第三章 ファーストバース
アイザックルームで、星海博士がスクリーンの前に立つ。ひかるとわたしがテーブルについている。
「これが二年前、ファーストバースが襲来した後の倉庫地帯だ」
スクリーンには航空写真が映されている。アイザックハウスの近くに続く倉庫地帯が、一面焼け焦げて廃墟になっていた。ひかるは珍しくうつむいていた。しかし彼女は、二年前の戦いで両親を失ったのだから当然だ。
「因縁の相手が、またやってくるというわけね。対策は何かあるの?」
「当時の情報はある。相手側は、ほぼユニバースと同じ宇宙のようだ。法則も構成物質も、こちらとの差はないとみられる。ファーストバースのインタラクターは我々と同じ人型で、熱攻撃や振動攻撃などを繰り出してきた。すべてユニバースの法則で説明できる攻撃だ」
当時の上空からの映像を見せる。倉庫地帯が炎に包まれたり、破壊されたりしている。なるほど、普通の物理攻撃のようだ。
「だが、言った通り敵のインタラクターは全滅しているので、今度はどんな能力でやってくるかは不明だ」
「ぶっつけ本番というわけね」
「うむ……」
情報がない以上、具体的な対策は難しい。
「だからやることはいつも通りだ。今までと同じように調整を続け、万全な状態で敵を迎え撃つ。我々にできるのはそれだけだ」
「ええ」
実はわたしには少し自信があった。最近、宇宙との一体感が増し、ディラック率は五十パーセントに到達している。過去最高の数値だ。ただ、心配なのは……。
「ひかる……大丈夫?」
いつになく神妙な表情のひかるに声をかける。
「う、うん! 大丈夫だよ!」
ひかるは、いきなり元気を出し、クッキーをぼりぼり食べ始めた。
「クララちゃんもいるし、なんとかなるよ!」
「ちょっと、あてにしすぎよ。あなたも戦うのよ」
「そうだねー。わたしも頑張らなきゃ!」
ファーストバースが攻めてくるまで、残り六日。明るく振舞ってはいるが、ひかるにはトラウマの相手だ。やはり不安もあるのだろう。わたしが、ひかるを支えなくてはならない。ただ一人の、恋人として。
朝起きて、自分の部屋を出てダイニングに入ったら、能天気な声をかけられた。
「おはよう、クララちゃん!」
ひかるは、食パンを頬張っている。
「おはよう、ひかる」
わたしはあくびをしながら椅子について、ご飯を食べ始める。
「いただきます」
「召し上がれ。ひかるちゃんもいっぱい食べてね」
お母さんが、機嫌よさそうに言った。わたしは、食パンを頬張って飲み込んだところで、やっと目が覚めた。ガタっと立ち上がる。
「いや、なんであなたが家にいるのよ!」
ひかるは、てへへ、と頭に手を当てている。
「来ちゃった」
「来ちゃった、じゃないの。朝からいるのはおかしいでしょう」
「まあまあ、そう言わないの。お友達がせっかく迎えにきてくれたんだから」
お母さんが口を挟んでくる。
「お友達じゃないわよ!」
わたしは思わず突っ込んだ。
「お友達じゃないの? じゃあもしかして……」
しまった。顔が熱くなってくる。
「はい! クララちゃんがいつもお世話になっております!」
ひかるが、ぺこりと頭を下げた。お母さんは口に手を当てる。
「じゃあ、あれはそういうことだったのね。ひかるちゃん、よろしく頼むわね」
「あれ?」
「この子が、女の子が女の子に一目ぼれってあるの? なんて聞いてきたの」
「わあ、クララちゃん。そんなこと思ってくれてたんだ」
ひかるも嬉しそうだ。わたしは、恥ずかし過ぎて、ひかるにもお母さんにも、まともに目を合わせられなかった。
「転校してきたのが、一ヶ月前って言ってたわね」
「はい!」
「じゃあ本当にあなたのおかげなのね」
ひかるは首を傾げる。
「そのころから、クララはね、変わったの。ひどいことを言ってた私に、本気で怒ってきて。それで私は目が覚めたのよ。それからは、たくさん自分の主張もするようになって……あなたが、クララと、私を変えてくれたのね」
わたしは、顔を上げた。お母さんは、優しい笑顔で、私を見ていた。ひかるは言った。
「お義母さん……」
「お義母さんって言うな!」
「ふふふ、本当に、明るくなった」
お母さんは、食べ終わると、立ち上がってわたしに弁当を渡してきた。
「はい、これ。ひかるちゃんと、小春ちゃんと一緒に食べるんでしょ?」
お母さんは、仕事で忙しい合間を縫って、弁当を作ってくれる。
「ありがとう」
「いいのよ。必要なことは、なんでも言ってね」
そして、ひかるのほうを見る。
「ひかるちゃん。この子は、愛想は良くないけど、とても優しい子だから。あなたを大切にしてくれると思う。クララを、よろしくね」
頭を下げた。ひかるはハキハキ答える。
「はい! 責任持って、面倒見ます! じゃあ、行ってきまーす!」
