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祠を壊したYouTuberの末路
祠を壊したYouTuberの末路
竹間単
ホラー怪談
2025年05月19日
公開日
1.5万字
完結済
私は同じ大学に通うYouTuber三人と一緒に、故郷の村へ帰ることにした……。

第1話

 はじめまして。私はA木と申します。

 これは私が実際に体験した話です。


 …………え?

 私という語り手がいることが、無事だったという結末のネタバレだと思う……ですか?


 ああ、その辺は問題ありません。

 だって被害に遭ったのは私ではなく……。


 話は変わりますが、あなたはトロッコ問題についてどう思いますか?

 五人の人間を轢き殺そうとしているトロッコの行き先を、一人の人間を轢き殺すルートに変えるべきかどうか、というアレです。

 あの思考実験、日本では何もせずに五人を轢き殺すことを選ぶ人が多いのだとか。

 ルートを変えるという自分の行為によって、一人の人間を殺すことが嫌だからだそうです。


 トロッコ問題がこれから話す怪談にどう関係してくるのか、ですか?

 ほぼ関係無いので忘れて結構です。


 では、話を始めさせていただきます。




 三年前の今日、私は同じ大学に通うB島、C田、D川とともに、私の故郷の村へ帰ることになりました。


 私は東京にある大学に通っていますが、出身は東京から遠く離れたとある小さな村でした。

 どこからかその情報を聞きつけた三人が、ある日私に接触をしてきたのです。

 三人はYouTubeに動画を投稿するYouTuberとのことで、小さな村に泊まる動画を撮ってみたいという話でした。


 ですが撮影禁止の建造物を映したり、撮影のために立ち入り禁止の場所へ入られてはたまりません。

 YouTubeに拒否反応を示す村民もいるでしょう。そんな人たちを映すのもいただけません。

 そんなことになったら、現在もあの村で暮らしている祖父母に迷惑がかかります。

 小さな村で村八分にされることは、死を意味するからです。


 そのため一度は、B島、C田、D川の頼みを断りました。

 しかし三人は諦めずに何度も頼み込んできました。

 彼らの熱意に負けた私は、村で暮らす祖父母に相談をしました。

 そして撮った映像をそのまま配信するのではなく、動画として編集をした上で公開前にその動画を検閲させてくれるのなら構わない、と条件を付けました。

 すると三人はこの条件を快くオーケーしてくれたため、村への帰郷が決まりました。


 後に聞いたところではYouTuberにもいろいろあるそうで、映像を撮影しながら配信する配信者と、動画を撮ってから編集を加えて投稿する動画投稿者がいるのだとか。

 そもそも彼らは動画投稿者のため、配信をすることは無いのだそうです。


 ということは、私の条件の前半部分は意味が無いものだったようです。

 ですが薄々彼らが条件を破るのではないかと不安だった私は、一気に安心しました。

 彼らに配信をするつもりが無いのであれば、これほどありがたいことはありません。


 かくして私たちは、大学の夏休みを利用して、私の故郷の村へと車を走らせました。

 彼らとはこれまで接点が無かったこともあり特に仲良くはありませんでしたが、男四人でのドライブはそれなりに盛り上がりました。

 しかも私は大事な協力者だからという理由で、村までは、B島、C田、D川の三人が代わる代わる運転をしてくれました。


 車中では三人に、村に伝わる怪談をせがまれました。

 そのため私は村に伝わる怪談をいくつも彼らに話して聞かせました。

 なにせ人里離れた場所にある村ですから、怪談には事欠きません。

 その中でも彼らが一番興味を示したのは、山中に建てられた祠の話でした。


 B島は祠という単語を聞いた途端にビデオカメラを取り出して、私の話を撮影し始めました。

 とはいえ私はYouTubeで顔出しをするつもりはありません。

 顔を映すつもりならこれ以上の話はしないと言うと、すんなりとB島は私の首から下のみを撮影することを約束してくれました。

 彼らにとって重要なのは私の顔ではなく、話の内容だったからでしょう。


 祠の言い伝えはこのようなものです。


 昔あの村では飢饉が起こったそうです。

 いいえ、あの村だけではなく、全国的に食物が不作で飢饉の年でした。


 あまりにも酷い飢饉で、いよいよ食べる物の無くなったとある村民の男が、子どもを殺してその肉を食べる禁忌を犯しました。

 そのことに気付いた妻は、このままでは残されたもう一人の子どもも殺されてしまうと思い、娘を連れて山へ逃げることにしました。


 山へ逃げた母娘は、飢えのせいで、歩くことさえやっとの状態でした。

 母娘は山の中で食料を探しましたが、そんなものはすでに採り尽くされていました。動物の姿も見えません。

 母娘は飢えに苦しみながら、山中にわずかに生えていた草を食べ、木の下で眠ることにしました。

 翌朝、母娘は村民に発見されてしまいました。


 村民が山へ食料を探しに来たのか、それとも最初から母娘が目的だったのか、それは分かりません。

 ですが村民は、これ幸いと母親を木に縛り付け、娘を殺しました。

 山の中での出来事は、誰にも目撃されないと踏んだからでしょう。


 村民は、殺した娘をその場で焼いて食べました。

 そして母親の方は木に縛り付けたまま、下山しました。

 母親のことは別日に食べるつもりだったのでしょう。


 子どもを二人とも食べられ絶望した母親は、山の神に祈りました。

 このまま自分も食べられるくらいなら、この身体を神に献上するから、その代わりにあいつらを殺してくれ、と。


 もともとこの山の神は人を呪ったり殺したりする悪しき存在ではありませんでした。

 ですが、山中で人間を食べたことと激しい怨念を抱いたことが、山の神に悪影響を及ぼしたのかもしれません。


 翌日、村民が母親を食べるために山へ登ると、そこには人間だったものが残されていました。

 母親は、一晩にして身体中の水分が抜け出たような干からびた姿になっていたのです。

 驚いた村民は急いで家に逃げ帰りました。


 その晩から村民は悪夢にうなされ「奴が来る、追ってくる」とうわごとを言っていたそうです。

 村民の両親が話を聞いたところ、村民は毎日同じ悪夢を見るのだと告げました。

 その悪夢では、山から透明な触手のようなものが降りてきて、だんだん自分の家に近付いてくるとのことでした。

 不審に思った両親が理由を問いただすと、村民は両親に、山で子どもを食べたことを告白しました。


 村民が亡くなったのは子どもを食べてからから七日後のことでした。

 同日に、もう一人の子どもを食べていた夫も亡くなりました。

 二人とも身体中から水分が無くなったような干からびた姿で発見されたそうです。


 飢饉による死亡とは言い難い不可解な死を目撃した村民は、これを母親の願いを聞き届けた山の神の祟りと考えました。

 そしてあの二人は子どもを食べたために山の神から罰を受けたのだと解釈しました。


 しかし二人の命が刈り取られても、祟りは終わりませんでした。


 子どもを食べていないにもかかわらず、山から透明な触手が自分のもとへ近づいてくる悪夢を見る村民が続出したのです。

 その悪夢を見た者は皆、悪夢を見始めてからぴったり七日後に命を落としました。


 人間の共食いと激しい怨念を浴びた山の神は、穢れて悪しきものに変わってしまったのだと、村民たちは理解しました。

 そして神の穢れを封印し、神を清め、元の山の神に戻ってもらうために、山の中に祠を建てました。


 このような話が、村では語り継がれています。




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