晴れ渡る空に血の赤が混ざり、横たわるは仲間だった肉塊。灰色の煙は、弔いにすらならない。天正十三年七月十七日、蝉の音すら聞こえない静寂な夏に伊予の国は敗北を知った。
「門三郎! 門三郎!」
「はいはい、どうしたお母さん」
慌てた様子で黒髪の平均的な身長をした穏やかな青年門三郎に女性が駆け寄る。お母さんと呼ばれた何処か青ざめた表情をしているものだから、井戸から水を汲んで竹筒(コップ)を渡す。
「ありがとう門三郎……。って、大変なのよ!」
「なにがだよお母さん」
「戦が始まるのよ!」
水を飲み干した後に、母は怯えた様子で門三郎へと告げ、握っている手紙を見せる。
「そんな馬鹿な。今更戦う必要ないじゃないか」
「豊臣よ! 豊臣と長宗我部の和議が決裂したって」
信じられないとばかりに手紙を貰うと、差出人は金子元宅と書かれていた。今は亡き父が金子家に従えていたのを思い出したが、そのようなものに構っている暇はない。
手紙の中身を見てみると、和議の決裂と共に、小早川隆景との交える故力添えを頼むという内容であった。
門三郎は手紙の内容を見て、息を吞んだ。明らかに戦力差がありすぎる。誰が見ても死にに行くようなものだ。無謀と言える戦いに自分が巻き込まれるとは、誰も予想は出来ないだろう。
「門三郎。無理しなくていいんだよ……。アンタまで死んだらあたしゃ、あたしゃ……」
「かーちゃんなんで泣きかけてるの?」
小さな妹の子守りをしていた弟達が家から顔を覗かせている。
「なんでもないよ。ご飯の準備しなくちゃね」
弟達に強がる笑顔を見せたならば、家へと入っていく母。門三郎は手紙を胸元にしまえば、農業の道具を片づけた。
「いただきます」
家族皆で囲む飯は決して腹いっぱいになるものではなかった。汁にそこらへんで生えている草を入れ、米は食えないから雑穀などを混ぜて誤魔化している。
「かーちゃん。もっと食べたいよ」
「ごめんねぇ。腹いっぱい食わせてやれなくて」
弟のワガママに母は困ったように笑って謝罪をするのを見るのは何度目だろう。グーグーとお腹を鳴らしながら、眠るのも数える事が出来ない。
門三郎の脳裏に浮かぶのは、手紙に書かれていた報酬についてだった。報酬さえあれば、暫くは四人でお腹を空かせることはない。自分の命一つで四人の飯になるならば、安いものではないだろうか。真っ暗な部屋の中、門三郎は覚悟を決めた。
蝉の鳴き声が騒がしい昼は、嫌なほど汗が出てくる。門三郎は暑さだけの仕業ではないことを分かっていた。
「お母さん」
「なんだい」
「ワシやっぱり行くよ」
門三郎の言葉に、母の動きが止まる。
「ワシ、死ぬ気はないけど、皆にメシ食わしたい」
「……アンタはやっぱり父ちゃんの子なんだね」
門三郎の言葉に悲しそうに母は呟いた。門三郎の記憶では、父は槍の名人であった。誰よりも勇ましく、金子家の為に命を燃やした男。武士という生き様を貫いたことを村の人は、誇らしげに語ってくれた。
今は顔も思い出せない父もこんな気持ちだったのだろうか。数少ない共通点に喜べないのは、自分が臆病者だからなのだと門三郎は感じていた。
「分かった。だけど約束して。必ず帰って来るんよ。ほら、約束」
「わかったよ。必ず帰る」
小指を交らせて叶うかも分からない約束に願いを託す。翌日、門三郎は育った家を早朝に旅立った。振り向かずにいたのは、寂しさに足を取られたくなかったから。夏だというのに、肌寒さを嫌なほど覚えていた。
金子城の門を潜ると自分のような十六の年に近い者もいれば、年をくった者もいる。負け戦と分かっていても、集まったのは自分のように食わせてやりたい者。または金子家の力添えになりたいと思っている者。様々な考えがあるのを門三郎はヒシヒシと肌で感じていた。
だが、皆共通して明るい顔をしていない。処刑台に立つ死刑囚のように青ざめていた。顔は見えずとも、似たような顔をしているのだろうなと門三郎は実感していた。
集められた者は皆足軽として扱われるだろう。父がいつかお前も戦いに出るならばと。鉄の兜に簡易的な胴当て、そして槍を持っていったが、中には防具すらない者もいる。次々と配属が決まる中、ついに門三郎の出番が来た。
「其方は確か孝右衛門の息子であったな」
「はい、父のように力添えが出来ればと思い」
「ふむ、孝右衛門は素晴らしい槍の使いであったことは聞いておる。其方は槍足軽として高尾城へと配属しようぞ」
「ははっ、ありがたき幸せ」
門三郎は深々と頭を下げて、足軽大将の侍にお礼を述べる。僅かに指先が震えていたのは、武者震いではなく迫りくる死への恐怖からだ。父のような勇敢に振舞うことが出来ない自分が情けなく胸を締め付ける。
金子城を後とし、高尾城へと向かって幾日か。ついに金子城が落城したと報告が入った。
ついに戦いの日がきてしまった。皆最期の飯を食べるが、お通夜のように沈みきり士気は底辺まで下がっているのを門三郎も分かっていた。大将である金子元宅は自分以上に感じていることだろう。
その空気を断ち切るように金子元宅は力強く音を立てて立ち上がり、皆を見渡して声を張り上げた。
「我々はいつか死ぬ。それは戦に出ようが出まいが同じだ。死に際を選ぶことは出来ない」
その言葉に下を俯く者もいた。それでも金子元宅は続ける。鼓舞し続ける。
「しかし、こうして集まった者達は武士として戦うことを選んだ者だと拙者は思っておる。ただの人として名も知られずに散るぐらいならば、後世まで語られる武士になろうぞ!」
その言葉に皆は騒めく。ここにいるのは侍だけではない。身分の低い者のもいる。その者も含めて武士と言ってくれたことに足軽達は魂が震えていた。
「この戦いで知らしめるぞ! 拙者達の生き様を!」
金子元宅の掛け声に武士も、名もなき足軽も声を上げる。そうだ。最初から死ぬことを考えている者が何処にいる。武士として、伊予の民として命尽きる瞬間まで戦うのだ。
門三郎は父もこのような気持ちで槍を奮っていたのだろうかと思いを馳せた。