バス停からしばらく山の方へ歩いた先に、会社の借りたコテージ群があった。
管理事務所に自分たちの使うコテージを尋ねに行く。
先着で好きなコテージを選択できるようだった。私たちは出遅れた訳だが複数人でひとつのコテージを使っている者たちも多いので結構余ったコテージは多かった。
「あ、ねぇ霧江さん。もし良ければあたしと同じコテージにしない?」
「え……」
この時の私は引き攣ったような顔をしていたに違いないが、篠宮さんはそれでもその言葉を引っ込めはしなかった。
「えと……」
「朝から一緒に行動した方がいいじゃん?待ち合わせてたら時間かかっちゃうし~」
それもそうだ。それもそうなのだが……私は別に楽しみにしていることではないし……。
「嫌……かな?」
口ごもっていると篠宮さんはようやく困ったように首を傾げた。
……そんな顔をされたら私が困ってしまうよ。
「ううん……いいよ」
結局私は首を縦に振る。
「ありがとう!」
そう言うと篠宮さんは私の手を掴んでぶんぶんと振った。
「あぁ~楽しみ!」
嬉しそうな篠宮さんを見ていると、なんだか私も少しだけ心がそわそわとして来た。
「ね!ね!行こ!」
受付嬢から鍵を受け取ると篠宮さんは私の手とキャリーを引いてコテージへと向かっていった。
コテージの外観は古めかしいものだったが意外にも家電や内装は比較的新しめで快適そうだった。
「わーっ!きれいきれい!」
篠宮さんは玄関に入った途端に大はしゃぎで、荷物をそこら辺に置くとぱたぱたと部屋を見て回っていった。
「見てこれ!ダブル!一緒に寝ようね」
「あの……」
はしゃぐ篠宮さんを遮るように私が声を上げる。
「ん?」
「篠宮さん……私なんかで、ほんとに良かったんですか?」
自己評価が低いことは自覚しているが、この子はあまりにも私に対して距離が近すぎる気がする。私なんかがこんなに明るく輝いている人と一緒に居ることがなんだかとてつもなく申し訳のないことのように感じてしまうのだ。
「んー、あたしね、ほんとは霧江さんともっと仲良くなりたかったんだ。だって歳も近いのにほとんど交流なかったでしょ?だから……あの時も結構心配してたんだよ」
「……ご迷惑をおかけしました」
狂人のように思われていてもおかしくはなかったのだから、こうして声をかけてくれたこと自体に感謝すべきだったかもしれない。
「いやいや、霧江さんが謝ることじゃないよ。誰だって辛くなる。耐えられなくなる……」
そう言う篠宮さんもやや目線を落とす。
「……もしかして、篠宮さんも?」
そう言われて彼女はハッとしたように顔を上げる。
「あっ!……うん」
一瞬否定しようとした様子ではあったが、少し間を置いて彼女は肯定した。
「あたし、ウザいじゃん? ……自分でもよくわかってる。でもだからって何もしなかったら何も始まらないでしょ? 嫌われることだってあったって……好きになることだってあるんじゃん。だから、話さないで後悔したくないの」
篠宮さんは明るくて積極的で、みんなの人気者。そう思ってた。でも確かに、みんながみんな彼女のことをよく思うかと言われたらそうじゃないのかも。特に同性なんかは……。
「じゃあ、ともだちだね。……あきちゃん」
心の弱さを晒してくれたこの子に、私が返してあげられること。それは私が彼女に寄り添ってあげることだけだ。それ以外私には何も無いから。
「えっ……霧江さん、今……!」
案の定面食らった様子の彼女はアタフタしながらも嬉しそうに笑った。
「うん、ともだちだね!霧江さん!」
……下の名前で呼んでくれても良いのよ?