自分の家みたいに振る舞うひかるに手を引かれ、わたしは家を出た。
「なんで家にまで来るのよ。頼んでもないのに、お母さんに挨拶までしちゃって」
通学路、ご機嫌そうに通学鞄を振り回すひかるに改めて聞く。
「だめだった?」
「まだ早いわよ」
「まだ早い? じゃあどこまで行けばオーケーなの?」
ひかるはわたしの顔を覗き込んでくる。思わず目を逸らしてしまう。
「どこまでっていうか……その」
タキオンバースとの戦いの後、わたしとひかるは恋人ということになった。でも、交際の中身は今までと変わらなかった。学校ではくっついてきて、弁当を食べ、アイザックハウスではともにインタラクションを練習し、アナザーバースと戦う。付き合っているという感じはあまりしない。だから、今日の変化はわたしにとっては驚きだった。
会話が止まったら、控えめな声が後ろから聞こえた。
「……お、おはよう」
振り向くと、申し訳なさそうな小春がいた。
「小春、おはよう」
「おっはよう!」
ひかるが小春に飛びつく。相変わらず遠慮がない。
「わ、ひかるちゃん」
「いいのよ小春、無理に相手をしなくて。この子は距離感がおかしいんだから」
慌てる小春から、ひかるを引き離す。小春と仲良くしたいのはわかるが、いきなり距離を詰めすぎだ。小春は控えめな性格なのだから、いきなり迫るよりじっくり時間をかけて縮める方が良いはずだ。ひかるの相手をできるのは、わたしくらいしかいないと思うし。
「あ、そんなこと言ってクララちゃん、小春ちゃんを独り占めしたいんだ。ずるい」
小春はわたしとひかるを交互に見ている。
「ほら、困ってるじゃない。誰にでもわたしみたいに接するのはやめなさい」
「なんだ、つまんないー」
ひかるは不貞腐れていた。その様子を見ながら小春はやはり申し訳なさそうだ。
「なんか、邪魔したかな」
「邪魔? そんなことないわ。一緒にいてくれて嬉しい」
わたしが首を横に振ると、ひかるは頬を膨らませた。
「えー。わたしにはそんなこと絶対言ってくれないのに」
「日頃の行いよ、日頃の」
小春はくすりと笑った。
「どうしたの?」
「ひかるちゃんとクララちゃん、見てて面白いなあって。おしどり夫婦って感じで」
「夫婦……」
わたしとひかるは目を見合わせた。ひかるはニコニコ笑いかけてきて、わたしはため息が出た。
「見世物じゃないのよ」
そんなのんきな学校生活ではないのだ。わたしはまだ、毎日下駄箱を開けるたびに不安になる。しかし幸いにも、上履きに落書きはされていなかった。教室で机を見たが、ゴミが乗せられていたりはしない。見回すと、真冬がこちらをちら見している。取り巻きも含めて三人一緒だ。こっちに来るのではないかと警戒したが、小春が見返す。
目が合って気まずくなったのだろうか。真冬たちは目を逸らした。わたしはほっとした。ここのところ、真冬グループからの嫌がらせはなくなった。わたしと小春とひかるの三人でいるのが効いているのだろう。いじめられっ子軍団とはいえ、さすがに三人でまとまっていれば、手も出しづらいはずだ。
「嫌がらせにも、飽きたのかしら」
「よかった、クララちゃん。心配だったから」
「あなたのおかげよ」
「そんなことないよ」
小春はうつむく。どこか元気がなさそうだった。わたしのいじめを見て見ぬふりしていたことを、まだ気にしているのだろうか。
「そんなことあるわ。あなたと一緒にご飯を食べるようになってから、嫌がらせも受けなくなったもの」
「うん……」
話していたら、不意に横から、ひかるが飛びついてくる。
「クララちゃん、今日も放課後ね!」
「はいはい、わかったわよ」
わたしは振りほどこうとするが、まとわりついてきて離れない。
小春は遠慮がちに笑っており、やはり元気はなさそうだった。少し気になったが、しばらく真冬からも接触はなかったし、大丈夫だろうと思ってそのまま過ごした。
ファーストバースの襲来まで、あと五日。
しかし、気になることはそれだけではなかった。
「ライト・レーザー!」
アナザーバースとの交戦中。ひかるの周りから、光線が敵に向かって飛んでいく。
敵のインタラクターは、白い紙でできた棒人間のような、無機質な物体だった。あたりの空間も、アナザーバースの影響か、真っ白になっている。
「あれ、また!?」
ひかるは目を丸くした。光線が、敵の目前でぐにゃぐにゃに曲がったのだ。棒人間を避けるかのように、あさっての方向へ飛んでいく。
「ディラック率、三パーセント」
バースちゃんが不調を告げる。ひかるは頭を抱えた。
「うーん、さっきから何度やっても届かない!」
「アナザーバース侵略率九十パーセント!」
