相変わらず代り映えのない部屋に足を踏み入れる。
シンクを横目に見やるとそこそこ綺麗に片付いている。
キッチンは出るときに綺麗にしておいてよかったと思う。
この腕で洗い物などしたくなかった。
右手に大量のチーズバーガーが入った袋を持ち、左腕を首から釣りながら室内を見渡した。
あれから二日しか経っていない。
体の機能としては軽症だが、さすがに左腕だけは逝ってしまった。
むしろあれだけの事を体験しておいて、左腕骨折だけで済んだ方が奇跡だろうか。
(代り映え……無いはずないよな)
自分の価値観が数日前とはどこかちょっとだけ変わったように、この部屋も変化していた。
あれほど荒れ放題だった玄関のスニーカー達がいなかった。
ゲーム機や漫画、CDなどが散乱していたベッドは、今や綺麗に折りたたまれ新しい入居者をいつでも歓迎できる状態になっている。
部屋の隅々は綺麗に片づけられていて、この部屋の住人が一人居なくなった事を知った。
(あんなに狭い狭いと二人で喚いてたんだけどな)
こうやって見るとまだまだ物は詰め込めそうだった。
これなら新しいテレビでも置けそうだ。
なんなら本棚を買っても良い。
冷蔵庫も大きく出来るじゃないか。
洗濯機すら室内に置ける。
そうだ、これからは静かになるからスピーカーの一つや二つ設置してやろう。
主人の居なくなったベッドを眺めながら、これからの部屋の構想に思い耽るが何一つまとまらなかった。
(それもそうだ、一人なら、これだけで十分だもんな)
一人用のベッドと小さな棚にベッド下の収納だけで十分だ。
これ以上求めても有り余るだけだった。
と、中央に置いてあるテーブルの上に一枚の切れはしを見つけた。
カイムは袋をテーブルに置き、代わりに手紙を拾う。
そこには少年が書くような汚らしい字で文章が走っている。
『お世話になりました。どうも文は苦手ですね。想い通りに語れません』
「敬語かよ……」
文の汚さでこの手紙の主は大体想像がつく。てか奴しかいない。
『『
迅葉ちゃんが陽動してくれたおかげで好き勝手動けました。
軍事基地には多数の反勢力が隠れ住んでいます。
そのうちの一つが私達の手によって制圧出来ました。
ご協力を心から感謝します。
しかし私は一応にも自国監査組織『
正体を同居人に知られては今後平和な生活が送れる保証はありません。
(勿論、迅葉ちゃんにとってです)。
ですから、これを機に出て行こうと思います。
私がいなくても毎日三食しっかり食べてください。
早寝早起きして健康に過ごしてください』
「……親愛なる迅葉カイム様へ、ジャック=フレミング」
手紙がカイムの手の中でクシャッと音を立てる。
「馬鹿だろ、あいつ……」
何も言わずに部屋を綺麗にして出ていき、置き手紙なんていかにも時代錯誤で古すぎるんだよ、と怒りがこみ上げカイムは手紙を地面に叩きつけた。
その瞬間、
「うぁああああああああああああああ!」
足首をぬるっとした温度の何かに握られた。
「忍法、寝床隠れの術!」
主不在だと思っていたベッドの下から、お約束過ぎる手紙の主の手がカイムの足首をがっちり後ろから掴んでいた。
「泣いてる? 泣いてますか?
どんな気持ち? ねえ、今どんな気持ち!」
意地悪く笑いながらベッドの下からウザい声がくぐもって聞こえる。
きっと奴は埃まみれの中ずっと潜んでいたのだろう。
「……最高に最低だな」
カイムは掴まれた手を振りほどきもせず呟いた。
「しかしあれですなー。
あの小娘と一緒に返ってきた迅葉ちゃんの嬉し恥ずかしトークを、忍者のように華麗に潜みながら楽しもうと思ったものを!」
「それは盗聴って言うんだぞ」
「で、あの小娘は何処ですかい?」
人の話を聞かず、忍者はベッドの下で首を動かしながら話しているような声を出した。
「……いねえよ」
「ほう? こっちも目撃しとらんでござるよ?」
カイムが病院で目を覚ました時にはもういなかった。
看護師の話では気を失っている時まで二人は――そこは自己の理性を保つために割愛させていただくが、穏便に言えば仲良く並べて寝かされていたそうだが、知らぬ間にジーンだけ消えていたらしい。
「さあな」
「探しに行かんでござるか?
