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第十八話 カノン・イベント③


 戸塚くんの作戦は、要するに陽動作戦だった。


「矢のウロコのやつは、建物の屋上から狙ってきてると見た」

「屋上?」

「矢の角度と、撃ってくるタイミング的にね。あと、遠距離武器は高所を取るって、わりとセオリー通りだし」

「……でも、この商店街に屋上のある建物ってそんなにないよね?」

「そうだね、でもひとつじゃない。あそこ、小さいビルが隣接してるでしょ? おそらくどっちかにいるんだけど、まだ絞り切れないし、狙いに行ってるのが悟られると、十分逃げられる距離だ」


 戸塚くんの指の先には、確かに隣合ったビルが並んでいた。射撃手は姿を隠していて、この距離からだとどちらに潜んでいるのかわからない。

 だから、と戸塚くんは続ける。


「五分。五分だけ時間稼いでくれたら、俺がどうにかしてあのビルに近づくよ」

「……それは、なんとかなると思うけど、」

「おっけい助かる! じゃああとは任せて、境ちゃんは自由に走っちゃってよ。ヤバかったら最悪逃げてもいいからさ」


 大丈夫。

 私はもう十分逃げて、ここにいるんだから。


 私は走る。ただひたすらに、できるだけ目立つように。

 左足のすぐ側に矢が刺さる。


「下手くそ! ちゃんと狙いなよ!」


 別に怖くない。怪我とか慣れてる。死ぬのだって、今は別に。

 矢の本数は次第に増えていく。私と戸塚くんは完全に別行動を取ったのだと割り切ったのだろうか。それとも、私さえ殺せれば目的は果たせるから? わかんないけど、わかんなくてもいいや。

 私は、走るだけだから。


「ああ、疲れた」


 でも気分いい。足はまだ動く。

 何本でも、何本でもかかってこい。全部、置き去りにしてやる。


◇ ◇ ◇


 境ちゃんは想像してたよりもずっとまっすぐな子だった。そのまっすぐさのせいで今まで苦労してたんだろうなって、少し話しただけで察しがつくくらい。

 そして彼女は俺の作戦に乗っかってくれて、今、一生懸命に走ってる。今にも当たりそうな矢を掻い潜って、多分鉛みたいに重たい体をなんとか気合いで動かしながら。

 俺の仕事は、境ちゃんの『一生懸命』を無駄にしないことだ。

 境ちゃんの活躍もあって、どうにかビルの足元まで近づけた。あとはこの仕込みさえ終われば、作戦はほとんど成功したようなものだ。


「よし」


 そして今、その仕込みも終わった。

 行くか。正直嫌だけど。

 意を決し、ビルの機能していない自動ドアを蹴り破る。老朽化が進んでいたのか、飴細工のようにバラバラになったドアの破片を踏まないようにしながら、俺は急いで屋上に続く階段を探した。

 飛び込むビルはどちらでもよかった。どちらを選んでも俺は同じように突入するつもりで、侵入を隠す気は一切なかった。むしろ気づかれた方がよかった。

 狙う側から狙われる側になったことを自覚して、焦れ、動揺しろ。

 そして致命的な隙を、俺に差し出せ。

 屋上への扉には鍵がかかっていなかった。いざとなれば自分の退路にもなり得るのだから、それは当然のことなのかもしれない。


「よお、ネチネチスナイパー」


 そして意気揚々と飛び出た先では、これも当然、俺の方に標準を合わせた、細身の男がこちらを待ち構えていた。こいつ、確か将棋部だったっけ。

 ってか、あれ?


「お前のウロコってボウガンかよ!」

「死ね」


 風切り音と共に、男の構える黒いボウガンから矢が射出され、俺の胸の辺り目掛けて飛んでくる

 が、それは別にいい。

 矢は俺の両手の間に何重にも展開していた糸の盾で弾かれる。真正面から受け止めると、手が痺れるくらいの衝撃はあったけれど、相手の狙いが分かれば防ぐのは不可能じゃない。


