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アークゲート・パラレリズム
アークゲート・パラレリズム
乾為天女
現代ファンタジー都市ファンタジー
2025年05月16日
公開日
2.6万字
連載中
普通の地方都市に、突如“異界の扉(アークゲート)”が開いた――。 だがその異変は、一般人の目には見えない。見えるのは、ごく一部の“観測者”だけ。 無難な生き方を貫く高校生・翔太郎と、相手に合わせて言葉を選ぶ璃桜は、ある日偶然この扉に干渉してしまい、「見えてはいけないもの」が見えるようになってしまう。 街には、神話的な存在“アニマ”が溢れ、日常が次々と非常識に書き換えられていく。記憶改変、感情の暴走、物理法則の崩壊…笑っているうちに、世界の根幹に触れてしまう二人と仲間たち。 果たして彼らは、この奇妙で騒がしい世界とどう向き合うのか?

【第1話】見えてはいけないものが、見えてしまった。

 空が落ちてきそうなほど低く、重く、そして澱んでいた。灰色の雲がぎゅうぎゅうに押し合い、光を押し留めたような午後五時、街全体が静まり返るような気配の中、僕――翔太郎は、ため息を飲み込んだ。

「なんでこうなるんだろうな……」

 声に出すほどの不満でもなかった。ただ、夕暮れの商店街で、人通りが薄れゆく中、自分の存在が浮いているような心持ちになって、そんな言葉が口から零れた。

 隣を歩く璃桜は、その言葉にすぐ反応を返すことなく、少しだけ視線を落としてから、静かに言った。

「翔太郎は、"なんで"って言うけど……。ほんとは自分で原因わかってるでしょ?」

「……え?」

「今日、放課後にあんなに時間潰したのは、駅前のミスドじゃなくて……わざとだよね?」

 図星だった。璃桜の言葉が喉元に刺さる。いつもそうだ。彼女は、僕が言わなかった感情を、まるで観測するみたいに拾ってしまう。

「いや、あれは……だって、あの神社の裏道、通りたくなかったから……」

「で、避けようとしたら迷ったってわけ?」

 璃桜は口角だけを少し動かして笑う。でもその表情には、揶揄の色はなかった。単に確認するように、僕の言い訳を並べただけだ。

 僕たちは、駅前の繁華街を外れて、住宅街の細い路地に入っていた。中学の頃に、遠足の帰り道で一度通ったきりの裏通り。いまでは雑草に埋もれ、舗装も所々割れ、通る人もいない。夕暮れ時に歩くには、少しだけ心細い。

「でも、方向感覚だけは信じてたんだよ、俺は……」

「……信じるなら、スマホ使えばよかったのにね」

「……いや、それは……バッテリーが……」

「満タンだったの、知ってるよ?」

 うっ、と詰まる。やっぱり、璃桜には敵わない。

 僕が歩を止めたのと、璃桜が小さく息を飲んだのは、ほぼ同時だった。

 目の前に、それはあった。

 住宅の並びが突然途切れ、崩れかけた石段が現れた。その上には、朽ちた鳥居と、苔に覆われた石灯籠、そして誰も近づいていないことが一目でわかる小さな神社の建物。

「……この場所、昔からあったっけ?」

「たぶん……いや、見たことない……」

 神社に詳しいわけじゃない。でも、こんな道を通った覚えが一度でもあるなら、確実に記憶に残っていたはずだ。異様な雰囲気だった。空気がひやりとして、周囲の音が、まるで吸い込まれていくように静かだった。

