第一章 絶望の始まり
ダンジョンには死の気配が満ち満ちていた。
集団で飛びかかったコボルトが、眼窩が窪むほどの打撃を受けて床にのたうつ。また別の個体は胴体に強いショックを喰らって吹き飛ぶと、その体は牙となって地面に転がる。
「聖女様、素材はわたしが回収します!」
「エリス、ここではジュリエッタ――ジュリと呼びなさいと言ったでしょう?とにかくあの方を――あの方々を助けなければ」
一撃、二撃、重い衝撃音と共に次々とコボルトは倒され、素材となった。
エリスもまた、重たい武器を軽々と構える。
「急ぎましょう、その為に
長い金髪を揺らして、聖女ジュリエッタは拳を握りしめた。
どうか、間に合いますように。
今度こそ――今世こそは。あの方を。
******
月影山に、二つの登山客の影が差した。
この春、四月といえど陽気は少し冷たい。
まだ山の途中とはいえ、空気は地上とは違って風が生き生きとして感じられた。
朝は小雨が降ったようだが、登山には絶好の日和だ。しっとりとした地面には、小雨の後で光る若芽や花が美しい。
「いい天気じゃないか」
「カイネはなんでそんなにサクサク進めるの?スポーツシューズでいいって言っときながらなんで一人だけ登山靴履いてんの?」
背後で、
カイネはアウトドアは嫌いでは無い。しかも今回の言い出しっぺは雪斗から始まった。文句を言われる筋合いは無い。
「遅いのはお前が昨日飲みすぎたからだぞ。程々でよせと俺はいったはずだ」
「正論は聞こえません」
カイネより小さなリュックを背負った雪斗は、耳を塞ぐ。
カイネは、晴れ渡った空を見上げて一呼吸いれた。
山登りも中盤、そろそろ休憩所が見えてくるはずだ。
よろよろする雪斗の腕を掴む――日頃の運動神経は高いのだが、二日酔いの今は別だ――。勢いで引っ張りあげると、カイネのリュックに提げた
「すまんすまん――お?」
「揺れた……?」
足元から若干の違和感を感じて、少し立ち止まった瞬間。
揺れは突如クライマックスにきた。
ガクガクと揺れる速度は、果たして震度幾つなのか。
雨上がりもあり、土砂を警戒していたカイネは足を取られる。
「山が――崩れるのか!?」
「まさかそんなワケ――」
言いかけた雪斗の下に亀裂が幾つも走った。
月影山は活火山では無い。
だが、逃げ場はどんどん崩れていく。
「そうだ、小屋が――!」
冷静な判断だったのか分からない。カイネは雪斗の腕を取ると、可能な限り全力で揺れの中を走り出す。
隆起する岩、沈んでいく足元。ぐちゃぐちゃな世界の中、目の前に迫る小屋を目指して必死に足を動かした。
イレギュラーがパニックを手招くが、カイネは強い精神でそれを拒む。
休憩小屋に足を踏み入れた瞬間、激しい衝撃波が襲い、カイネはそこで意識を取りこぼした。
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――@管理人
ダンジョンが誕生しました。
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意識を取り戻してから、カイネたちはひとしきり無事を喜んだ後に不満を言い、この奇妙なる現実に文句を叫んだ。
――ダンジョンとは何事だ。
二人の怒りにも、足元の不自然な床は何も答えてはくれない。
スマホは電波が死んでいて、使えるものはD端末しかない。
そのD端末が、ここがダンジョンの中だと宣言していた。
足元の白い床は、奇妙に輝いていた。
いわく、ダンジョンの中だというのに、耳が痛いほどの静けさが刺す。
「はぁ……」
カイネは衝撃でぶつけた頭をこすりながらため息をついた。
「あーあ、どうしてこうなったかなー」
背後から雪斗のボヤキが聞こえる。
「それを言うのはもう五回目だ」
聞いている側も、この状況に説明しようがない。
水筒から水を飲んで、幼なじみに同じ声掛けをした。
「仕方ないだろう――なんせ、ダンジョンが生まれたんだから」
カイネの言葉に、雪斗は唇を尖らせる。
女性に騒がれる美貌だが、あいにくここに女性は居ない。拗ねた顔をして、髪をかきあげた。
「よりによって、男二人で登山に行った日に〜?ダンジョンが生まれて〜?まさかのダンジョンの中に閉じ込められる奇跡〜?」
――そう。雪斗の言うその“まさか“の状況に陥っている。
カイネと雪斗は大学の春休みに、千葉の月影山に登山と一泊キャンプするつもりで出かけてきた。
月影山は標高六百メートルとない、お手軽な山である。
そこで、巻き込まれた――。
ダンジョンとやらに。
ふざけた悪夢だとしか思えないが、外に広がる光景の異様さが否応なく非日常の現実を突きつけた。
唯一情報が得られるのはD端末と呼ばれる特殊なスマートフォンのみ。Dマークの付いたスマートフォンの総称だ。Dフォンだのディマホなどの派生もあったが、捻りのないそれが定着したのは約三ヶ月前。
最初は市から家族全員に配布された。政府も給付金代わりに何故スマホを――と思ったが、ソレは変わったスマホだった。
まず充電口がない。まさかの使い切りじゃないだろうなと失笑をかったが、何日使おうとフル充電のまま稼働する。
チャット欄はあったが閉鎖されたままで、今後稼働するとだけ注意書きがあった。通話機能もあったが、直接D端末同士でくっつけないと登録できないという不便な代物。
さすが政府が支給するシロモノだと言われつつも、充電なしのストレスフリーで人々のサブスマホとしてじわじわと広がる。
カイネは手元のメインのスマホを覗いたが、相変わらず電波が完全に途絶えていた。
突如ビビっと強い音がして、カイネと雪斗のD端末が鳴る。
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――@管理者
ダンジョン誕生記念として全員に10ポイント配布します。
毎日24時、生存接収として5ポイント徴収します。
ポイントが足らない場合、生存に失敗します。
