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第三章① ~大切にしたいな~

 第三章 ファーストバース


 アイザックルームで、星海博士がスクリーンの前に立つ。ひかるとわたしがテーブルについている。

「これが二年前、ファーストバースが襲来した後の倉庫地帯だ」

 スクリーンには航空写真が映されている。アイザックハウスの近くに続く倉庫地帯が、一面焼け焦げて廃墟になっていた。ひかるは珍しくうつむいていた。しかし彼女は、二年前の戦いで両親を失ったのだから当然だ。

「因縁の相手が、またやってくるというわけね。対策は何かあるの?」

「当時の情報はある。相手側は、ほぼユニバースと同じ宇宙のようだ。法則も構成物質も、こちらとの差はないとみられる。ファーストバースのインタラクターは我々と同じ人型で、熱攻撃や振動攻撃などを繰り出してきた。すべてユニバースの法則で説明できる攻撃だ」

 当時の上空からの映像を見せる。倉庫地帯が炎に包まれたり、破壊されたりしている。なるほど、普通の物理攻撃のようだ。

「だが、言った通り敵のインタラクターは全滅しているので、今度はどんな能力でやってくるかは不明だ」

「ぶっつけ本番というわけね」

「うむ……」

 情報がない以上、具体的な対策は難しい。

「だからやることはいつも通りだ。今までと同じように調整を続け、万全な状態で敵を迎え撃つ。我々にできるのはそれだけだ」

「ええ」

 実はわたしには少し自信があった。最近、宇宙との一体感が増し、ディラック率は五十パーセントに到達している。過去最高の数値だ。ただ、心配なのは……。

「ひかる……大丈夫?」

 いつになく神妙な表情のひかるに声をかける。

「う、うん! 大丈夫だよ!」

 ひかるは、いきなり元気を出し、クッキーをぼりぼり食べ始めた。

「クララちゃんもいるし、なんとかなるよ!」

「ちょっと、あてにしすぎよ。あなたも戦うのよ」

「そうだねー。わたしも頑張らなきゃ!」

 ファーストバースが攻めてくるまで、残り六日。明るく振舞ってはいるが、ひかるにはトラウマの相手だ。やはり不安もあるのだろう。わたしが、ひかるを支えなくてはならない。ただ一人の、恋人として。


 朝起きて、自分の部屋を出てダイニングに入ったら、能天気な声をかけられた。

「おはよう、クララちゃん!」

 ひかるは、食パンを頬張っている。

「おはよう、ひかる」

 わたしはあくびをしながら椅子について、ご飯を食べ始める。

「いただきます」

「召し上がれ。ひかるちゃんもいっぱい食べてね」

 お母さんが、機嫌よさそうに言った。わたしは、食パンを頬張って飲み込んだところで、やっと目が覚めた。ガタっと立ち上がる。 

「いや、なんであなたが家にいるのよ!」

 ひかるは、てへへ、と頭に手を当てている。

「来ちゃった」

「来ちゃった、じゃないの。朝からいるのはおかしいでしょう」

「まあまあ、そう言わないの。お友達がせっかく迎えにきてくれたんだから」

 お母さんが口を挟んでくる。

「お友達じゃないわよ!」

 わたしは思わず突っ込んだ。

「お友達じゃないの? じゃあもしかして……」

 しまった。顔が熱くなってくる。

「はい! クララちゃんがいつもお世話になっております!」

 ひかるが、ぺこりと頭を下げた。お母さんは口に手を当てる。

「じゃあ、あれはそういうことだったのね。ひかるちゃん、よろしく頼むわね」

「あれ?」

「この子が、女の子が女の子に一目ぼれってあるの? なんて聞いてきたの」

「わあ、クララちゃん。そんなこと思ってくれてたんだ」

 ひかるも嬉しそうだ。わたしは、恥ずかし過ぎて、ひかるにもお母さんにも、まともに目を合わせられなかった。

「転校してきたのが、一ヶ月前って言ってたわね」

「はい!」

「じゃあ本当にあなたのおかげなのね」

 ひかるは首を傾げる。

「そのころから、クララはね、変わったの。ひどいことを言ってた私に、本気で怒ってきて。それで私は目が覚めたのよ。それからは、たくさん自分の主張もするようになって……あなたが、クララと、私を変えてくれたのね」

