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第5話『白ノ影、教室ニ潜ム』

 予鈴が鳴ると、教室のざわめきがピタリと止まる。


 教壇に立つ、眼鏡の中年の男――担任の川野先生だ。

 川野は名簿を片手に、全員に手を振った。


「はい、じゃあ出席を取るぞ。静かにしろよ」


 ゆるい声が教室に響き、生徒たちは適当に背筋を伸ばす。


 佐藤さんの笑顔に浮かれていた俺は、塩見のことが若干どうでもよくなっていた。

 俺の心配も杞憂に終わりそうだし、もう過去の話ってことでいいだろう。


「赤羽一彦」


「はい!」


 反射的に答える。

 川野が名簿にチェックを入れ、淡々と次の名前を読み上げる。


「石川悠斗」


「はい」


「岡田美咲」


「はーい」


 いつも通りのルーティン。

 教室の空気が落ち着いていく。

 ほら、な? 

 塩見なんかいねえよ。


白影ハクエイ

「はい!」


 弾けるような、わざとらしい元気な声が教室のどこからか響いた。


……は?


 一瞬、時間が凍りつく。

 心臓がドクンと跳ね、ペンを握る手がカチコチに固まる。


……噓だろ!?


 思わず周囲を見回す。

 他のクラスメイトたちもポカンとした顔でざわつき始める。


『え、誰?』『白影って何?』


 クスクス笑いが混じり、教室が一気に騒がしくなる。


 川野が名簿を凝視して首をかしげる。


「おっと、すまん。プリントミスだな。変な名前が入ってる」


 眼鏡をずり上げ、気まずそうに笑う。

 いや、違う。

 ミスなんかじゃない。


 背筋に冷や汗がツーっと流れる。

 あの声、絶対に聞き覚えがある。

 電車で俺を「紅蓮クリムゾン」と呼んだ、わざとらしく相手の神経を逆なでするような口調。


 教室内に、黒い忍装束なんてどこにもいない。


 窓際の生徒はスマホをいじり、前の席のやつは欠伸してる。


 佐藤さんは不思議そうに眉を上げてこっちを見ていた。


『さっき返事したのお前?』『え、ちがうちがう、ちょ、こわッ』


「はいはい、静かに。次、佐藤咲」


 川野先生が手を叩き、佐藤さんが「はい」と静かに答える。


 その間も、俺は頭をフル回転させる。


 …………いる。

 この教室に、絶対にいる。

 「白影ハクエイ」なんてふざけた名前、名簿に誤植されるわけない。

 塩見の仕業だ。


 前の学校で、40人全員が「武装集団が来る!」なんてバカ騒ぎしてた頃。

 塩見は教室の隅で、『幻身の術』と記された古びた巻物を片手に、ニヤニヤと複雑な印を素早く結びながら、術を唱える練習をしていた。

 なんか「我、影と成りて、敵を惑わす術を極めん」って低く呟いていたな。


 今、ヤツはこのクラスの誰かに……。


「……塩見、てめえ、何企んでやがる」


 ホームルームが続く中、先生の声が遠くに聞こえる。


「はい、じゃあ今日の連絡事項。文化祭の準備、来週から…」


 いつも通りの空気のはずなのに、どこかピリッとした緊張感が漂う。

 心臓が嫌なリズムを刻む。


「赤羽、ちょっと」


 ハッと顔を上げると、川野が教壇から手招きしていた。

 ニコニコした顔が、なぜか不気味だ。


「……はい?」


 渋々教壇に近づく。


「赤羽、今日、現国のノート忘れただろ? 今朝、お母さんが職員室に届けてくれたぞ。ほら」


 先生がくしゃっと笑いながら、使い込んだノートを差し出してくる。


……は? おふくろが?


 頭が真っ白になる。

 一人暮らしの俺の母親は、遠く離れた実家にいるはず。

 俺になんの連絡もなしに、学校に来るわけがない。

 ましてや、ノートを届けに来る? 

 そんなバカな話……。


「いや、先生、待ってください。そんなはず…」


「ハハ、照れんなよ。受け取っとけ」


 半ば強引にノートを押し付けられ、ゴクリと唾を飲んで受け取る。

 確かに俺のノートだ。

 表紙には、俺の字で「現代国語」と書いてある。


「……ありがとうございます」


 とりあえず礼を言って席に戻る。

 佐藤さんがチラッとこっちを見て、小さく微笑む。


「よかったね、ノート。忘れ物って焦るよね」


「ハハ、うん、そうだね」


 笑顔で返すが、佐藤さんのマドンナスマイルも、今は頭に入ってこない。


 机に座り、ノートをそっと開く。

 漢字の書き取りや小説の読解メモが、俺のぐちゃぐちゃな筆跡で並んでる。


 間違いなく俺のものだ。


 気まぐれにページをめくると、裏表紙に、黒いボールペンでギッチリ書かれた見慣れない文字が目に入った。


……なんだ、これ?


 目を凝らす。

 そこには、まるで怪文書のような、細かくて乱暴な字が並んでいた。


―――――――――――――――


武装集団が来なかった。俺たちの準備は無駄だったのか? 否。

ならば、俺たちが「武装集団」になればいい。

桜ヶ丘学園を占拠し、俺たちの「計画」を完遂する。

紅蓮クリムゾン、お前のその力が必要だ。力を貸せ。

次の現国の授業までに、返答を考えておけ。

断れば……分かってるな?


―――――――――――――――


「……はぁ!?」


 ノートをバタンと閉じ、再び教室を見回す。


 頭がカッと熱くなり、指が震える。


 「武装集団になればいい」って、おまっ。

  なんだこのバカすぎる犯行声明文はッ!

 いや、でも……ヤツならやりかねない。

 電車での一件、名簿の『白影ハクエイ』、そしてこのノート。

 全部、塩見の仕掛けだ。

 おふくろに扮してノートを届けたのも、きっとヤツに違いない。


「赤羽くん? なんか……汗、すごいよ?」


 佐藤さんのひそひそ声に、ビクッと肩が跳ねる。


「え、いや、なんでもない! ハハ、課題忘れたかと思ってさ!」


 必死で誤魔化し、ノートを机の中に突っ込む。

 誰にも見せるわけにはいかねえ。

 バレたら、俺の青春は即終了だ。


「ふふ、課題忘れただけでそんな汗? 面白いね、赤羽くん」


 佐藤さんがクスクス笑う。

 その笑顔がいつもなら癒しなのに、今は心臓に悪い。


 頭の中で塩見のニヤついた顔がチラつく。


 アイツは誰にでも変装できる。 

 電車での一件といい、ヤツを見つけるのは至難の業だ。


 予鈴が鳴り、現国の授業が始まる。


 ノートに書かれた怪文書の文字が、まだ頭の中でぐるぐる回ってる。

 くそっ、完全に手のひらで転がされてる。


「どこにいる……塩見、ぜってえ、見つけてやるからな」


 唇が小さく動く。

 誰にも聞こえない、俺だけの宣戦布告。

 この教室はもう、ただの日常じゃねえ。


 塩見が潜む、敵の領域だ。


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