「戻ろう。変な感じがする」

 璃桜が言ったその瞬間。

 ごぉん、と重い風の音が鳴った。

 風ではない。低いうなり声のような、地の底から這い上がる音。その瞬間、鳥居の向こう――神社の建物の脇に、黒い穴のようなものが、ぬっと現れた。

「あれ……ドア?」

「違う……なんか、空間が……歪んでる?」

 翔太郎の足がすくんだ。璃桜は反射的に一歩引き、彼の腕を掴んだ。

 そのときだった。

 翔太郎の視界の端に、小さな影が映った。白くて、揺らいでいて……まるで、毛糸玉のような丸い生き物が、彼の足元をすり抜けた。

「い、今、何か……」

「見えた?」

 璃桜の声が震えていた。翔太郎は頷きながら、神社の奥の黒い“穴”に、無意識のまま手を伸ばしていた。

 触れた瞬間――視界が、裏返った。

 目の前の景色がぱきり、と音を立てて割れた気がした。まるで、ガラス越しの世界を覗いていたのが、急に直接触れるようになった感覚。世界が、ひとつ、増えたのだ。

 鳥の羽音が聞こえた。

 ……違う。羽じゃない。骨と皮だけの何かが、空をすり抜けていた。ビルの間に大きな目玉が浮かび、道路の隅では、歯車の脚を持つ猫が歩いていた。

「なにこれ……!」

 璃桜が叫んだ。でも、その叫びも、どこか遠く感じられる。翔太郎の意識は、景色に吸い込まれていた。

 アニマだ。

 言葉にならないけれど、そう確信した。目に見えるはずのない“存在たち”。それが今、街のあちこちに溢れている。

 すべては――神社の奥にあった“あの穴”に触れたせいだ。

 世界のルールが、音もなく変わってしまった。




 鳥居の下で立ち尽くす翔太郎の腕を、璃桜の指が強く握っていた。

「……戻ろう。今すぐ」

 璃桜の声は、理性で無理やり抑え込んだ恐怖の膜に包まれていた。彼女の目もまた、異形の存在を捉えていたのだ。あの歯車猫や、空に漂う目玉、電柱の影から背骨だけで立ち上がるようなものたちを。

 だが、翔太郎はその場から動けなかった。

 恐怖とは違う。頭の中に、何かを「知った」感覚が残っていた。まるで、世界がずっと嘘をついていて、それに気づいてしまったような。

 それは、少年にとっては呪いにも似た好奇心だった。

「……これって、もしかして」

「……観測者になったのかもね」

 璃桜の声が、少し震えていた。

「見えてはいけないものを、見てしまった。触れちゃいけない扉を……」

「でもさ。見えたってだけで、何か変わるのか?」

 言いながら翔太郎は振り返る。確かに――街はいつもの街だった。アーケードのネオン、通り過ぎる人影、コンビニの明かり。

 でも、その隙間に、いた。

 誰にも気づかれず、誰にも触れられず、空間に溶け込むように“アニマ”たちがうごめいている。ふわふわと浮かぶ花のような小さな生き物。骨だけの蝶。頭が3つあるカラス。傘の柄にぶら下がる目玉。

「……今まで、こんな世界で暮らしてたのか、俺たち」

「きっと、みんな知らなかっただけ。でも、もう私たちは……見える」

 璃桜の言葉に、翔太郎はただ頷くしかなかった。

 そのまま、二人は神社の階段を駆け降りた。重く垂れ込めていた空は、いつの間にか夜の気配を帯びていた。街灯がぽつりぽつりと灯り、道の端では、ひときわ小さな“アニマ”がコンビニのチラシを読んでいた。

