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第07話 可愛い酔っ払い

『ルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 おおかみにも似た声を、鼠人ウエアラツトらに振りまく。

 殺意がひとつ、また一つと消えていく。


 それもそうだ。

 下級の魔物である鼠人ウエアラツトごときと銀獣人では、ありとドラゴンほど差がある。

 故に、最初のひとえで十分だった。


 ぎろり、と、まだ残る殺意の所在を探る。

 大半は逃げ去ったようだが、まだ三匹ほど左上の枝にいるな。

 逃げるタイミングを失ってしまったのかもしれない。

 あれらがこちらに来たら面倒だ。


 僕は足に力を入れかがむと、膝を曲げ、一気に跳躍する。地面がえぐれ、土草が舞う。

 ガガガ、と太い木の幹に右手を突き刺して体勢を整え、次の木へと跳び移る。

 それを繰り返し、瞬時にして枝の上にいた鼠人ウエアラツト三体の前に立つ。

 突然現れた僕を目にして、恐怖ですくんでいた。


『去れ』


 ぎり、と、とがった歯を見せながら、威嚇する。

 鼠人ウエアラツトらは、我先にと木から落下し、這々ほうほうていで去っていく。

 連中が音楽団とは逆の方向に逃げていくのを確認すると、そこから僕は再び枝を跳ねつつ、ヤヒロちゃんがいる場所に戻った。

 ヤヒロちゃんは、さすがに目を丸くしていた。


『怖がらせてごめんね。これが僕の正体……希少種族、銀獣人なんだ』


 目の前の美しいハーフエルフの少女にすら感じてしまう、この食欲。

 そう。

 僕がこれまでユーリエに感じていたのは、性的な意味の“美味うまそう”ではない。

 純粋なる“食欲”なのだ。


 だからこそ。

 銀獣人としてではなく人間として生きていくために。

 マールを崇敬し、厳しい旅をすることで、己を鍛えたかった。

 僕がこの石碑巡りの旅を始める前、ユーリエからの誘いに悩んでいた理由は、これなのだ。


 でないと、僕は……。


 その時。

 ふわり、と、おなかに柔和にゆうわな温かさが広がった。

 ヤヒロちゃんが僕に、抱きついていた。


『怖くないのか?』


「どうして? カナクは、あの優しいカナクでしょ?」


 この姿になって、そんなことを言われたのは初めてだったので、思わず目をいた。


 アレンシアの希少種族である銀獣人と、フェイエルフ。

 この二種族は扱いがかなり違う。


 フェイエルフは精霊に近いとされ、叡智えいちと美の象徴だ。

 対して銀獣人は“動く天災”とおそれられているドラゴンに近いとされ、暴力と災厄の象徴とされている。


 子供の頃、感情が高ぶると人型を維持できず、この姿になって、僕をバカにしたものを散々に痛めつけてしまった。それから僕は悪魔の子みたいな扱いをされて、誰からも相手にされなくなった。

 その件もあって、僕はセレンディア聖神殿に引き取られることになったらしい。


 誰からも相手にされないし、してはならない存在。

 だから僕は、同じような境遇だったマールに興味を持った。


 僕とマールは似ていたのだ。

 でも、マールの苦しみに比べれば僕の悩みなんてちっぽけなものだ。マールを知れば知るほどに、僕は己の中の欲望を抑えられるようになっていった。

 優しくされると、辛い。

 僕は身体中からだじゆうから力を抜いて人の姿に戻ると、脱力しながら両膝をつき、ヤヒロちゃんを抱きしめた。


「ありがとう。この姿を見せて逃げなかったのは、君だけだ」


「ううん。きっと先生も知ってるよ。おちゃらけたところはあるけれど、あれでもフェルゴート救国の英雄だからね」


「はは、うん。きっとソーンさんはご存じだね」


「カナクは全然怖くない。だから今まで先生も出てこなかったんだよ。ここまでも二回、不思議な力を感じてた。マナの力を融合させた、なにか、みたいなの。あれってカナクだったんだね」


