夕方、家に着いた。
俺は教会に隣接している物置を改造した住居に住んでいる。
大きめのリビングルームにベッドや机、棚などの家具を置いている。奥には風呂場や台所などが備わっていた。
ひとりで暮らしている時には何の不便も感じなかったけれど、もうひとりを置くとなるとスペースはあまりない。ただでさえ俺の部屋は本やら村人にもらったプレゼントやらで物が溢れかえっているのに。
部屋を見渡し、うーんと唸る。たかが一ヶ月と思ったけど、結構大変かもなぁ。
「とりあえず、ノルベルト様はお風呂に入っちゃってください」
「あ、ああ。あの……」
「風呂場はそっちです。お湯も好きなだけ沸かしちゃっていいですから」
「……ありがとう」
ノルベルトはおずおずと風呂場に向かった。
俺は床に散らかっている本などを片付ける。
寝床もどうにかしないとなぁ、なんて考えていると、後ろから声が聞こえた。
「あの、すまない……。風呂って、どう入ればいいんだ?」
「…………は?」
何を言っているんだ?
王都に風呂はなかったのだろうか。いや、そんなわけないだろ。貴族のおぼっちゃんが風呂を知らないわけがない。
「い、いや、その、……実は、一人で風呂に入ったことがないんだ……」
「え?」
「今まで、その……執事や従者に用意させていた。身体を洗うのも支度も……」
「ほ、ほう……」
金持ちってすげぇな。
俺は唇の端が引きつるのを感じた。
「わかってると思うんですけど、ここに執事や従者はいません。みな自分のことは自分でやるのが基本です」
「あ、ああ、わかってる」
「……まあ、初めてでしょうから。やり方だけ教えますよ」
この村はあまり文化レベルは高くないが、水道設備だけはなぜかいいものが備わっていた。
基本的に一家にひとつの風呂場がある。
「ここにこうやって薪をくべて、火を点けて。熱かったら薪の量を減らします」
「……ああ」
「やってみます?」
「ああ!」
ノルベルトは不器用な手つきで火打ち石を打った。カチッ、カチッ、と何度も繰り返す。
だが火種にはならないようだ。
まあコツがあるからな。元から田舎暮らしの俺はほぼ毎日行っている動作だから苦じゃないけど。
「この鋭いとこを狙って……」とお手本を見せると、ノルベルトはじっと見入っていた。
何回かチャレンジして、やっとノルベルトもできるようになった。
「すごいです!よくできましたね、ノルベルト様」
「ありがとう。あなたのおかげだ」
そう言われると悪い気はしない。こほん、とわざとらしく咳払いをした。
ノルベルトはキラキラとした瞳で自分がつけた火を見つめる。
王都の騎士様だからもっと偉そうかと思ったのに。素直なとこあんじゃん、可愛いな。
……うん、褒められたからってちょろいかも、俺。
「で、お湯が沸くのを待つだけです。じゃあ私はこれで」
「アベル、身体はどうやって洗うんだ?」
……前言撤回。可愛くない。
俺に洗い方をレクチャーしろと?新手のセクハラか。
「石けんで泡立ててこすればいいんですよ。こうして、こするだけ。簡単でしょ!」
「お、おお……」
「あとはご自分でできるでしょう?さすがに私も殿方の身体を洗ってるほど暇ではないので」
「さ、さすがにそこまで頼んでいるわけでは…!」
ノルベルトは真っ赤になって弁明する。
いや、さっきの言葉的に俺が洗う方向に話が進んでたけど?
俺は、はあー、と深いため息をついた。
まあいい。ちょっと世間知らずなだけだ。次からはできるだろうし。
……王都の人間ってすげえいい暮らししてたんだな。なんだか、生活レベルの差を痛感してしまった。
ノルベルトを風呂において、俺はリビングルームに戻った。全然片付けができなかった。
散らばった本を適当に集めて、机にどさっと置く。村人からもらった服や布を棚にしまった。あとでミアからもらった花冠もドライフラワーにしないといけないな。
台所に向かってスープを温める。多めに作り置きしておいてよかった。
しばらくすると、ノルベルトが風呂から上がってきた。髪はびしょびしょに濡れていた。
「……ノルベルト様、こちらへ」
「どうした?」
「どうした、じゃないですよ。髪、ちゃんと拭いてないでしょ。タオル貸して」
しぶしぶ渡されたタオルで、ノルベルトの髪を拭いた。
背が高いから俺は少し背伸びをする形になる。石けんのいい香りが鼻をくすぐる。黒髪はきらりと輝いていた。
もう乾いたかな、とタオルを下ろすと、ノルベルトは顔を真っ赤にしていた。
「のぼせてしまいましたか?お顔が赤いですけど……」
「い、いや……驚いただけだ」
「?……ならいいんですが。夕食の準備できてますよ」
ああ、と返ってくる返事が弱々しくて、少しだけ心配になる。
火加減って難しいからな。
やっぱりちょっとのぼせてしまったんだろう。
……騎士様との生活は、思ったより手が焼けそうだ。