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第6話


 …………え?

 どうして祠を壊しそうな三人を村へ連れて行ったのか、ですか?


 それは、言い伝えの続きを聞けば分かるかと思います。




 人間が山で子どもを食べたこと、山で激しい怨念を抱いたことで、山の神が穢れ、無差別に村民たちを殺すようになっていた頃の話です。

 村民たちは供え物をしたり祠を建ててみましたが、山の神の祟りは納まりませんでした。

 そのため村民たちはついに、山の神に山の香りを付けた人間の生贄を捧げてみました。


 すると不思議なことに祟りはぴたりと止んだのです。

 それどころか村では作物がよく育ち、動物が戻って来て、それまでの飢饉が嘘のように村が豊かになりました。

 村民は祟りの終息と豊穣を大層喜びました。


 しかし村民が喜んでいられたのは三年間だけでした。


 生贄を捧げてから三年が経った頃、また透明な触手の悪夢を見る村民が現れ始めました。

 そうです。あの山の神は、定期的に生贄を必要とする神になってしまったのです。


 それなら村ごと別の場所へ引っ越せばいいと思うかもしれませんが、新たな場所で暮らし始めるのは容易なことではありません。

 近隣の村で暮らそうにも、いわくつきの村から逃げてきた村民を受け入れるはずもありません。

 村民を受け入れたことで、自分たちまで祟られたらかないませんから。


 近隣の村が駄目となると遠くに引っ越す必要がありますが、昔は今とは違います。引っ越しトラックが家具を運んでくれるわけではないのです。

 すべてを捨てて知らない土地へ行くことがそれほど大変かは、火を見るよりも明らかです。

 しかもそうやってやっとの思いで辿り着いた新天地が、村民たちを受け入れてくれるかは分かりません。

 無事に住むことが出来たとしても、新しい仕事が見つかるかも分かりません。

 遠い地への引っ越しは、不安要素だらけなのです。


 それに比べて、三年に一度生贄を捧げることで安泰な暮らしが保証されるあの村は、村民たちにとって暮らしやすい場所だったと言えます。

 しかし当然ながら、自分の身内を生贄にしたいと考える者はおりません。

 そこで若い村民は村の外へと出向き、定期的に生贄になってくれそうな人間を村へと連れて来るのです。


 そして村へと連れて来た生贄候補に、あの山でしか生えないと言われている山菜を食べさせます。

 その山菜で山の匂いを付けることが、生贄の印なのです。


 大学で三人に村へ行きたいと言われたとき、これは願ってもないチャンスだと思いました。

 ちょうど今年が生贄を捧げる年だったからです。


 ですが三人は素行が悪そうだと感じた私は、祖父母に相談をしました。

 すると村民で話し合った結果、素行が悪くとも生贄になってくれるなら問題ない。三人も村に来てくれるのなら多少の悪戯には目を瞑る。と決まったそうです。

 それはそうですよね。最終的に生贄になってくれるのなら、大体の悪戯は我慢できるというものです。

 村民は、三人がまさか祠を壊すような罰当たりをするとまでは思っていなかったでしょうが。


 あの日、三人とともに山へと行った私は、祠の前で山の神に祈りました。


 ここにいる山の香りを付けた三人を生贄として捧げます。この生贄によって、村をお守りください。と。


 昨晩も今朝も三人はあの山菜を食していましたから、香りづけは万全でした。

 ちなみに私は、昨晩は彼らとは別のメニューを食べ、今朝は朝食を抜いていました。

 私まで生贄にされては困りますので。

 その甲斐あって無事に彼らは生贄として認識され、私は生贄から逃れることが出来ました。


 これで三年間はあの村は安泰でしょう。

 三人の生贄を捧げたので、上手くいけば九年間安泰の可能性もあります……希望的観測ですが。

 祠を壊した咎もあるので、山の神は三人で生贄一人分として見ている気がします。

 なんにせよ、とりあえず三年間は安心でしょう。




 …………うん?

 こんなことを他人に話してしまっては、今後村に人を連れて来ることが難しくなるのではないか、ですか?

 あなたも質問の多い人ですね。


 とはいえ当然の疑問ではありますね。

 そして答えも至極当然のものです。


 祖父母が今年相次いで亡くなったからです。

 祟りとは関係なく、老衰とのことでした。

 先に祖父が亡くなり、その悲しみから急激に弱っていった祖母も、祖父の後を追うように亡くなりました。

 ですので私たち家族は、もうあの村に帰るつもりはないのです。


 村を離れたがらない祖父母のために生贄を村に連れ帰っていましたが、もうその必要は無くなりました。

 祖父母以外に、あの村に他人の命を使ってまで守りたい人間はいませんから。


 きっと私たちと同じような理由で、村に生贄を連れ帰る人はいなくなっていくでしょう。

 そうしてあの村に生贄を連れ帰る村民は減っていき、やがてあの村は廃村となるはずです。


 廃村になったら、生贄を求める山の神に、生贄を捧げる者がいなくなります。

 そうしたら、きっと山の神は無差別に人間を殺し始めるでしょう。


 それが分かっているのにどうして止めようとしないのか、ですか?


 私からしたら、誰かを村に連れ帰って生贄にする、つまり他人を自分の手で死に追いやるよりも、山の神が勝手に選んだ人間を勝手に殺してくれた方がまだマシなのです。


 ほら、始めに、トロッコ問題の話をしたでしょう?

 山の神がたくさんの人間を殺したとしても、私自身の手で誰か一人を死に追いやるよりは、ずっと気が楽なのです。

 もちろん私の身内が殺される可能性もありますが、人間はたくさんいるのです。

 東京に住んでいる私の家族が狙われる可能性は限りなく低いでしょう。


 ですがどこかにトロッコの行き先を変える方を選ぶ人がいるかもしれません。

 その人に、山の神の祟りを鎮める方法を伝えておく必要があるのです。


 『あの村の山に生えている山菜を食べさせた人間を生贄に捧げる。そうすれば祟りは止まる。三年間は』


 あなたにこの話をしたのは、この言い伝えを広めてもらうためです。

 そろそろ、透明な触手の悪夢を見る人が出てくると思いますから。


 どうかこの話を聞いた誰かが、トロッコの行き先を変える人でありますように。







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