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第2話

 あの夜から戦いの狼煙が上がる。一人、また一人と倒れていく中で、とうとう金子元宅は自らの手で高尾城に火を放つ。城は敗戦が濃い自軍の弔い火のように激しく燃え上がった。


「皆の衆ゆくぞ! いざ突撃っ!」


 その声と共に自分達の倍はいる敵軍へと駆け抜けていく。上がる悲鳴。死ぬ間際に主の名を呼ぶ者。何も言わずに地面に伏せた者。


 伊予の国は地獄をこの世に生み出した。それでも人々は辞めない。辞められないのだ。逃げるなど、武士の恥だと知っているから。


 突撃待ちの門三郎の脳裏に浮かんだのは、武士として死ねることではなく、置いていった母や弟達のことだった。


 暫く飯には困らないと考えて戦に出たのだが、意外と泣き虫な母は毎日自分の為に貴重な米をお供えして、やはり止めれば良かったと後悔するだろう。弟達はいつの間にかいなくなった自分の行方を母に尋ねて、真実を知れば泣いてしまうだろう。


 門三郎の中で芽生えた言葉は大きくなり、存在を露わにした。


 生きねば。


 武士として散った父のようにはなれない。皆から卑怯者と言われようと、臆病者と馬鹿にされても自分は生きて帰らなくてはならないのだ。


 小指に絡ませた約束がこの世を留める糸となる。グッと槍を力強く握り締めれば、門三郎は前を見たならば、掛け声と共に走り出す。これは死にいく為の突撃ではない。生き残る為の一歩なのだと言い聞かせた。


 果たして何時間戦い続けているのだろうか。それすら考えることを辞めて、殺戮からくり人形化と成り果てていた。


 槍を持つ手に感覚がなくなってきた。呼吸は浅く、返り血の噎せかえるような鉄の臭いすら分からない。足元には、人間だった存在が地へと帰っていた。


 その姿を見る度に背筋がゾッと寒気が走り、迫りくる死に抗う為、槍を奮い続ける。

 疲れ切った身体が未だ動くのは、生きるんだという意思のお陰だ。正直門三郎の身体は限界に達していた。


 何人目か分からない敵を槍を薙ぎ払ったとき、法螺笛が鳴り響く。そして、高らかに声を張り上げて誰かが言う。


「金子元宅討ち取ったりぃ!」


 敵の手には金子元宅の首が掲げられていた。味方陣営は五百以上いたのに、気付けば十三人程度しかいないように見える。


 興奮を抑えきれない戦場で、今のうちに逃げるべきだと考えた門三郎は走っていく。家族が待つあの村に向かって足を進めていくのだ。


 敵に追いかけられないように険しい山道を駆けていく。夜は獣に怯えながら眠りにつくことが出来ない。常に神経を尖らせている。何度諦めようかと思ったが、浮かぶのは母との約束であった。


 幾つもの夜を超え、ふらつく身体で辿り着いた先に見えたのは懐かしい村の光景であった。


 門三郎のも姿を見た村人の男は、ぎょっとしながらも駆け寄る。


「あんちゃん河野の門三郎やな! 待ってろ今かーちゃん呼んでやるからな!」


 その言葉に緊張しぱっなしの身体に張り巡らされた緊張の糸が解ける。身体に力が入らない。遠のいていく意識の中で、必死に自分の名前を呼ぶ母の声が最期であった。


 それから門三郎は三日三晩熱を出した。魘される門三郎に母は必死に看病をし、弟達は心配そうに名前を呼ぶ。村人達も時より顔を覗かせていた。


 漸く意識を取り戻した時、門三郎は現実に戻れたのだと実感できた。村人達は自分のように喜んでくれた。生きて帰れたことへの安堵から、門三郎は初めて人前で涙を見せた。


 休暇も取り、身体も動かせるようになった頃。長宗我部元親が降伏をしたことを知った。


「お母さん」


「なんだい」


 畑仕事をしている母に、門三郎は少し迷っている表情で話しかける。それに対して、優しい声で尋ねるものだから言いづらくって困ってしまった。


「あんさ、ワシちょっと考えたことがある」


「改まってどうしたんだい。変な子だね」


「ワシさ、あの戦に出ていただろ。あれでさ、ワシと同じぐらいの子も死んだのを目の当たりにしてきた。仲間達になんかしてやりたい」


「いいんやない。どんなことしたいん」


 母の言葉に背中を押されて、臆病風が止んでいく。今でも残るあの地獄で眠る仲間達は未だ地面で這い蹲っているのだろうか。


「ワシ花火職人になりたい。皆の魂を空に送ってやりたい」


 その言葉を聞いた母は、ぱちくりと大きな目を開けた後、嬉しそうに目を細めて微笑む。


「やっぱりアンタは父さんの子やね」


 門三郎の旅立ちは、晴れ渡った秋の日であった。母や弟達だけではなく、村人達も頑張ってこいと応援してくれた。何度も門三郎は振り返って手を振りながら言う。


「ワシの花火がこの村にも見える様に打ち上げるけん!」


 それから暫く経った後、年を取った門三郎は眠りにつくことになる。仲間が空に逝けるようにと打ち上げた花火は何百となっていた。


 弟子達に見守られながら、最期の力を振り絞り遺言を告げる。


「ワシが死んでも仲間の為に弔いの花火を打ち上げてくれ」


 そう言い、息を引き取った門三郎の脳裏には戦いで倒れた仲間達の光景が浮かんでいた。


 門三郎達が命を燃やした場所は、血だらけの土からコンクリートの道となっていた。蒸し暑い夏の中、人々は着物を来て会場へと集まっていた。


「お母さん! 早く早く! 場所がなくなっちゃうよ!」


「はいはい、そんな急がないの」


 伊予と呼ばれた場所は、愛媛となり多くの人が戦争を知らない平和な世界で生きている。


「今年の花火楽しみだね」


「夏の風物詩だもんね」


 高校生ぐらいの女の子達。戦国時代に起きた見たことのない戦い。それでも続いていくものがある。


 ざわつく夜。迫りくる時間。ついにその時が始まる。


 真っ暗な夜に打ちあがるのは、一輪の花火。それに続くようにまた一輪、また一輪と打ちあがると人々は歓声を上げている。


 約四百三十五年続いている送り火達。門三郎だけではなく、多くの人々が語り継いだのは伊予の誇りの為に戦った武士達の武勇伝。


 終わりが近づくとき、あの敗戦した日が訪れることだろう。あの夏に置いて行かれた魂は未だ愛媛の土地にいるのだろうか。


 加茂川中土手、観音の花火は五本松照らして四百年。


 門三郎は空の上から現代の人間達を見守るのだ。


「おい、門三郎! そろそろお盆の季節だぞ。早く行かないと現世行きが埋まっちまうよ」


「今行く」


 花火を見終わったならば、次はお盆が訪れる。自分達が生きていた時代とは、違う平和な世界がいつまでも続くことを門三郎は願い続ける。


 伊予の物語に終わりが来ないことを。

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