いくら彼女を狙う組織が今はいないと言っても、あまり良いものでもないでっしゃろ?」
「俺だって聞きてえよ」
ジーンが消えた理由はジーンにしか分からない。
またつまらん理由で消えたなら、今度こそ本気で探して、縄で括りつけてやらねばなるまい。
けど、そのつまらん理由すら今は不明だ。
「そうでっかー、じゃここにいても仕方ないな。
もとより任務は失敗しておるしにゃん。
安心せい、これ以上、小娘を狙いはせんよ!」
壁を蹴りベッドの下から埃をまきちらしながら、ジャックはずざーと姿を現し、立ち上がった。
「では、さらばじゃ……迅葉ちゃん!」
学生服姿のジャックは身を翻した。
「なあ、ジャック。
お前、わざと失敗したよな」
カイムの問いにジャックは肩を一度すくめ、何のことやらとアピールする。
「芝居が下手すぎんだよ。このエセ忍者が。
お前……大丈夫なのか?」
『不可視の梟』なんて大層な名前を掲げているのだ。
失敗はかなり大きな打撃なのではないだろうか。
「なに、命さえあれば一度の失敗なんて。
それに拙者は誓ったでござるからな」
「何をだ?」
「忍者とは多くを語らんでござる」
珍しく笑い声以外の声でジャックは声を出し、ドアノブに手をかけた。
「では、またいつか、奇跡が起これば」
社会のルールよりも自分で作ったルールは必ず守る。
それさえあれば彼の信念は崩れない。
「と……そうだ最後に拙者からも質問を」
「ん?」
「何故、迅葉ちゃんは、あんなにも
まるで吸い寄せられるように。
センサーも何も持っていないのに」
うーん、とカイムは首をひねる。
本当に見当がつかないからだ。
「はは、そうでござるにゃ。
いやはや、そう思えるのが一番風情がある。
有り難く答えは受け取った」
「は?」
ジャックは一人でうんうんと納得して、一度カイムを振り返って部屋を出て行った。
「なんのこっちゃ?」
もしそんな能力があるなら今でもジーンをすぐに探しに行くもんだが、一向に何も分からない。
自分はシルバー・エイジでもないし、忍者でもサイボーグでも、アンドロイドですらない。
ただの人間なのだ。
怒られればへこむし、楽しい事があれば笑う。
壁にぶつかれば悩むし、困ってる人がいれば放っておけない、怖ければ逃げ出す。
多くの人に囲まれないと寂しくなり、助けられないとすぐに死んでしまう弱い普通の人間。
ガラガラガラ。
ベランダの窓が弱々しく開いた音が聞こえ、ひとこと「にゃあ」と可愛らしい声にカイムは振り向いた。
「おいおい、飯に釣られてやってきたのはこっちか――」
「ライオン! お主は必死になって探した友を見捨てて、一人で先行するとは、まだ、その、な、なんだ、こ、心の準備と言うものが――!」
乱入してきた猫は袋の中に首を突っ込み、カイムは追ってきた長すぎるマフラーを首に巻いた奇妙なマフラー女とばっちり目が合ってしまった。
「よ、よう」
「う、うぬ」
全てを持つ者と全てを持たざる者。
自らに無いモノは惹かれあう。
お互いにはにかみ、金髪の少女はマフラーで口元を完全に隠しカイムに呟いた。
「せ、責任を取ってもらいに来た」
その表情は何処にでもいる普通の少女と何ら変わりない笑顔だった。
END