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第13話

 窓の外では初夏の風が庭のハーブを揺らし、部屋にはベリータルトと紅茶の香りがふんわりと漂っていた。クラリスはテーブルの奥で、どこか疲れたような目をしながら――。


 「……ほんとに、もう。ナマズを法廷で捌いた人間なんて、歴史にいないからね。」


 ため息混じりにそう言って、そっと視線をテーブルの真ん中へ移す。そこには、キラキラ赤いリボンを誇らしげに巻かれたショッキングピンクのバケツ。


 中でひときわ目立つ存在感を放ちつつ、ナマズのルルが寝息を立てていた。


 「すぅ……ふぉぉ……ふふっ……法廷……寒いですねぇ……。」


 「……ナマズが室温に文句とかどういう状態よ。」


 クラリスが眉をひそめると、フィオナがぱあっと笑った。


 「でもルルえらかったよ! 痛いのがんばったし、ちゃんと“お話”もできたし!」


 「“お話”のせいで空気死んでたけどね……」


 と、クラリスが呟いた時……。


 会議室の戸が叩かれた。


 シャーロットが扉を開けると、入ってきたのは一人の騎士。平服に身を包みながらも、仕草に滲む訓練の跡と品のある男。


 ライオネル・ヴァレンシュタイン。


 今や少女たちにとって、“顔の良さを持ち腐れてる残念騎士”として記憶されている男だ。


 「……え~と?ひとまずこれ土産というかお礼というか。」


 青年手から差し出された箱をシャーロットが受け取りながらキョトンとした顔でクラリスを見る。


 「なんで?お礼ならルルじゃない?何が好きかは知らないけど。」


 アデレードが首を傾げる。ライオネルは苦笑を浮かべながら、懐から一通の書簡を取り出した。


 「いや、礼を言いに来ただけだ。お前たちの物証がなければ、あの女は逃げ切っていただろう。」


 「……あの女?」


 ミーナが問い返す。


「第三側妃――クラリーチェ殿だ。」


 部屋が静まり返った。


 ライオネルは静かに語り始める。


 「……あの人は、王宮の中で、ずっと孤独だったらしい。正妃でも第一でも、第二でもない。血筋も、出自も、地味で、後ろ盾もない。貴族社会では誰にもまともに見られず……常に公務をすることだけ求められて夜の渡りも結婚してから一度もない。誰かと“業務以外”で会話することすら、なかったという。」


 その声には、同情ではない、ただ重みだけがあった。


 「そんな中で、ただ一人――王弟が、彼女に“名前”で声をかけた。笑って、誘われるまま茶を嗜んで……それだけで、彼女のよりどころはそこになってしまったらしい。」


 ティナが思わず、静かに胸の前で手を組む。


 「……愛、だったのね……」


 「だが、愛の名のもとにやったことが――許されるものじゃなかった。すべて結婚から全部王弟に仕組まれたことだ。」


 ライオネルの目が、ルルの入ったピンクのバケツを一瞥する。


 「暗殺計画は彼女の単独犯。そう言って、自らすべてを認めた。王弟は、関与を否定した。証拠もない。……逃げ切ったよ。」


 「……クズね。」


 アデレードが吐き捨てるように言った。


 ライオネルは言葉を返さなかった。彼自身、それ以上のことを言う資格があるとは思っていなかったのだろう。


 「……ありがとう、君たちが協力してくれたおかげで事件は早急に終結を迎えることができた。」


 まっすぐにクラリスを見て、騎士は深く頭を下げた。


 「我々だけではこうはいかなかっただろう。あのナマズそして君たちが、真実を引きずり出してくれた。」


 クラリスは静かに立ち上がり、ピンクのバケツのふちを軽く叩いた。


 「……ルル。あなたのおかげだよ。……よくがんばった」


 するといつの間に起きていたのか狭いバケツの中でくるんと回ったルルが地を這うような声で言う。


 「ふふ……“おもしろい話”は、命を救うんですよぉ……。」


 クラリスは一瞬だけ笑って、けれどすぐ真顔で言い添えた。


 「……だからって、次にまた何か飲み込んだら、“その時は”また開腹だからね」


 「ひいいっ!? こ、こわいですねぇぇぇ……!!」


 部屋に少女たちの笑い声がはじける。


 「ところで君たちはあんな噂話を集めて何をしようとしていたんだ?」


 「なにって……?」


 娘たちは互いに顔を見合わせると首を傾げる。


 「何もしなくってよ?」


 答えたのはカップを傾けるアデレード。


 「なにも?」


 ついつい奥羽返しになる騎士。


 「私たちはただの平民……まぁ、私と姉は子爵令嬢ではありますが領地も持たない士官家系ですし、逮捕権も裁判権も持っていないので正義の味方!とかもないです。」


 一様に娘たちは疼く。


 「じゃぁ何のために……?」


 「暇だから?」


 「気になったら調べずにはいられなくて。」


 「あとなんか楽しそうだし?」


 「は?」


 「自分たちで好き勝手に推理して……。」


 「すいりして?」


 「世の中ってこんなこともあるのねぇ~。て話すだけよ。自分たちは気をつけなきゃねぇ~。って。」


 「はぁぁぁぁぁぁ!?」


 焼き菓子の香りと笑い声に包まれながら、ひとつの事件が静かに――しかし確かに、終わりを告げていた。一人の騎士の素っ頓狂な声とともに。


 なお、ルルは彼をいたく気に入りピンクの幼児バケツを提供していたフィオナに贈呈された。本人……本魚?も喜んでいたのでこれでよかったのだろう。


 強いて言うなら祖母の自由行動に対し「俺は関係ない一般人だ!」と言い張る祖母の長男でありフィオナとミーナの父がルルの囁きに毎晩悩まされるのは別の話である。


完。


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