 わたしは、顔を上げた。お母さんは、優しい笑顔で、私を見ていた。ひかるは言った。

「お義母さん……」

「お義母さんって言うな!」

「ふふふ、本当に、明るくなった」

 お母さんは、食べ終わると、立ち上がってわたしに弁当を渡してきた。

「はい、これ。ひかるちゃんと、小春ちゃんと一緒に食べるんでしょ?」

 お母さんは、仕事で忙しい合間を縫って、弁当を作ってくれる。

「ありがとう」

「いいのよ。必要なことは、なんでも言ってね」

 そして、ひかるのほうを見る。

「ひかるちゃん。この子は、愛想は良くないけど、とても優しい子だから。あなたを大切にしてくれると思う。クララを、よろしくね」

 頭を下げた。ひかるはハキハキ答える。

「はい! 責任持って、面倒見ます! じゃあ、行ってきまーす!」

 自分の家みたいに振る舞うひかるに手を引かれ、わたしは家を出た。

「なんで家にまで来るのよ。頼んでもないのに、お母さんに挨拶までしちゃって」

 通学路、ご機嫌そうに通学鞄を振り回すひかるに改めて聞く。

「だめだった?」

「まだ早いわよ」

「まだ早い? じゃあどこまで行けばオーケーなの?」

 ひかるはわたしの顔を覗き込んでくる。思わず目を逸らしてしまう。

「どこまでっていうか……その」

 タキオンバースとの戦いの後、わたしとひかるは恋人ということになった。でも、交際の中身は今までと変わらなかった。学校ではくっついてきて、弁当を食べ、アイザックハウスではともにインタラクションを練習し、アナザーバースと戦う。付き合っているという感じはあまりしない。だから、今日の変化はわたしにとっては驚きだった。

 会話が止まったら、控えめな声が後ろから聞こえた。

「……お、おはよう」

 振り向くと、申し訳なさそうな小春がいた。

「小春、おはよう」

「おっはよう!」

 ひかるが小春に飛びつく。相変わらず遠慮がない。

「わ、ひかるちゃん」

「いいのよ小春、無理に相手をしなくて。この子は距離感がおかしいんだから」

 慌てる小春から、ひかるを引き離す。小春と仲良くしたいのはわかるが、いきなり距離を詰めすぎだ。小春は控えめな性格なのだから、いきなり迫るよりじっくり時間をかけて縮める方が良いはずだ。ひかるの相手をできるのは、わたしくらいしかいないと思うし。

「あ、そんなこと言ってクララちゃん、小春ちゃんを独り占めしたいんだ。ずるい」

 小春はわたしとひかるを交互に見ている。

「ほら、困ってるじゃない。誰にでもわたしみたいに接するのはやめなさい」

「なんだ、つまんないー」

 ひかるは不貞腐れていた。その様子を見ながら小春はやはり申し訳なさそうだ。

「なんか、邪魔したかな」

「邪魔? そんなことないわ。一緒にいてくれて嬉しい」

 わたしが首を横に振ると、ひかるは頬を膨らませた。

「えー。わたしにはそんなこと絶対言ってくれないのに」

「日頃の行いよ、日頃の」

 小春はくすりと笑った。

「どうしたの?」

「ひかるちゃんとクララちゃん、見てて面白いなあって。おしどり夫婦って感じで」

「夫婦……」

 わたしとひかるは目を見合わせた。ひかるはニコニコ笑いかけてきて、わたしはため息が出た。

「見世物じゃないのよ」

 そんなのんきな学校生活ではないのだ。わたしはまだ、毎日下駄箱を開けるたびに不安になる。しかし幸いにも、上履きに落書きはされていなかった。教室で机を見たが、ゴミが乗せられていたりはしない。見回すと、真冬がこちらをちら見している。取り巻きも含めて三人一緒だ。こっちに来るのではないかと警戒したが、小春が見返す。

 目が合って気まずくなったのだろうか。真冬たちは目を逸らした。わたしはほっとした。ここのところ、真冬グループからの嫌がらせはなくなった。わたしと小春とひかるの三人でいるのが効いているのだろう。いじめられっ子軍団とはいえ、さすがに三人でまとまっていれば、手も出しづらいはずだ。

「嫌がらせにも、飽きたのかしら」

「よかった、クララちゃん。心配だったから」

「あなたのおかげよ」

「そんなことないよ」

 小春はうつむく。どこか元気がなさそうだった。わたしのいじめを見て見ぬふりしていたことを、まだ気にしているのだろうか。

「そんなことあるわ。あなたと一緒にご飯を食べるようになってから、嫌がらせも受けなくなったもの」

「うん……」

 話していたら、不意に横から、ひかるが飛びついてくる。

「クララちゃん、今日も放課後ね!」

「はいはい、わかったわよ」

 わたしは振りほどこうとするが、まとわりついてきて離れない。

 小春は遠慮がちに笑っており、やはり元気はなさそうだった。少し気になったが、しばらく真冬からも接触はなかったし、大丈夫だろうと思ってそのまま過ごした。

 ファーストバースの襲来まで、あと五日。


 しかし、気になることはそれだけではなかった。

「ライト・レーザー!」

 アナザーバースとの交戦中。ひかるの周りから、光線が敵に向かって飛んでいく。

 敵のインタラクターは、白い紙でできた棒人間のような、無機質な物体だった。あたりの空間も、アナザーバースの影響か、真っ白になっている。

「あれ、また!?」

 ひかるは目を丸くした。光線が、敵の目前でぐにゃぐにゃに曲がったのだ。棒人間を避けるかのように、あさっての方向へ飛んでいく。

「ディラック率、三パーセント」

 バースちゃんが不調を告げる。ひかるは頭を抱えた。

「うーん、さっきから何度やっても届かない!」

「アナザーバース侵略率九十パーセント!」

 こちらの攻撃が相手に当たらず、攻略の糸口がつかめない。普段なら星海博士がアドバイスをくれるのに、なぜか今日はなかった。このままでは、宇宙が侵略されてしまう。

「仕方ないわ、フルパワーでいく!」

 わたしは、体中から暗黒物質を放った。シュレディンガー領域全体を埋め尽くすくらいの量の暗黒物質が出てくる。攻撃が多少曲げられようが、物質で領域を埋め尽くせば問題はない。黒い物質が敵の棒人間ごと空間を飲み込む。

