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あってはならない

波の音が聞こえる。

強くなったり弱くなったり、何度も何度も砂浜に上がっては引いていく水音は止むことなく繰り返される。

そうか今は、みんなで遊びに来てたんだっけ。

砂浜に乱雑に突き立てたビーチパラソルの下で涼んでいたはずが、気づけば眠ってしまっていたらしい。

泳ぎ疲れた身体は重く、再び閉じたくなる瞼に突き刺さる日差しが覚醒を促す。

私が立ち上がると近くから声をかけられた。

「あ、しーちゃん、起きた!」

水着姿の子が駆け寄ってくる。

私のいとこのまき姉ちゃんだ。

「日陰じゃなくなっちゃってたかな?日焼けする前に起きてよかったね」

「おーいまきねぇ!はやくはやくぅ!」

そう言って大きく手を振ってまき姉ちゃんを呼んだのは彼女の弟のたけるだ。

「もう、さっきもずっと遊んでたでしょ」

そう言って軽く嘆息するとパラソルの許にあったクーラーボックスからサイダーを取り出し口をつけた。

どうやらこのためにこっちに来たらしい。

「しーちゃんも来る?」

「えっと……」

私が答えあぐねているとまき姉ちゃんは私の手を取った。

「いこ!」

そのまま2人で海へ飛び込んだ。

「あ、しずくもきたんだ」

たけるがバカにするように言った。

「どーいう意味?」

私はムッとしながらたけるに問い詰めた。

「およぎつかれてバテてたから!よわっち~」

案の定口から飛び出たのは嘲笑だったのですぐ打てるように準備していた水鉄砲を指から放った。

「ぶぇっ!しょっぱ~い!」

見事にそれはたけるの顔に命中して口を塞ぐことに成功したのだった。

それからはやったりやられたり、ただひたすらに泳いだり浜で遊んだり、気がつけば日は暮れていた。

「おーい、おふたりさ~ん、そろそろ暗くなるから上がるよ」

まき姉ちゃんが声をかけるまでその黄昏にすら気づかずに夢中で遊んでいた。

「ふっふ、しょうぶはおあずけってこったな」

最後は徹底的に私に水を浴びせられていたたけるが強がっていたが満足した私は海から上がった。

たけるも後に続いて海から出てきた……と思ったが……たけるはこんなに肌が白かったか?