「!……」


 確かに、ここまでの道中、僕は人知れず鼠人ウエアラツトやゴブリン、コボルトなどの魔物を戦わずして追い払っていた。

 この森は確かに魔物が多いけれど、僕にかなうものなど存在しないことはわかっていた。


「ヤヒロちゃんはすごいね。全部、お見通しなんだ」


「私も先生もハーフエルフだからね。ハーフエルフは別名“故郷を持たざるもの”だもん。でも、カナクみたいに強い力はないから。だから先生は行き場をなくした人のために、この音楽団を立ち上げたんだよ」


「そう、だったんだ」


「うん。あのくらいの鼠人ウエアラツトとかゴブリンなら、先生がきっちりこらしめられるから。もう、あの姿にならなくていいんだよ」


「……ありがとう、ありがとう」


 ぽたり、と涙が落ちて、地面の草に当たって弾ける。

 今まで、誰にも言えなかった。

 今まで、誰からも言ってもらえなかった。

 僕はヤヒロちゃんを改めて抱きしめ、何度もお礼を――。


 ゴッ。


 なんか鈍い音がして、僕は五メルくらいふっ飛ばされた。


「??」


 ヤヒロちゃんの隣に悠然と現れ、胸を張って立っているのは。

 ユーリエだった。


「あ、あ、あ、あんらねぇえええええ!」


 あんら?


「はは、裸になって、ヤヒロちゃんになにしようろしれたんよ~!」


 ユーリエは走り出して飛びかかってくると、僕のおなかにどすん、と乗りかってきた!

 あの、僕は上半身裸で、ユーリエはスカートだから……女の子を直に感じてしまうのだけれど……。


「いたずらするなら、あ、あらしにしなさいよ~~~~っ!」


「え、ええええ!?」


 なんだかユーリエの様子がおかしい。

 呂律ろれつが回っていなくて、温かくて……。

 これ、お酒か!


「なにを言ってるんだよユーリエ、僕はヤヒロちゃんにいたずらなんてしてない!」


「ああん? ほんろぉ!?」


 ぐいん、と身体をまわし、ヤヒロちゃんに視線を向ける。

 ヤヒロちゃんは真顔でこくこくこくこく、と、高速でうなずいてくれた。

 それにしても、僕に乗っかったまま……そんなに動かないで……ほしい。


「ふ~ん。しか~し、わらし以外の女の子ろ、抱きあっれいらのは、事実ッ!」


「えぇ……」


 また僕のお腹なかの上でぐるんと回り、僕の胸に手を当てて顔を近づけてくるユーリエ。

 うう……これは、まずいって。

 それにユーリエならいいの?

 というか誰、ユーリエにお酒を飲ませたの。


「罰として、このまま、わ、わらしを、抱きしめらさい!」


「そ、そんな」


「いやなのッ!?」


「嫌なわけないじゃないか!」


「じゃあ身体をおこしれ!」


 もう何を言っているのかわからない……。

 僕は言われるがままに、上体を起こす。

 ユーリエは足を開いて、僕にぴとっとくっつく。

 ああ……これは、とてもまずい体勢だ。


「さあ、ほら」


 顔が近づく。

 すっごく、ワインの匂いがした。


「あああああああああああッ!」


 耐えきれなくなった僕は、ユーリエを強く引き寄せて抱きしめる。

 こんな状況で、普通でいられるはずがない。


「ん~カナクぅ~~!」


 僕にほおずりしてくるユーリエ。

 可愛すぎて。

 いとおしすぎてたまらない!


 ぎゅっ、っと背中をつかむ。

 ああ、なんて……なんて幸せなんだ。

 あふよだれを何度も飲み込みながら、僕は食欲を必死に耐えた。


「ユーリエ、僕はもう……うん?」


 耳元から、すうすうと音がする。



 寝てた!



「…………」

「…………」


 ぽかんと口を開くヤヒロちゃんが目に入る。


「なにか言いたいことは?」


「が、がんばっ!」


 ありがとう、ぜんぶ伝わった。

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