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「いってらっしゃい、と送り出したことを、後悔したことはありますか」


 彼女にそう問うたのは、いつだったか、ぺらぺらの巾着に入れた頭髪を持ち帰った長身の美丈夫だった。

 彼女は受付カウンター越しに美丈夫を見上げて答える。


「ありません。必要だから、送り出すのです」

「必要?」

「その冒険者にとって。例えばお金。例えば刺激。生きている実感。誰かとの約束。湧き上がる探求心。……冒険とは、危険を冒して何かを行うことをいいます。冒険者とは、生きるために、危険を冒さずにはいられない人たちです」


 美丈夫は、少し考えてから口を開いた。


「帰ってこなかった誰かを恨んだことは?」

「ありません」

「商人ギルドや職人ギルドのクエスト受付職に転職したいと思ったことは?」

「ありません。いつかお話ししたとおり、魂が見えるのは私だけなのです。冒険者ギルドのクエスト管理棟受付が、私の天職なのですよ」

「……そうですか」

「エンデリオ様、このたびのクエストも、お疲れさまでございました。どうぞお気をつけておかえりください」


 最敬礼の45度。

 美丈夫は、彼女が正位置に戻るまで待ち、彼女の目を見つめ、「ありがとうございます……」と言って去っていった。


 誰もいなくなった受付カウンターの前に、僕は立つ。

 何か書き物をしていた彼女が手を止めて、ゆっくりと顔を上げる。


「ひと言、伝えたかっただけなのに……いつまでも居付いてしまったな」

「構いませんよ、いつまでだって」

「いやいや、そうはいかないよ。きみだって気が散るでしょう?」

「いいえ別に」

「……そう?」

「それで、伝えたかったこととは何ですか?」


 僕は息を吸い、それから吐いた。


「おかえりなさいを言ってくれて、ありがとう。嬉しかったんだ、きみに迎えてもらえて。それを言いたかっただけなのに、僕は何だろう……いじけて、ひねくれて、恥ずかしがって、後ろめたくて……名残惜しくて」

「カイルさん。あらためまして、Aランククエスト――火竜の討伐おめでとうございます。お疲れさまでございました」

「……ねえ、それって嫌味? 僕は火竜の吐く炎に巻かれて灰になったんだけど」

「とても残念です。それと報酬は、お連れの方にお渡ししております」

「そうかい、そうかい」

「拗ねていらっしゃいます?」

「別に」

「大丈夫です。転生支援ギルドへの道順はとっくにお伝えしたでしょう?」

「知ってるよ。でも、転生したら記憶はなくなる。僕は僕じゃなくなっちゃう」


 彼女は僕を正面から見つめ、優しいまばたきをした。


「私が覚えています、あなたの魂を。だから、早く生まれ変わって会いに来てください。私を食事に誘うおつもりだったのでしょう?」


 ことりと首をかたげる。角度なんて関係ない。

 この冒険者ギルド、クエスト管理棟の一階受付で、ただひとり凛と立つ彼女は、容赦なく美しい。


 僕は、受付カウンターに背を向けて歩き出す。


「いってらっしゃいませ、カイルさん」


 足を止めて振り向いた。見えたのは、最敬礼の45度。たっぷり五秒止めたあと、三秒かけて顔を上げる。


 僕と目が合うと、彼女はにっこり笑って手を振った。


 ずるい。ずるいよ。

 これで最後というときにだけ、どうしてそんなふうに笑うんだ。

 ……でもいいか。彼女の笑顔が見られただけでも、帰ってきた意義は大いにあった。


 僕もつられて口角を上げ、小さく手を振り返す。

 少し距離の離れた彼女に、ちゃんと聞こえますように――



「      」



 了


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