宇宙なんて大嫌いだ。
何百回もプラネタリウムの星空を見上げるたび、わたしはそう思っていた。
星海ひかるに会うときまでは。
序章 ハイディメンジョンバース
青空を引き裂いて、星空が現れた。真昼の倉庫街は闇に覆われ、空に星が散らばっている。道路を行き交う車や人の動きは止まっている。わたしの持つスマホから激しいアラームが鳴り、女性の声が響いた。
「アナザーバース襲来、アナザーバース襲来」
ひかるがわたしの前に出る。彼女は振り向いて言った。
「クララちゃん、別の宇宙から侵略者が来たよ!」
「わ、わかってるわよ」
わたしは答える。
「敵性インタラクター出現!」
目の前に奇妙な物体が現れた。
空中に、縦横高さが二メートルくらいの巨大な灰色の物体が浮いている。ナマコみたいに不規則に形を変えながら、うねうね動いている。
生命感はないが、これがインタラクター……別宇宙からの侵略者なのだ。
「襲ってくるよ、クララちゃん! ゲームでも夢でもないんだからね!」
「だから、わかってるわよ」
彼女は戦い始めたばかりのわたしに先輩ぶりたいらしい。納得いかなかった。
確かに、同じセーラー服を着る中学二年生でも、星海ひかるとわたしとは全く違う。ひかるは学校では転校初日からスターになった人気者だ。明るく短い髪は毛先まで綺麗に整っていて、いつも口角が上がっていて目もキラキラしている。わたしは、ちびでいつも一人ぼっちで、暗くて長い髪を重くぼさぼさ垂らしていて、宇宙の本を夜通し読んで目元にクマができがちだ。でも、宇宙にはわたしのほうが詳しい。ここでの能力も、わたしの方が強いのだ。
「行くよ、クララちゃんっ!」
ひかるがさっそく前に出る。
「あっ、ひかる。待ちなさい!」
わたしは手を肩にかけようとしたが、ひかるは止まらなかった。
敵のインタラクターに向かっていく。無茶だ。
「アナザーバースの正体もまだわからないのに」
アナザーバース。宇宙の外にある、別の法則を持った宇宙だ。それぞれの理由があって、この宇宙に侵入してくる。対抗できるのは、この宇宙ではひかるとわたしだけだ。
「インタラクション」
ひかるが手をかざし、掛け声をあげると、彼女の周りに光の玉がいくつか現れた。そこから、音もなく光線が飛んでいく。
わたしとひかるだけが使える、別宇宙に対抗できる能力、インタラクション。ひかるの能力は、光子を操れる力だ。
光線が、敵の灰色の物体を貫いた。しかし巨大な物体は一瞬かき消えただけで、すぐにその場に復活する。
「あっれー、おかしいなー」
ひかるはのんきに首を傾げている。そのとき、声が聞こえた。
『サンジゲン、トウトイ』
敵がナマコのような形から、トゲトゲのウニみたいに変わった。まずい、攻撃がくる。わたしは手を出した。
「インタラクション」
黒い物体が飛び出し、ひかるの周りにまとわりついて、わたしの近くに引き寄せた。突然、周囲の空間の至るところから、灰色のトゲが生えてくる。
黒い物体がひかるとわたしを取り囲み、守った。トゲが黒い物体に刺さり、受け止められて消える。即座に対応しなければ、貫かれていただろう。
周りを見ると、道路も街もトゲに貫かれてぐちゃぐちゃだった。自分たちを守るのでやっとだ。
「クララちゃん、助けてありがとう!」
ひかるが抱き着いてくる。スキンシップが激しい。
「うわ、やめなさいよ」
「だって、助けてくれて嬉しいんだもん」
「今はそれどころじゃないでしょう」
スマホから釘をさすように声がする。
「シュレディンガー領域、侵食率七十パーセント」
「あ」
ひかるも危機に気づいたようで、わたしにくっつきながら顔を青くする。