「たける?」

水が滴っていただけかと思ったらその髪は異常に長い。

「たけるじゃないね」

いつの間にか近くに来ていたまき姉ちゃんが厳しい顔でそれを見つめた。

「たけるは?」

「たけるはそっち」

まき姉ちゃんの指さした方からたけるが浜に上がってきていた。

「あなたは……だれ?」

私が声をかけると浜に上がったそれが長く前にしだれた髪から瞳を覗かせた。

「ひっ……」

「下がりな」

まき姉ちゃんが私をかばうように後ろに促す。

「しぃ……ちゃ……」

カタカタと顎を鳴らしながらそれが発した声は、私を呼んでいるかのようだった。

「いやっ! なんで私の名前……っ!?」

「あたしらが呼んでるの聞いてたんだ多分」

「し……ちゃん……し……い……」

「おいバケモノ! まきねぇからはなれろ!」

こちらに気づいたたけるがそいつに向かって飛び出していった。

「だめっ!」

勢いよく飛び蹴りしたたけるは見事そいつの横っ腹に足を打ち付けた。

……が、軽く力の弱いたけるの攻撃は全く響いていないようでそいつはちらりとたけるの方を見てこちらに向き直った。

「むしするな!」

なおも攻撃を諦めずたけるはそいつの腰をつかみ引っ張る。

「や、やめなって! そんなよくわかんないやつに……」

「う……ゔぅ……」

全く効いてないように思われたがそいつは急に身体を震わせ呻き声を上げ始めた。

「泣いている……?」

その場で嗚咽するように肩を上げ下げして悲しげな声を上げる姿を見ると、なんだか私たちが悪い気がしてきた。

実際この存在から何かをされたわけでもない。

「……やめよう」

「え?」

「もう、なかなおりしよう」

私はそう言って尚もぺちぺちとそいつをはたくたけるを止める。

「あなたはだれ?」

今度は落ち着いて、もう一度先程の問いをかける。

まき姉ちゃんとたけるも息を呑みながらその様子を見ていた。

徐々にそいつの震えが落ち着いてきて、もう一度あの瞳が髪の隙間から私を見据えた。

「……あな、たは、だれ?」

それはただ私の言葉を繰り返しただけだったかもしれない。でもその意味を教え込むように私はしっかりと自分の名を名乗ることにした。

「私はしずく。あなたは?」

「……し、ず、く」

「だからしずくは私だって」

「……もうやめなよ」

見かねたまき姉ちゃんが口を挟んだ。

「こいつはどうみても普通じゃない。記憶をなくした漂流者ならまだしも……人間かどうかもわからない。駐在さんに言って保護してもらおう」

そう言うとまき姉ちゃんは私を軽く引っ張ってそいつから離すと今度はそいつの肩を掴んで移動させようとした。

「あ、あぁ……」

消え入るような声を上げながらもそのまままき姉ちゃんに引きずられていく。私たちもそれについていき、浜から少し上がったところにある駐在所に向かった。



「駐在さん! 駐在さん!」

まき姉ちゃんが駐在所の戸を軽く叩いてから開けた。

「ん? お嬢ちゃんたち、どうかしたかい?」

中から小太りの中年男性が現れた。

片手には団扇を持ちもう片方の手に持ったタオルで額を拭っている。

「あたしたちが砂浜で遊んでたら知らない人が紛れてたんだよ」

それを聞くと急に駐在さんは慌てたように身を乗り出した。

「な、なんだって! それで、そいつはどこに!?」

「ほら、こいつ」

そう言ってまき姉ちゃんは肩をつかんでいたそいつを駐在さんの方に突き出した。

「…………」

駐在さんは何も言わなかった。

「ちょっと、駐在さん?」

「……あってはならない」

「え?」

「あってはならないあってはならないあってはならない」

駐在さんはそいつを見ながら無機質に同じ言葉を繰り返していた。

「な、なに?」

「あってはならないあってはならないあってはならないあってはならない」

最早聞く耳もなくただそれだけを呟き続ける。徐々に目が血走り始め気味が悪かったので、私たちはそいつを残したまま駐在所から走って逃げた。



「はぁっはあっ! なんなのあの人……?」

息を切らせながら先程の浜まで戻った。

「きもちわるかった……」

「何かを知っているようだったけど……」

「もうかえろう! かえろう!」

たけるは既に泣きべそをかいてまき姉ちゃんの水着を引っ張っていた。

それを気にする様子もなく彼女は駐在所の方を見ていた。

「……明かりが消えた」

「え?」

「……ううん、帰ろっか」

そう言ってまき姉ちゃんは私とたけるの手を握ると浜を後にした。



宿に帰る頃にはすっかり日が暮れていた。

「あ、帰ってきた。あんまり遅いから迷ったのかと思っちゃったわよ」

玄関先で浮き足立っていた叔母さんがまき姉ちゃんに気づいて不満気な声を上げた。

「ごめんなさい」

まき姉ちゃんは一言そう言い頭を下げると私たちの手を離し背を押した。

「……先に行ってて」

そう言い私たちを宿に入るよう促した後、まき姉ちゃんは叔母さんを手招き外に残った。

「おお、帰ったかい」

受付近くの椅子に座って私たちを待っていたらしいおじいちゃんが声をかけてきた。

「おじいちゃん!」

たけるがおじいちゃんに飛びつく。

「こわいのが! こわいのが!」

満足に言葉にもできないままそう繰り返し震えていた。

「ん? どうした一体。しずく。わかるか?」

私はこくりとうなずき浜でのことを話した。

「……あってはならない」

「え?」

「ひぃっ!」

おじいちゃんが口走った言葉には強い既視感があった。

「……」

だが、あの駐在のようにその言葉が繰り返されることはなかった。

「……それはね、そういう存在だよ」

深刻な顔をしておじいちゃんはそう続ける。どうやらおかしくなった訳ではなさそうだった。

「し、しってるの?」

たけるがおずおずとそう尋ねる。

「……ん、はは、はははは! なんてな!」

突然おじいちゃんはにかっと歯を見せたと思うと大声で笑いだした。

「なぁんも知らんよ! 怖かったか~? たける~?」

そう言ってぶにぶにとたけるの頬を両手で挟んだ。

「も~!」

単純なたけるは全部おじいちゃんの冗談だと思って安堵したように頬を膨らませている。

「……しずく」

たけるを制しながらおじいちゃんが小声で私を呼んだ。

「……もう浜には近づくな」

それだけを言うと再びおじいちゃんはたけるをおちょくり始めた。

ざわざわと胸が騒ぐような、気持ちの悪い感覚だけが私の中に広がっていた。


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