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第35話 俺は猫の言葉は分からない

 バタンッと閉まる扉の音が重々しく聞こえる。


 自室へと戻ったカイムの部屋は、特に代り映えはなく相変わらずの生活感が漂っていた。


(ジャック、今日も帰ってないのか)


 玄関にあるジャックの靴が多すぎて、出かけているのか室内にいるのか判断できないが少なくとも気配は無い。


 退院した体は健康そのもの。


 相川絢との争いでついた擦り傷や火傷はあるが、入院するほどのものでもなかった。


 その代わり打ちつけた肩はテーピングでグルグル巻きにされ、手には黒皮の手袋を嵌めさせられたが。


 ベッドに仰向けに倒れカイムは自分の左手を見上げた。


 どこにでも売っている様な市販の手袋に見えるが、病院側が用意してくれた品だ。


 皮膚の摩擦を防ぎ、蒸れない様に加工されているらしく、何もつけていなかったときより幾分はましになる。


 ベッドに備え付けられたアナログ時計は現在夕方四時を指していた。


 カイムは何度かベッドの上で寝返りを打つ。


「あー……」


 頭を過ぎる事は沢山あった。

 特にジーンの事。


 どうやら彼女は二千万種以上の遺伝子を補完する生きる箱らしい。


 しかもそれは南極の研究所から何らかの目的があってやってきた。


 組織は『全生物の平和』、名前から判断すれば巨大な秘密結社と言ったところだろうか、とカイムは思う。


(死ねない体に、全人類を救うバケモノ……)


 死ねない体は分からなくも無い。


 軍事基地で生まれたシルバー・エイジも他国に解剖・調査されないように戦争へ出る場合は、死亡と同時に体内のナノマシンから再生化するための細胞が消去される薬品を打ち込まれる。


 ジーンの場合は死なないことで、秘密を守るということだろう。

 または、プロテクトがかかっているかだ。


 その体にある遺伝子も悪用される危険があるため、血液を操ったりできるのだ、多分。


(バケモノってのは、ええと、本で読んだ事がある)


 キマイラだ。


 十代にも満たない頃に読んだファンタジー小説だったがそこには合成獣と言う生き物が存在していた。


 ライオンの頭とヤギの胴体、確か尻尾が蛇だ。


 キマイラは様々な遺伝子を内包していてその生物たちの特徴を生かして戦っていた。


 ジーンの違うところと言えば、遺伝子に容姿が影響されないこと。


(それをバケモノって言うのなら、この街のほうが十分にバケモノだ)


 遺伝子を弄くり、人の体を改造し、抑止力としての人間を作っている。


 この基地の住人のほうがジーンよりもよっぽどキマイラでバケモノではないか。


(でも、別にそれが良いとか悪いとかじゃない)


 ジーンに出会うまで考えた事はなかった。


 何が正義で何が悪だとか。


 この世界は常に争っていて殺したり支配したりするのが当たり前で、日常茶飯事で戦争が起きていた。


 しかし巨大な勢力として成長したガリアドア帝国がシルバー・エイジのノウハウを開発した事により世界のパワーバランスは崩れ、現在のギリギリの均衡状態を何とか保っている。


 けどそれもいつ終わるか、いつ戦争が起きてもおかしくないのが現状だった。


 だから軍事基地では次々と成長期の人間たちがシルバー・エイジへと改造されていく。


 それを当たり前の事として受け取っていた。世界はそうなんだからそうなんだろうなと。


 けどジーンが言うにはその先にあるのは人類滅亡、いや生物の住めない星とでも言ったほうが分かりやすいか。


 そこが行き着く先だと言う。


 ただの学生をしていたカイムには未だにピンと来ないが、なんとなくそうなんだろうなと思えるような気もした。


 そしてあの小さなジーンは生物の絶滅を防ぐ為に来たと言う。


(常に言う事がでけーんだよ……分かりにくい)


 一人で戦争でも止める気か、それとも他に手立てでもあるのか、頭を何度かかくがその先までは思いつかない。


 分かる事はジーンは今度こそもう会えない所に行ってしまった。


 その事実だけだった。


「と……そういや首筋……」


 右手で触ってみると、まるで吸血鬼にでもかまれたような跡が二つ生まれていた。

 牙で刺された跡だが痛みは全くなかった。


 相川を説得しようとしていたときは、噛まれた記憶なんてないのだが、記憶を失っている間に何かが起きてたら怖いなと思う。


「ここ最近生傷たえねーな……」


 ジーンと出逢ってから数日なのに体が次々と蝕まれているような気がした。

 傷にではなく、ジーンと言う影に。


 相川絢もあれからどうなったのか、気にならないといえば嘘になるが、まともなときに会った事が無いので、顔を見に行くのもなんだか憚られた。


 同居人、ジャックの顔も最近見てない気がする、それほど日にちは経っていないはずなのに。


 毎日見ている顔のせいか――見たくも無いのだが、いないならいないで現実味が薄い事に拍車をかける。


 まるで自分だけが世界と言う舞台から切り離されたような気がした。


 漫画でいうところの役目が終わったキャラクターだろうか。


 これは現実なんだから、これからも自分の物語は続いていく、けれど物語という名のレールから外されスポットライトが一向に届かない場所に置かれた感覚は消えない。


 勿論『ただの人間で何の才能もない遺伝子』しか持たない普通の迅葉カイムには、これ以上出番は無いだろう。


 普通の人間には熱にうなされたシルバー・エイジを救う事は出来ないはずだった。


 普通の人間には二千万種の遺伝子を持つ『遺伝子保管者』に出会うことなんて偶然以上のなんでもなかった。


 けれど普通の何の才能も無い迅葉カイムはそれをやってのけた。


 運だろうが、助力があっただろうが結果には関係ない。


 迅葉カイムはその時ほど生きていると感じた事はなかったのだから。


「ん?」


 窓――ベランダ辺りから窓を叩くような音が聞こえた気がした。


 叩くといっても力強くではなく、とても弱々しい。まるで猫が柔らかい肉球でぽんぽんと叩いているような――。


「……ライオン?」


 まさにその通りだった。


 黄金色の毛並みを持つ凛々しい顔つきの猫が、三階にも関わらずカイムの部屋のベランダにいた。


「何だお前、迷ったのか?」


 猫が三階まで登ってくると聞いた事はないがカイムは窓を開けてライオンを部屋へと招き入れた。


 ライオンは礼を言うでもなく、さも当たり前のように凛々しい姿でさっそうと入室する。


「お前も主人に似て随分と偉そうなのな……」


 その主人は今は何処にいるのか全く見当がつかないが。


「お前が犬だったら少しは期待するけど、猫じゃなぁ……」


 カイムの冷ややかな目にも全く動じずライオンは体を舌で舐めている。


 そんなライオンにカイムはミルクを皿に注ぎ差し出してやった。


「ほれ、冷えてるぞ」


 猫に冷えたミルクはもしかしたら悪いかもしれないが外は結構暑い。


 きっと問題ないだろう。


「……ん、どうした?」


 ライオンはじっとカイムを見上げている。


 まるで何かを見定めているかのように。


 注がれた牛乳には手もつけず、じっと見つめてくるのだ。


「ほお、俺からの施しは受けられないって顔だな」


 どこまで偉そうなんだかとカイムは頭をかき、とりあえずベッドに倒れこんだ。


 考えてはすぐ消えるぐちゃぐちゃとまとまらない思考がいくつも飛び交い、これからどうしたものかと思い始めたころだ。


「なんだよ……」


 首を曲げ視界に映る猫を捕らえる。


「俺は猫の言葉なんてわかんねーの」



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