「アナザーバース侵略率、ゼロパーセント」

 とりあえず、なんとかなったようだ。だが、この技には欠点がある。わたしの、気が、遠のくことだ……。

 目覚めたとき、わたしはアイザックルームにいた。

「クララちゃん、大丈夫!?」

「なんとかね」

 わたしは体を起こした。

「星海博士……結局さっきの敵は何だったの?」

「プレーンバース、平面空間を相手の宇宙空間に展開するアナザーバースだった。空間そのものが捻じ曲げられていたため、ひかる君の光線が敵まで届かなかったということだ」

 星海博士は、パソコンに向かっている。どこか冷たい調子だ。その様子はもちろん、わたしは先ほどの戦いにも不自然さを感じていた。

「……なんですぐに教えてくれなかったの?」

 今まで、彼は素早くアナザーバースの弱点を見つけて、攻略法を教えてくれていた。

 だが、さっきは遅かった。今回の敵の力は空間を曲げるという単純なもので、前戦ったタキオンバースほど厄介ではなかった。物量のごり押しで突破できる程度だし、解析も難しくなかったはずだ。

「すまんな。わからなかった」

 星海博士はこちらを振り向きもせず、パソコンのキーボードをカタカタ言わせている。ひかるが、わたしと星海博士を順番に見ていた。

「そう。それは仕方ないわね」

 とは言ったものの、やはり違和感は拭えない。帰り道、わたしはひかるに話した。

「星海博士、なんかおかしくないかしら?」

「そうかな?」

「今までの博士ならあの程度のアナザーバース、すぐ攻略法を思いついていたはずよ」

「スランプかな」

「一時的なものだったらいいけど。そろそろファーストバースも来るのに、大丈夫なのかしら」

「心配だねえ」

 その様子を見て言うべきか迷ったが、口に出す。

「あなたも心配よ」

「え……?」

 珍しく、言い淀んでいる。

 ひかるはファーストバースが来るとわかってから、様子が変だ。

「最近、いきなり家に押しかけてきたり、小春にもやたら構ったりして、なんかおかしいわ。今日もディラック率が下がっていたし」

「そうかなあ。普通だよ」

「いいえ、焦ってるように見えるわ。やっぱりファーストバースとの戦いは不安?」

 ひかるは、インタラクターとして目覚めた二年前の戦いで、両親を失っている。彼女自身の口から詳しく聞いたことはないけど、重いトラウマになっているはずだ。

「それは……」

 また、言い淀んでいる。いつもの元気さがない。

 ひかるはおしゃべりなのに、自分の不安や恐れていることについてはあまり言わない。

 この子は優しい子だから、あなたを大切にしてくれると思う――お母さんはひかるにわたしのことをそう言った。

 実感はあまりないけど、わたしはこれでもひかるの恋人だ。ひかるが不安を抱えているなら、それを少しでも和らげたい。

クララちゃんと、こうしてたいな。

 二人で星を見上げたとき、ひかるがそう言っていたのを思い出した。

「あの、ひかる」

 わたしは立ち止まった。周りには誰もいない。ひかるの前に立ち、そっと腕を背中に回した。体をくっつける。

「クララちゃん?」

「……嫌なら、離れるけど」

「……ううん。嫌じゃない」

 その声を聞いて、わたしは強くひかるを抱きしめる。体温と、顔の素肌の柔らかさが伝わってくる。ひかるは言われた通り、動かなかった。照れているのだろうか。いつも自分から飛びついてきたり、弁当を押し付けたりするくせに。

「……クララちゃんとの時間、大切にしたいなって思って」

「ひかる?」

「ファーストバースにもし負けたら……最後になっちゃうから」

「……そう」

「だから、いられる時間は、できるだけ一緒にいたい」

「わたしもよ」

 ひかるを抱きしめる腕の力を強めた。

「でも、負けない。ひかると一緒なら、負ける気がしないわ」

「クララちゃん」

 ひかるは、抱かれるがままになっていた。彼女のほうが、背も高いのに。

 しばらくそうした後、わたしは腕を離した。

「少し……落ち着いた?」

「うん。ありがとう」

 ひかるは、お得意のにっこり笑顔になった。でも、どこか寂しそうに見える。その顔の向こうに、夕日が見えていた。

 わたしは、ひかるを大切にできているだろうか。確信など持ちようがないが、できることをするしかない。

その次の日から、ひかるは学校を休むようになった。

 ファーストバースが襲ってくるまで、残り四日。


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