こちらの攻撃が相手に当たらず、攻略の糸口がつかめない。普段なら星海博士がアドバイスをくれるのに、なぜか今日はなかった。このままでは、宇宙が侵略されてしまう。
「仕方ないわ、フルパワーでいく!」
わたしは、体中から暗黒物質を放った。シュレディンガー領域全体を埋め尽くすくらいの量の暗黒物質が出てくる。攻撃が多少曲げられようが、物質で領域を埋め尽くせば問題はない。黒い物質が敵の棒人間ごと空間を飲み込む。
「アナザーバース侵略率、ゼロパーセント」
とりあえず、なんとかなったようだ。だが、この技には欠点がある。わたしの、気が、遠のくことだ……。
目覚めたとき、わたしはアイザックルームにいた。
「クララちゃん、大丈夫!?」
「なんとかね」
わたしは体を起こした。
「星海博士……結局さっきの敵は何だったの?」
「プレーンバース、平面空間を相手の宇宙空間に展開するアナザーバースだった。空間そのものが捻じ曲げられていたため、ひかる君の光線が敵まで届かなかったということだ」
星海博士は、パソコンに向かっている。どこか冷たい調子だ。その様子はもちろん、わたしは先ほどの戦いにも不自然さを感じていた。
「……なんですぐに教えてくれなかったの?」
今まで、彼は素早くアナザーバースの弱点を見つけて、攻略法を教えてくれていた。
だが、さっきは遅かった。今回の敵の力は空間を曲げるという単純なもので、前戦ったタキオンバースほど厄介ではなかった。物量のごり押しで突破できる程度だし、解析も難しくなかったはずだ。
「すまんな。わからなかった」
星海博士はこちらを振り向きもせず、パソコンのキーボードをカタカタ言わせている。ひかるが、わたしと星海博士を順番に見ていた。
「そう。それは仕方ないわね」
とは言ったものの、やはり違和感は拭えない。帰り道、わたしはひかるに話した。
「星海博士、なんかおかしくないかしら?」
「そうかな?」
「今までの博士ならあの程度のアナザーバース、すぐ攻略法を思いついていたはずよ」
「スランプかな」
「一時的なものだったらいいけど。そろそろファーストバースも来るのに、大丈夫なのかしら」
「心配だねえ」
その様子を見て言うべきか迷ったが、口に出す。
「あなたも心配よ」
「え……?」
珍しく、言い淀んでいる。
ひかるはファーストバースが来るとわかってから、様子が変だ。
「最近、いきなり家に押しかけてきたり、小春にもやたら構ったりして、なんかおかしいわ。今日もディラック率が下がっていたし」
「そうかなあ。普通だよ」
「いいえ、焦ってるように見えるわ。やっぱりファーストバースとの戦いは不安?」
ひかるは、インタラクターとして目覚めた二年前の戦いで、両親を失っている。彼女自身の口から詳しく聞いたことはないけど、重いトラウマになっているはずだ。
「それは……」
また、言い淀んでいる。いつもの元気さがない。
ひかるはおしゃべりなのに、自分の不安や恐れていることについてはあまり言わない。
この子は優しい子だから、あなたを大切にしてくれると思う――お母さんはひかるにわたしのことをそう言った。
実感はあまりないけど、わたしはこれでもひかるの恋人だ。ひかるが不安を抱えているなら、それを少しでも和らげたい。
クララちゃんと、こうしてたいな。
二人で星を見上げたとき、ひかるがそう言っていたのを思い出した。
「あの、ひかる」
わたしは立ち止まった。周りには誰もいない。ひかるの前に立ち、そっと腕を背中に回した。体をくっつける。
「クララちゃん?」
「……嫌なら、離れるけど」
「……ううん。嫌じゃない」
その声を聞いて、わたしは強くひかるを抱きしめる。体温と、顔の素肌の柔らかさが伝わってくる。ひかるは言われた通り、動かなかった。照れているのだろうか。いつも自分から飛びついてきたり、弁当を押し付けたりするくせに。
「……クララちゃんとの時間、大切にしたいなって思って」
「ひかる?」
「ファーストバースにもし負けたら……最後になっちゃうから」
「……そう」
「だから、いられる時間は、できるだけ一緒にいたい」
「わたしもよ」
ひかるを抱きしめる腕の力を強めた。
「でも、負けない。ひかると一緒なら、負ける気がしないわ」
「クララちゃん」
ひかるは、抱かれるがままになっていた。彼女のほうが、背も高いのに。
しばらくそうした後、わたしは腕を離した。
「少し……落ち着いた?」
「うん。ありがとう」
ひかるは、お得意のにっこり笑顔になった。でも、どこか寂しそうに見える。その顔の向こうに、夕日が見えていた。
わたしは、ひかるを大切にできているだろうか。確信など持ちようがないが、できることをするしかない。
その次の日から、ひかるは学校を休むようになった。
ファーストバースが襲ってくるまで、残り四日。