コテージに荷物を置いてからは一通り散策してみることにした。
行きに来た方向に引き返してコテージ郡を抜けて港町へ戻る。そこかしこに名前があるし旅行ガイドにも書いてあるけどこの町の名前は浮月町というらしい。
「フゲツチョウ……なんかいい響きね」
「そうだね」
あきちゃんはそこかしこに興味を示すようにあたりのものを見回している。
とはいえそこまで栄えているわけではないので見えるのはちょっと古い雰囲気の民家とかシャッターの降りたような店舗とかしかないのだけど……。
「こう閉まってるお店ばっかりだとさ、逆に開いてるお店ってちょっと信用できない?」
「まぁ……うん」
適当なことを話しているともう商店街は途切れてしまった。
「ちっさいね……」
「あーでもでも! ほら、ここからは豊かな自然がだねぇ!」
事実に抗うようにあきちゃんはその先に続く海岸線を示した。
確かにその景色は美しく、ガードレール下に広がる砂浜には波が押し寄せては引く心地よい音が響いていた。
「すごー! ね、降りてみない?」
こうなることは容易に想像できたので軽装でビーチサンダルを履いてきていたのだ。準備も出来ているのでそのまま砂浜に降りられる。でもこんな風に海に近づくのもいつ以来だろうか。
「風が気持ちいいね」
近くにあった階段を降りるともう目前に海が広がっていた。
潮風が鼻腔をくすぐり港町に満ちていた香りの根源を知る。
「探検しよっか」
そう言うとあきちゃんは波打ち際に沿うように歩き始めた。
「こう、さ。ざざん、ざざん、って響く音聴いてるとさ。なんか全部忘れたくなっちゃうよね」
「わかるよ。……なんだか不思議な気分になる。波の動きも、この音も。なんだか吸い込まれそうになってくる」
言ってる最中にも私はやはりこの海の魔性に惹かれていくように放心していた。
「……霧江さん? 霧江さん! 大丈夫?」
声をかけられて我に返る。
「あ、あぁ…うん。大丈夫」
何故だろう、この音がやけに私の心を奪う。
それから30分ほど歩いた。頭上に見えていたガードレールはいつの間にか途切れ鬱蒼とした森林が見えていた。
「あきちゃん、そろそろ戻らない?」
「んー? ここまで来たら一周してみない?」
まぁ、時間はあるが……あとどのくらいで一周できるかの検討もつかないしな……。
「えっと……」
「いいじゃん! ね! 景色だって同じわけじゃないし!」
それもそうだが、何故かこれ以上歩くことに対してどこか嫌な予感がしていた。
「うぅ…ん」
結局断りきれずにそのまま進むことにした。
じりじりとした灼熱と潮風の涼風のコントラストに目眩がしてきた。
浜辺には当然日陰もないので歩き続ける限りは体調が良くなることはなさそうだ……。
「ごめん、あきちゃん……ちょっと休まない?」
ふと森林へと続く小道が目について私は彼女に提案した。
「あ、霧江さん疲れちゃった? でも暑いでしょ?」
「うん、暑い……だからほら、あそこ。森へ入らない?」
「森? かぁ……まぁ、うん」
多分虫が嫌なんだろうなとは思うけど私の顔色を見て了承してくれた。
「ありがと……」
ややふらつきながらその小道に入っていくと、すぐに木の葉の遮光カーテンが照りつける日差しから私を隠してくれた。
「あ、涼し! なかなかいいもんだね!」
あきちゃんもお気に召したようだ。
ちょっと歩くともう小道は途切れていたが、そこには休むのに丁度よさそうな大木があった。
「あっつい……」
私はもう疲れてしまって大木に背を預けるように座り込んだ。
「隣失礼~」
あきちゃんもそれに続いて私の隣に座った。
「ふぅ~歩くのも気持ちいいなぁ~」
そう言いながら彼女は私にもたれかかってくる。
じんわりと汗の滲む私の肌とあきちゃんのさらさらした肌が触れ合うと、ひんやりとした感触がくすぐったい。
……私は気持ちいいけどあきちゃんは気持ち悪いんじゃないかな。
でも彼女は気にした様子もなくリラックスしたように目を細めている。
どうせなら少しでも休もうと思い私も目を閉じて身体を預けた。