 自転車置き場の脇では、新聞紙でできた蛇が、くるくると回って踊っていた。

「……あれ、どう考えてもおかしいだろ」

「翔太郎、声に出さないで」

「いや、無理だろ。あれ、“週刊チャンピオン”を音読してるぞ……!?」

 璃桜は何も言わず、彼の手首を引いた。そのまま駅前まで走り抜けた。

 自宅に帰り、部屋のドアを閉めたとき、ようやく翔太郎は腰から崩れ落ちた。

 息が、浅い。

 頭が、ぐるぐるしている。

 だが、夢ではない。あれは、現実だった。

 机の上に置いたカバンのチャックが、ゆっくりと開いた。

「……っ!?」

 中から、くしゃくしゃになったプリントが浮かび上がった。まるで自分の意志を持ったように、ふよふよと空中を舞う。

 そして、文字が空中に浮かび始めた。

【翔太郎へ 見たね? ようこそ、観測者へ】

 翔太郎は絶句した。喉が詰まり、汗が背中を伝った。

 けれど――そのとき、不思議なことに、恐怖よりも先に、妙な覚悟のようなものが浮かんできた。

 これは、逃れられない。

 そう思った。

“見えてしまった以上、戻ることはできない”。




「……なにこれ」

 翔太郎は、浮かぶプリントの文字をじっと見つめた。文字が空中に滲んでゆき、再び別の文になった。

【“観測者”へ。君の目はもう、真実を避けられない】

「いや、そんなポエムみたいな言い回し……誰が書いてんだよ!」

 すかさず突っ込んだが、部屋には翔太郎ひとりだけ。空中の文字は無言のまま、ふわりと宙を舞って消えていった。プリントはぺらりと床に落ち、ただの紙に戻ったように見えた。

