「暇すぎて死にそうだ。」
魔王は暇を持て余していた。
魔王はかつてこの世界を支配していた人類を力でねじ伏せ、新たな支配者となった覇王である。
しかし、いざ支配者になってみると、魔王には特にやりたいことは無かった。
超越者たる魔王には性欲も物欲も食欲すらもないので、結果的に世界を支配してしまったのは、言ってみればただの気まぐれだったのである。
何も要求せず絶対的な強さを持った新たな支配者は、世界に安寧と平穏をもたらしてしまったのだが、もちろんそんなものを魔王は望んでいなかった。混沌と悪意が渦巻く戦乱の世界こそが魔王の望みだったのだ。しかし、時すでにお寿司。世界はすっかり腑抜けてしまっていた。
「こうなったら異世界に転移するしかねぇ。」
こうして魔王は新たな目的を短絡的に設定したのだった。
鉄の意志を胸に抱いた魔王は、側近である魔人を呼び出し命令を下す。
「この世界はお前に任せる。余は異次元へと侵攻することにした。」
「まじっすか?やばいですね。」
突拍子もない魔王の言葉に驚く素振りも見せずに、魔人はほとんど脊髄反射で適当な返答をしたので、魔王は眉を顰めて聞き返した。
「お前話を聞いていたか?」
「バッチオッケーっすよ魔王様。」
魔王は魔人の軽すぎる態度を受けて、手下のくせに馴れ馴れしいなと思いつつも、支配者としての実力不足だと自身の戒めとしたのだった。
さて、いい加減で当てにならない様子の魔人ではあるが、こんなのでも一応魔王軍のナンバー2であり戦闘力と言う一点から言えば実力はたしかだ。魔王はすっかり軟弱になってしまった世界にもはや興味はなかったが、何も言わずに行方をくらますには自身の持つ影響力が強大であることは自覚していたので、新たな支配者を決める事で現支配者としての責任を果たし、後顧の憂いを断ち切ったのである。
魔王と魔人の両名は、世界転移の大魔法を発動するために、魔王城最上部の儀式の間へと移動した。
「もう行くんすか魔王様?やばいっすね。」
魔人が相も変わらず中身のない軽口を叩いたので、魔王は少し不安に駆られた。
「お前本当に大丈夫か?まともに支配しろよ?たまに見に来るからな!」
「大丈夫だ問題ない。」
キリッと無駄にいい顔で返事をした魔人を見て、魔王はむしろ一相の不安を覚えたものの、若干逃避気味に気持ちを切り替えて、新たな世界に思いを馳せる事にしたのだった。
魔王の呆れ果てた様子など意に介さず、魔人は平気な顔をしてさらに質問を続けた。
「ところで手下は誰も連れて行かないんすか?」
「余の力を疑うつもりか?一人で十分だ。」
「いや聞いてみただけっすよ。」
魔王に対するいい加減な態度から察する通り、魔人自身は魔王に対して特別執着しているわけではない。しかし魔王軍幹部の中には魔王に対して様々な意味で激重感情を抱いている連中が居るので、そいつらを連れて行かなくていいのか?という意味が魔人の質問の意図するところだった。なお、駆け引きを必要としない絶対強者である魔王は、他者の感情や機微を察する洞察力が足りておらず、魔人の質問の意図も、いろんな意味で魔王を狙っている幹部達の真意も、魔王にとっては与り知らぬものだったのだ。
「はんにゃーほんにゃー、開け混沌の扉よ!」
魔王は適当に魔法陣を描き、適当な呪文を唱えて異世界へのゲートを召喚した。
実のところ高位の存在である魔王は魔法の発動に際して、魔法陣も呪文も必要ないが、具体的な行き先を設定せずに異界の門を開く上で、魔王の望んだ行き先へと繋がるかはほとんど運任せなので、儀式めいた行動をあえて取り入れているのはちょっとした願掛けである。
魔王は神には祈らないが、自分自身に祈った。悪意渦巻く混沌の世界に繋がるようにと。
「あとは任せたぞ。この平和で退屈な世界に幸あれだ。」
こうして魔王は、新天地を目指し自ら開いたゲートへと一歩踏み出したのだった。