「待ち構えてたのはこっちも同じってわけよ」


 俺はまっすぐ男には向かわず、左右に揺さぶりをかけるようにジグザグと走った。


「クソが!」

「ひい、大人しそうな見た目しといて口悪いね、あんた」


 見る感じ、男の持っているボウガンは小型で、威力はそれなりな分、装填時間は短い、詰め寄る前にもう一発は撃たれそうだ。

 近くなれば近くなるだけ、矢を防ぐ難易度は上がる。

 できればもう一発を避け切ってから攻撃に出たいところだ。


「お前、戸塚だろ! チャラチャラヘラヘラしやがって……俺が一番嫌いなタイプの人種だ」

「おお、嫉妬してくれるなんて嬉しいなあ。それ、憧れの裏返しって言うんだよ」

「絶対殺す」


 殺す殺すって、うるさいやつだな。


「つーかお前、まだ人殺したことないでしょ? ポイント、見えないもん」

「うるせえ」


 糸の能力は応用無限大、だけど単体じゃ他のウロコには見劣りする能力だ。

 だから楽しい。どうやって俺の面白さを表現してやろうって気になる。

 例えばこんな使い方。


「ちょろちょろうぜえなマジで!」


 俺が詰寄るより前に、ボウガンの男の装填が終わる。

 男が標準を合わせて引き金を引く、その前に、俺はポケットに入れておいた小石を投げつける。


「原始人かてめえは」


 もちろんそれはかわされる、けれど、石に結び付けていた糸は、狙い通り男のボウガンに引っかかる。

 後は手元の糸を引っ張るだけで、


「もちろん文明人だよ馬鹿」


 男のボウガンは両断された。


「……ちっ、クソが!」


 もちろんウロコでできた武器を破壊しても、それは完全に武器を剥奪したことにはならない。俺の糸や野崎ちゃんの杭がそうであるように、ウロコは何度でも出し直すことができる。

 ただ、男がもう一度ボウガンを出して、それを俺に向けるような時間はもうない。


「おしまいだよ、お前」

「ざけんなボケ! 全部お前の思い通りにいってたまるかよ!」


 俺と男の距離はあと三歩分あるかないか、というところだった。終わりだな、と俺は思う。

 しかしその読みは、少し外れた。


「これ、やるよ」


 俺に向かって何かが飛んでくる。矢ではなく、もっと大きな何か。一瞬頭が困惑する。

 飛んできたそれを糸の盾で受け止めながら、俺は少し感心した。

 ちょっと面白いな、こいつ。

 男は再度出したボウガンの本体を、そのまま俺に投げつけてきたのだ。


「その発想はなかった」


 そして生まれた一瞬、男はその一瞬を逃さず動く。


「……言ってろ、ボケ」


 そう言い残すと、男は躊躇いなく屋上から飛び降りた。


「ちょっ、マジで!?」


 このビルは低いとはいえ、高さ十メートルはある。下はアスファルトで、死なないまでも確実に骨が何本か折れる高さだ。

 理由はわかる。ポイントを俺に与えないためだろう。

 それでも行動に移すには相当な覚悟がいる。少なくとも、なんの動機もなしにこのゲームをやってる人間にはできない芸当だ。


「お前も必死だったんだな」


 ……だけど、

 俺の頭上のポイントが『4』から『6』に変わる。

 ビルの屋上から、ボウガンの男が飛び降りた先を見る。

 ――飛び込むビルはどっちでもよかったんだ。

 追い詰めることさえできれば、万が一こんなふうに飛び降りられても、俺のポイントになる。

 俺が仕掛けていた糸でバラバラになった男の死体は、ひっくり返したパズルのピースのように散り散りになって地面に転がっていた。俺、精肉店で働けば名誉社員になれるんじゃね?


「……絶対に、俺の方が必死だから」


 俺は一口サイズに断裁された男に言ってやる。

 ――お前にさ、地獄に落ちる覚悟があるかよ。


◇ ◇ ◇


「……っ、戸塚くん!」


 すごっ、まだ私こんな声出るんだ。

 心底カラカラヘトヘトなのに、戸塚くんの姿を見た私の口からは結構大きな声が出た。

 なんかすごい。

 生きてるって感じだ。


「境ちゃん! めっちゃ最高の陽動だったよ、おかげで終わった」


 戸塚くんはいつもの調子、を装ってはいるけれど、どこかその声には含みがあった。まあそうだよね。戸塚くんはきっと、人を殺してなんでもないような人じゃない。

 私に感謝してくれてるけど、むしろ私が感謝しなきゃいけない。肝心の、実際に手を汚すってことを戸塚くんは躊躇いなく引き受けてくれたんだから。


「あ、あのっ」


 ありがとう、しか言うべき言葉はないはずなのに、なぜかそこで突っかかる。もう一線越えちゃってもいいって、調子づいた自分が足を引っ掛けてくる。

 でも、好きとかどうのこうの、私考えたことないし。

 戸塚くんと話してると心のどっかが解れる感じがして、自分でも気づかないうちに肩に乗ってた重しがひょいと外れるような、そういう感覚があって……これがもし、そうなら嬉しいってだけで。


「私っ、多分戸塚くんのこと、」

「ごめんね、境ちゃん」


 泣きそうな顔で戸塚は私の言葉を遮る。ピッて、右手から細く伸びた糸を一気に引っ張りながら。

 あれ、待ってその糸。


 わ 

  たし

    に繋がっ


「俺、こんなだからさ。境ちゃんには釣り合わないよ」


 分断される視界の端で、戸塚くんは困ったみたいに笑っていた。

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