 翔太郎は、恐る恐るそれを拾い上げた。

「……普通の……プリント、だよな」

 見た目はそうだった。日付とクラス、担任の赤ペン、雑なプリンターのインクのかすれ具合。全部が、当たり前の日常にあるものだった。

 だが、確かに見た。さっき、空中に浮かび上がった文字を。

「やばいなこれ……もしかして、頭イッた……?」

 頬を軽く叩いてみる。鈍い音が返ってくる。夢じゃない。

 現実に、何かが起きていた。

 そのとき、窓の外から「シャー!」という奇声が聞こえた。

「……猫? いや、違う、あれはたぶん猫じゃない……」

 窓に近づいてそっとカーテンを開けると、電線の上で“それ”は踊っていた。

 全身が蛍光灯のように光っていて、骨格はカマキリ、尻尾のようなコードが風になびいている。

「アニマ……だよな」

 これが見えるのは、自分だけ。

 そう思った瞬間、背筋がぞわりとした。

 つまり、自分はもう、普通の世界にはいない。

 どこかで切り替わった。誰も気づかないうちに、知らない“もの”が見える世界へと足を踏み入れていた。

 ピロリン♪

 突然、スマホが鳴った。液晶には「璃桜」の名前。

【通話中です】

「翔太郎、落ち着いてる?」

「全然」

「……だよね。私も」

 璃桜の声はいつも通りの静かなトーンだが、その奥には張り詰めた緊張が透けていた。

「さっきから……周り、変だよ。街中に……変なものがいる。透明じゃない、はっきりと……輪郭が見える」

「俺も。さっき、プリントが空中に浮かんで文字出してきた」

「……本格的にバグってるね」

「お前は冷静すぎるだろ」

「混乱しても意味ないから」

 璃桜はそれだけ言って、しばし黙った。

 沈黙が続く中、ふと翔太郎は言った。

「なあ、明日、学校……行く?」

「行くよ」

 即答だった。

「私たち、いま“見えてしまってる”けど……だからこそ、何が起きてるのか、ちゃんと調べないと。ほら、さっきのドア。あれ、まだ気になってるでしょ?」

 図星だった。

「……あれ、もう一回……見に行くのか?」

「うん、でも一人じゃ危ない。だから……一緒に」

 電話の向こうで、璃桜が小さく呼吸を整える音がした。

 翔太郎は天井を見上げて、深く息を吐いた。

「……じゃあ、明日放課後。神社で」

「うん。気をつけてね」

 通話が切れたあと、翔太郎は枕に顔を押しつけて叫んだ。

「なんでこんなことにぃぃぃ!」

 その叫びに反応するかのように、棚の上の鉛筆立てから、ひときわキュートな“花の妖精”のようなアニマが、ちょこんと顔を出してこちらを見ていた。

 翔太郎はもう、驚かなかった。

 いや、驚きすぎて、感覚がバグってきていた。




 翌朝、目覚めと同時に、翔太郎は思い出してしまった。

 見たもの。聞いた声。感じた気配。あれは夢なんかじゃなく、間違いなく現実だった。

 だが、カーテンを開けて差し込む朝の光は、妙に穏やかで、あまりにいつも通りで、まるで昨夜の異変など存在しなかったような空気を漂わせていた。

 ……いや、違う。いる。

 電線の上に、まだ“カマキリ蛍光灯”がいた。しかも今朝は二体に増えて、なにやら上下運動でラジオ体操のようなことをしている。

「……朝から元気だな、お前ら」

 乾いた声が漏れる。もはやツッコミすら習慣になりつつある自分に驚きながらも、制服に着替え、トーストをくわえて玄関を出た。

 通学路。住宅街。コンビニ前。全部、いつも通り……に見えるが。

 道端で、自販機の陰から覗いてくる毛玉。バス停のベンチに座る、顔がテレビになった存在。歩道橋の欄干に並ぶ、目が十個あるハト。

 全部、誰にも気づかれていない。誰も見ていない。

「俺たち、やっぱおかしなもん見えてるんだな……」

 横断歩道を渡っているとき、背後から肩を軽く叩かれた。

 振り返ると、璃桜がいた。

「おはよう」

 制服姿に、真面目そうな表情。ぱっと見は普通の女子高生そのものなのに、その手には、なぜかA4ノートとカメラが握られていた。

「……何それ?」

「観測日誌と証拠写真用」

「完全に研究者のノリじゃねえか!」

「記録しないと、混乱するから」

 璃桜の冷静さは、本当に不安になるレベルで常軌を逸していた。でも、その冷静さのおかげで、翔太郎もギリギリ保っていられる。

 二人で歩きながら、登校する。途中、郵便ポストから生えた触手が「チラシ受け取り拒否!」と叫んでいたが、二人は見なかったふりをした。

 校門の前に着くと、ひときわ大きな“それ”がいた。

 体育館くらいのサイズの、ふわふわした風船のような何かが、空中に浮かびながら、生徒たちの頭の上をゆっくり漂っていた。

「……あれ、誰も気づいてないの?」

「たぶん、私たちだけ」

 翔太郎はごくりと唾を飲み込んだ。

 教室に入ると、騒がしいいつもの空間が広がっていた。黒板には授業予定。生徒たちはわいわいと談笑していて、机の下では、アニマたちがラジコンのように動いていた。

「……日常って、なんだっけ」

「翔太郎、意識飛びそうになってるよ」

「いやもう、誰か助けてほしい」

 休み時間、翔太郎は自販機で買ったオレンジジュースを開けた瞬間、中から声がした。

「せんきゅー!オレん家最高だろ!」

 びっくりして手を離しかけたが、璃桜に支えられて難を逃れた。

「このジュース……喋るんだけど」

「生きてる飲み物は初めてだね」

「さも当然みたいに言うなや!」

 そのやりとりを見ていたのか、前の席の女子――麗奈が、にこにこと近づいてきた。

「翔太郎くん、なに話してるの?」

「あ、いや……ジュースが喋って……えーと、気のせいかも……」

「そっかあ。最近、翔太郎くんってちょっと変わったよね?」

 その笑顔に、翔太郎は背筋を凍らせた。

 この笑顔の裏には、なにかある。

 思えば、麗奈は以前から少し“周囲の反応が不自然”だった。話した覚えのない話題を知っていたり、記憶が繋がっていないようなことがあった。

 もしかして――彼女も“観測者”なのか?