「このままじゃ、まずいわね」
わたしはひかるにスマホで戦闘用アプリの地図を見せた。地図ではお台場一帯が線で囲まれており、赤と青の二色で塗り分けられている。半分以上が赤色になり、青い部分はごくわずかだ。
「シュレディンガー領域が、全て敵の宇宙に支配されてしまう……」
シュレディンガー領域は、この宇宙と別の宇宙の空間が重なる領域だ。この空間の中では二つの宇宙が混ざっていて、敵の攻撃を受けるとその部分は敵の宇宙に支配されてしまう。アプリの地図の赤い部分だ。赤の部分が百パーセントになると、宇宙全体に敵の侵略を許してしまう。アナザーバースによりわたしたちは殺され、街が破壊され、宇宙が滅びてしまうのだ。防ぐには、こちらの宇宙の攻撃により、空間を奪い返すしかない。地図の青の部分がこちらの宇宙の領域だ。これを百パーセントにすると、敵の宇宙を追い返すことができ、その宇宙には二度と侵入されなくなる。シュレディンガー領域は、アナザーバースの侵略を防ぐ最後の砦なのだ。
トゲがまた襲い掛かる。自分たちは守ったが、街が破壊される。
「シュレディンガー領域、侵食率八十パーセント」
地図の赤い部分が増え、青い部分はほとんどない。このまま赤い部分、つまりアナザーバースの空間で埋め尽くされればおしまいだ。わたしもひかるも殺され、宇宙が侵略されてしまう。
その前に、なんとか相手の能力を攻略し、撃退しなければ。わたしたちの攻撃は、かき消えてよけられた。向こうの攻撃は、どこからか現れた。どんな仕組みなのか……。
「クララちゃん、どうしよう」
「離れなさいよ」
この状況でひかるはまだわたしにくっついていた。パーソナルスペースが狭すぎる。
「いやだよ。どこかに行っちゃやだ」
「どこにも行かないから、まず離れなさいよっ」
敵が手を上げる。まずい。とりあえず、ひかるを離して……そこで、わたしは気づいた。うねうねと変形する灰色の物体。神出鬼没。
「どこにも行かない……」
「どうしたの?」
「そうよ。やつはどこにも行っていないのよ!」
「どういうこと?」
わたしは納得したが、ひかるは首をかしげている。
「相手は高次元の空間にいて、わたしたちの三次元の空間に出入りしているだけかもしれないってこと。そうね、ハイディメンジョンバースと名付けましょう」
「コウジゲン?」
「空間には、縦横高さっていう三つの方向があるでしょう? それとは別に、わたしたちには見えない方向があるの。宇宙ができたころには合計十一ないしは二十六の次元があって、そのうちほとんどが短く縮んだと『超ひも理論』では言われているわ。ハイディメンションバースではその次元が残っていて、自由に行き来できると考えられる」
「えーっと、それで、どうするの?」
ひかるはピンときていないようだったが、わたしの気分は高まってきた。
次々来る敵の攻撃を防ぐ。侵食率九十パーセントと画面に出る。早くしなければ。
「やつは普段高次元にいるから、私たちの攻撃は当たらない。でも、わたしたちに攻撃するときだけは、三次元空間に姿を現す必要があるわ。だからそこをつく。わたしが攻撃するから、あなたはその時間を稼いでほしいの」
「えーと、つまり?」
恥ずかしいが、わたしはひかるにこう告げた。
「……攻撃する間、わたしを守ってほしいってこと」
「よしきた!」
納得したようで、ひかるは目を輝かせた。
「クララちゃんを絶対に守るよ!」
ひかるは前に出た。話がわかれば行動が早いのは彼女のいいところだ。
『サンジゲン、シカ、カタン!』
敵の声が聞こえる。周りにトゲトゲが生えてきて、わたしたちを貫こうとする。
「ライト・レーザー!」
