開いたコルトの口から、鼓膜を震わせるには不十分な声が漏れる。
「倒れるぞあんた」
見ていられないと、冒険者は無理やり腕を持ち、肩に腕を回した。
「ギルドに行きゃいいのか」
「ああ」
冒険者に声を掛けられ、コルトは二人の冒険者に両脇から支えられる。
コルトの視界がぼやける。
どこに何があるのか、どこに向かって歩いているのか把握できない。
「よお、マリちゃん。この男がどこのアイドル嬢推しか知らないか」
コルトの右側を支える男が、顔なじみのアイドル嬢に声をかける。
「お、奥! 奥のマリアットって子!」
顔を真っ青にしながら、アイドル嬢はギルドの奥を指さした。
コルトを支える二人の冒険者の前に、最奥のカウンターが見えてきた。
「兄ちゃん、あんたの推しが見えてきたぞ」
コルトを鼓舞する冒険者の肩から、コルトの右腕が滑り落ちる。
腕が離れる感触に、冒険者がコルトの腕を掴もうとするが、その手は宙を掴んだ。
冒険者が慌ててコルトを見ると、そこには人間ではなくダークウルフが倒れていた。
悲鳴を上げ、冒険者は尻餅をつく。
横の冒険者の異変に気付き、左を支える冒険者もコルトに目をやる。
同じように悲鳴を上げ、ダークウルフを宙に放り投げた。
ダークウルフと、ダークウルフの陰に包み込まれなかった荷物が投げ出される。
誰もが遠巻きにダークウルフを見つめていた。
ざわめきを割り、一人のアイドル嬢がダークウルフに駆け寄る。
「コルト様!」
周りの目など気にも留めず、ダークウルフを抱きかかえる。
マリアットは、表情が残っていた日を最後に唱えなかった祈りの言葉を唱えた。
「おい、モンスターを回復させるとか正気か」
「黙ってて」
威圧を感じる目に、声を荒げた冒険者も閉口する。
「この方は私の大切な冒険者様です。どんな姿でも、私の大切な」
瞳から涙を流し、何度も祈りの言葉を唱える。
マリアットの涙がダークウルフの瞼に当たり、 うっすらとダークウルフは瞼を開く。
ダークウルフはまるで子犬のような声で小さく鳴き、自身を抱く腕を舐める。
そのまま再び瞼を閉じ、心臓は動きを止めた。
「マリアット」
宿屋のカウンター奥で瞳を閉じていた女は、その声に瞼を開く。
声の主は、宿屋の裏口で手を振っている。
「びっくりするぞ。おいで」
「くだらないことなら、しばらくオーゼンさんの夕食、作らないから」
小さくため息をつき、マリアットは宿屋の裏口に向かう。
オーゼンがドアを開けると、そこには小さな子犬が寝転がっていた。
首輪を付けた子犬は、入口近くに打ち付けられた杭に鎖でつながれている。
宿屋の主人は、無表情のまま固まるマリアットの頭を優しく撫でた。
「君の働いてた、あの冒険者ギルドに寄ったらさ、引き取り手を探してたんだ。あのダークウルフに似てたから急いで引き取ってきたよ」
マリアットはゆっくり近づくと、子犬を抱きかかえた。
子犬はマリアットの顔を見ると、小さく鳴いて腕を舐める。
子犬の目には、わずかに上がった口角と涙に濡れた無表情が映った。