 いや、それとも……

「翔太郎、昼休み、屋上行こうか」

 隣で璃桜がさらりと提案した。その声には、ほんのわずかに緊張が混じっていた。

 翔太郎も、即座にうなずく。

 このままでは、普通の生活は無理だ。

 なにかを掴まなければならない。




 昼休みのチャイムが鳴ったと同時に、翔太郎と璃桜は机を離れた。購買部へ走る同級生たちを横目に、階段を上がり、人気のない屋上へ。

 鍵はいつも開けっぱなしだった。この校舎で唯一の“自由な空間”のように、生徒たちの間では暗黙の了解がある場所。

 ただ今日は、誰もいなかった。

 鉄の扉を開けて、一歩踏み出した瞬間、翔太郎は目を見張った。

「……うわ、空、めっちゃ綺麗じゃん……」

「あれはたぶん……アニマの仕業」

 璃桜が指差した先には、校舎の上空をぐるぐると舞う、雲のようなアニマの群れがあった。それは虹色にきらめきながら、空に模様を描いている。校庭の真上には、巨大な『今日もがんばろう!』の文字。

「おまえ……応援してるつもりか……?」

 翔太郎が呆れたように言うと、璃桜は笑いをこらえきれず、吹き出した。

「優しいじゃん」

「いや、優しすぎて逆に不安になるわ」

 二人でベンチに腰を下ろす。翔太郎はゆっくり深呼吸した。

「……なあ、璃桜。俺、もう普通に戻れないのかな」

 璃桜は少し考えてから言った。

「たぶん、戻れない。でも……普通じゃないって、悪いことじゃないと思うよ」

「そうか?」

「見えてしまった以上、どう付き合うかは、私たち次第」

 その言葉に、翔太郎はしばらく黙り込んだ。

 足元を、文房具のような姿をした小さなアニマが通り過ぎていく。鉛筆の胴体に定規の羽、消しゴムの頭がちょこんと揺れている。

「でもさ、これって……他の人にも影響出たりしないのかな。ほら、今朝さ、俺のプリントが勝手に喋ったり、浮いたりしてたんだけど……」

「それ、たぶん……観測者の“影響圏”が広がってる」

「影響圏?」

「見えるようになると、アニマたちも“見られてる”ってわかるの。で、接触しやすくなる。多分、私たちに反応して、周囲の“物”も活性化してる」

「それって、つまり……俺らがウイルスみたいに?」

「……うん。やや迷惑な感染源みたいな」

「やめてくれ、その例え。泣きそうになる」

 翔太郎が頭を抱えたそのとき、階段の下から誰かの足音が響いてきた。

「……あれ?」

 屋上の扉が開いた。

「先客、いたのか。おーい、翔太郎ー!」

 現れたのは、先輩――真吾だった。

「お前、また屋上でサボってんのかと思って来てみたら……お、璃桜もいるじゃん。やっぱカップルってやつか?」

「ち、違います!」

 翔太郎が反射的に否定すると、真吾はにやにやと笑った。

「冗談だよ、冗談。でもさ、最近……お前ら、なんか変じゃね?」

 その一言に、空気がピリリと緊張する。

 翔太郎は言葉を探す。だが言い訳を並べる間もなく、真吾の目が翔太郎の肩越しに向けられた。

「……あれ、なに?」

 翔太郎の背後。ベンチの背もたれに乗っていた、さっきの“文房具アニマ”。

 本来なら、普通の人には見えないはず――だが、真吾は、はっきりと見ていた。

「これって、鉛筆に消しゴムついて……羽生えてる?」

「見えてる……のか?」

 翔太郎が思わず呟くと、真吾は一拍置いてから、あっさりと頷いた。

「……たまに見るんだよ。なんか、ちょっと昔から」

「う、うそだろ……?」

 璃桜も目を丸くした。

「え、じゃあ真吾先輩って……前から“観測者”だったってこと?」

「かんそく……? なんだそれ?」

「……知らずに、ずっと?」

「たぶん、な。でも誰にも言ったことないし、言っても信じてくれねーし、怖がられるだけだったから……放っといてた」

 それを聞いて、翔太郎は膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。