ひかるが手を上げると、周りにたくさんの光の玉が出てきて、光の渦がわたしたちを包んだ。トゲトゲの攻撃が防がれる。その隙に、わたしは力をためる。攻撃のため、全神経を研ぎ澄ます。
「ひかる、おかしいわよその技名」
「なんで?」
「『ライト・レーザー』って……『光の光線』で、意味重なってるじゃない!」
フルパワーで、攻撃を放った。わたしの体から、黒い塊が大量に吹き出してきた。あたりの空間を埋め尽くす。ひかるも、相手のインタラクターも、シュレディンガー領域全体も飲み込む。地図の赤い部分はみるみる消え、青色に染められた。
「シュレディンガー領域、侵食率ゼロ。ハイディメンジョンバース、撤退していきます」
空中に浮いていた灰色の物体も消えていく。
『サンジゲン、ヨキ、ヨキ』
こちらに物体を伸ばしてきた。わたしはとどめの暗黒物質を飛ばす。
「三次元なんかに入ってこないで、元居た次元に戻りなさい」
それがぶつかり物体は消えた。星空が青空に戻る。シュレディンガー領域が消えたからだ。それに伴って、破壊された街や車、被害に遭った人たちが回復していく。アナザーバースを撃退すれば、元の状態に戻るのだ。ひかるが首をかしげる。
「さんじげん、おせる、とか言ってたけど、なんなんだろうね?」
「さあ。わたしたち三次元の人間が二次元の世界を好きになるみたいに。高次元の生き物も三次元を見て、こっちに入りたがったのかもしれないわ」
「なんかそれ、気持ち悪いね」
ひかるがぶるぶる震えた。
「ええ、全くよ。せっかく高次元に住んでるのだから、三次元なんかに来ないで、そこで生きててほしい……わね……」
わたしは意識が遠のき、ふらついた。
この攻撃には弱点がある。放った後、気絶して、丸一日は戦えないところだ。
「クララちゃん! やっぱりすごい力だね!」
ひかるに抱き止められる。わたしの能力は、宇宙空間から暗黒物質や暗黒エネルギーを宇宙空間から取り出して操る力だ。それらは、宇宙の物質の九十五パーセントを占める。宇宙のほとんどを、意のままに操れるのだ。
でもこの力は、昔から使えたわけではない。
一週間前、ひかると出会って目覚めたのだ。
「クララちゃんの力があれば、負ける気がしないよ!」
「たまたまこの力を持っていただけよ。わたしがすごいわけじゃない」
「でもアナザーバースの正体を明かしたのはクララちゃんだよ。考えてるとき、楽しそうな顔してた」
ひかるはわたしを見つめてきた。そんな楽しそうにしていただろうか。
「クララちゃん、宇宙のこと大好きなんだね!」
でもその言葉は、わたしの胸にちくりと刺さった。確かにわたしはひかるよりも宇宙に詳しくて、能力も強い。おかげで今回もアナザーバースを撃退することができた。でも同時にそれはわたしの悩みでもあった。
――宇宙人、宇宙人。
同級生たちの、私を馬鹿にする声が頭の中に響く。
――迷惑ばかりかけて!
お母さんの、わたしをなじる声も響く。そう、わたしは家でも学校でも孤立していた。自分の居場所はなく、宇宙のことを考えるだけで嫌になった。それでいて、離れることもできないでいたのだ。宇宙が好きだなんて、無邪気に言うことはできない。
「宇宙なんて、大嫌いよ」
「そう」
でもそれを聞いて、ひかるは微笑んだ。
「だったら、これから好きになれるといいね」
意識が遠のく。
「無理よ、そんな簡単なものじゃない」
「できるよ。そうなるまで、わたしがそばにいる」
ひかるの声は、優しかった。
「クララちゃんは、わたしの最後の希望なんだから」
ひかるの温かい腕のなかで、出会ったときのことを思い出す。そうだ、ひかるはその言葉を何回も言ってくるのだ。