[――@system]
チャットルームが解除されました。
ストアが解除されました。
鑑定カメラが解除されました。
オークションが解除されました。
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「なんだこれ……」
「カイネ、チャット見てもいいけど発信するなよ!ポイント消費するって書いてある」
書き込みに指がつい反応しかけて、カイネは踏みとどまった。
チャット欄の上部に説明書がある。
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――@管理者
チャット書き込みごとにポイントは1消費する。閲覧は無料
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「罠だよなー、こういうの。一番上にD端末の固定スレッドがあるよ。こっちは書き込み不可みたいだね」
「おい、試すなよ……?」
慌てて、カイネもスレッドを開く。
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――@管理者
[ポイントの取得の仕方]
ダンジョンでモンスター討伐。
貢献度とモンスターのレア度によって討伐ポイントは変化します
[ポイント譲渡の仕方]
D端末同士を出しながら渡したいポイント数を唱えるとポイントは移行されます
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「――ゲームだなこりゃ」
カイネはマイページを開いた。以前は自分の番号と顔認証だけだったそこには、加筆されている。
慎英カイネ レベル/1 ポイント10
スキル/ 水分強奪(弱)浄化(弱)水球(弱)
体力:LvE
筋力:LvE
敏捷:LvE
防御:LvE
器用:LvE
走力:LvE
幸運:LvE
「雪斗、マイページを見ろ」
「チャット欄は阿鼻叫喚だな、あとは政府の陰謀論者でいっぱい。どれどれ……マジックアーチャー?」
カイネが覗き込むと、雪斗の画面には違う内容が書かれていた。
菊王子雪斗 レベル/1 ポイント20
マジックアーチャー
スキル /火矢(弱)風矢(弱)雷矢(弱)
体力:LvE
筋力:LvE
敏捷:LvE
防御:LvE
器用:LvE
走力:LvE
幸運:LvE
「ふうん……モンスターを狩ってポイントを集めて、生存のために貯めながらスキルやジョブやステータスにポイント割り振って強くなって生き残れ!的な?」
「そうなる、な……」
雪斗は頭の回転が早い。
テストは満点か零点かの極端だが、興味のあることには飲み込みが異常にスピーディーだ。
こんな非常識な事態でも、昔から冷静に対処をする。
「とりあえず、だ……」
雪斗は画面を切り替えた。
「ゲームしようぜー」
「はあ?」
突拍子もないことを言い出した雪斗に、カイネは唖然とする。
雪斗の冷静さはよく知ってはいるが、今はそんなときでは無い。
「まあ待て待て、カイネと僕のマイページ、違いがあったでしょーよ」
「……あったか?」
「しっかりしてくれよ幼なじみ〜!今大事なのはポイントだろ?お前10、これはさっき割り振られたやつな。僕のは20。ゲームしてたらクリアしたので10ポイント支給しますって出たんよ」
ジョブに気を取られていたが、雪斗の画面には確かに20ポイントが振られていた。
「つまり、バトルにしてもポイント割り振りしたほうが絶対リスクが減る。だから、ゲームで取れるポイントは取れるだけ取っとこーよ。内容は毎回ランダムだし、運が良ければ簡単な迷路やパズルゲーくるだろ。たまに東大レベルのクイズもあるけど。とけなくても日付け跨げば、内容クリアされるし」
「なるほど」
カイネたちは一泊キャンプするつもりでいたから、飯盒に生米、フリーザーパックには冷凍した肉がいくつか入っている。今すぐ食べ物に困るわけではない。
問題は水だ――そしてカイネは
半分ほどに減っていた水筒に手をかざすと、水筒はまたたっぷりと満たされる。
――これがスキル。
「どしたぁー?」
「水問題は解決しそうだ」
雪斗はもう二つゲームを解いていた。簡単な迷路ゲームと謎解きクイズだったらしい。これでもう40ポイントだ。
「はーーこれがスキルねぇ。カイネのスキル、当たりじゃん」
「水を操作と書いてあったが、発現させるとは思わなかった。なぜか分かったんだ」
「『魔法』、みたいな?」
「それはお前がやればわかる」
雪斗はしばらく手を振り回したが、やがてガックリと項垂れる。
「火矢?とかは何となくわかる。確かにわかる。でも、僕はそもそも弓がないと発動しようがないみたい」
「弓……?作れるものか、それ」
「ストアで買うみたいだな」
ほれ、と指で指されると新しくD端末にアプリとオークションが追加されていた。鑑定カメラというものも、カメラ機能とは別に出ている。
ストアを起動すると、色んな物がポイント制で売られていた。
銃火器から、ライター、バット、油に小麦粉、弁当や服など多岐に渡っている。その中には確かに様々な弓があった。
ショートボウ、ロングボウ、クロスボウ、和弓もある。木製から金属製まであるが、丈夫なほど高い。
「先ずはショートボウだな。10ポイント――購入っと」
「おい待て」
止めるのが遅かった。
不意に、目の前にダンボールが落ちてくる。Dマークだけが入ったシンプルなものだ。
雪斗がダンボールをひとしきり確認してからあけると、そこには注文した通りのショートボウが入っていた。
「これで、ひとまず悩むのはやめだな。誰がどうやってこのシステムやらなんやらを作ったのかとか絶対分からないし。でもこれでポイントがないと生き残れない話はマジになってきたわけだ。気を引き締めよう、相棒よ」
「……そうだな」
悪夢はまだ始まったばかりだ。
二度目の絶望こそ、二人で乗り越えてみせる。