 自分たちだけじゃなかった。

 見えてしまっても、生きていける。

 少しずつ、謎が繋がりはじめていた。




 翔太郎は真吾の言葉に、ただ呆然とした。璃桜も黙ったまま、じっと先輩を見つめている。三人の間に、微妙な間が生まれた。

「なあ、翔太郎……“見える”ってさ、いつからなんだ?最近だろ?」

「うん。昨日の夕方。あの神社……裏の廃れたとこで、変な扉に触れた瞬間から」

「ああ……やっぱ、あそこか」

「知ってたんですか?」

 璃桜の鋭い問いに、真吾は首をかしげた。

「なんとなく、あの辺……変だったんだよな。小学生の頃から、あの鳥居の奥だけ、色が違って見えた。俺は怖くて近づかなかったけど……でも、あの日からかな。目に入るようになったの」

「それ、いつの話ですか?」

「中一のとき」

 それを聞いた翔太郎と璃桜は、思わず顔を見合わせた。

「……じゃあ、先輩は、もう何年も“観測者”だった……」

「そんなかっこいい名前、今初めて聞いたけどな」

 真吾は苦笑いしながら、肩をすくめた。その仕草に、少しだけ安心を覚える。

「でもさ、あのさ……お前らもそうだけど……“見える人間”って、他にもいるんじゃね?」

 その問いに、誰もすぐには答えられなかった。

 璃桜は、静かにノートを取り出し、ページをめくる。

「観測者になったあと、いくつか特徴的な現象があった。文字が浮かぶ、物体が動く、感情に反応するアニマが寄ってくる、あとは……周囲の人間の記憶に“違和感”が生じることも」

「記憶に……違和感?」

 翔太郎は、ふと今朝の麗奈の言葉を思い出した。

 ――翔太郎くん、なんか変わったよね?

 そのとき、確かに背筋がざわついた。

「あの子……麗奈。何か気づいてるかもしれない」

「彼女……たまにおかしいよね。妙に記憶が曖昧で、でも誰からも疑われてない。存在感が強すぎて、逆に“偽装”されてるような感じ」

「それって、アニマの影響……?」

「可能性はある。でも、決めつけるには早い」

 翔太郎は、屋上のフェンス越しに、街を見下ろした。

 どこにでもある地方都市。静かな午後。だけど、そのすべての隙間に“異形”が潜んでいる。

「俺、怖いよ。正直。だけど……もう見ちゃったから。何が起きてるのか、知りたい。誰が関わってるのかも」

「……私も」

 璃桜の声は、ゆるやかに震えていた。

「私たち……選ばれたんじゃない。偶然、足を踏み外しただけ。でも、だからこそ、進むしかないんだと思う」

 翔太郎はうなずいた。

 その瞬間、校庭の花壇に突き刺さったシャベルから、突如「ワタシモ!タスケル!」という機械音が聞こえ、真吾が椅子から落ちた。

「……な、なんだこれ……!?喋ったぞ!スコップが!?」

 翔太郎と璃桜は顔を見合わせたあと、堪えきれずに笑い出した。

「ようこそ、観測者チームへ、真吾先輩」

「や、やめてくれ……俺、そういうの、あんまり乗り気じゃないんだけど……」

「でも、見えてる時点で仲間ですよ」

「そ、そんなバカな……!」

 真吾が嘆く横で、シャベル型アニマが「ヤッタネ!」と叫びながら土を掘り続けていた。

 日常と異界の境界線が、静かに、確実に崩れはじめていた。

 翔太郎は空を見上げた。

 昨日とは、違う世界。

 見えなかったものが、見える。

 聞こえなかった声が、聞こえる。

 それでも、自分はここで生きていくしかない。

「璃桜……明日も、また神社、行こう」

「うん。真吾先輩も、来てください」

「うわぁ……逃げられないやつだ、これ……」

 観測者たちの物語が、こうして始まった。

 誰にも知られず、誰にも信じられない世界の“裏側”を、彼らはこれから歩んでいくことになる。

 それが、見えてしまった者の、宿命なのだから。

(第1話 完)


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