ミツミと別れて、ヤギが駅に向かう人々に逆らって、うつむいて歩く。
角を曲がり、暗い路地を近道して繁華街に進んだ。
暗い道から前を見ると、道の先の明るい光が、まるで死者が天国でも目指しているような気分になる。
いや、そんな縁起でも無いこと考えるのやめよう。
そうだな、言い方を変えると、まるで光を求めて飛んで行く虫のようだとでも言った方がいい。
死人から虫けらに変わっただけか。
ほんと人生ろくでもない。
ポケットから名刺を出して、会社名に眉をひそめて、またポケットに入れる。
ぬるい名刺に、あいつの胸元の暖かさが手に伝わるようで懐かしい。
恥ずかしさなんて吹っ飛ぶように、手を繋ぐことが普通だった。
フフッと思い出し笑いして、手の平を見る。
もう、あの頃の綺麗な手は消えちゃったけど。
皿洗いも仕事のうちだから、すっかり荒れちゃったよ。
僕のナイト、ずっと守ってくれた。ミツミ……
もう会えないと思ってた。
会いたくなかったろうな。フフフ……
すっかり暗くなった道も、繁華街になると気にならない。
昼のように明るく道を照らし、そぞろ歩く人々が食事するには遅い時間だ。
恐らく飲み屋を探しているんだろう。
仲間と楽しそうに語り合い、笑い合いながら騒いでいる。
週末になるともっと人は増える。
その余裕がうらやましいと思っていたのは随分前のことだ。
もう、すでに諦めた。
ミツミ…… 結婚してなかったな……
なぜか、少しホッとしてる。
1人で歩んでくるしかなかった僕は、絶望抱えてホームレスになって、そして福祉の人に助けられてやっとサビだらけのアパートに住んでる。
生活力なんてからっきし駄目でさ。
でもね、ミツミ…… 僕は、死ななかったよ。
立派な社会人の君と、並んで歩いていいのかわからない。
君と友達になれる資格なんて、ないかもしれない。
恥ずかしいなら、嫌なら、いつでも離れていいから。
ギュッと、両手で自分を抱きしめる。
ちっとも温かくないけれど。
君の暖かさが、 ああ、 手を、また手を繋いでよ、ミツミ。
寒いんだ、 とても寒くて、寒くて死にそうなんだ。
バイト先の複合ビルの裏手から階段を上る。
足が重い。一つ目のバイトで、すでにもう疲れ切ってる。
熟睡なんて、出来てるのかもわからない。
短時間2度の睡眠なんて、寝た気がしない。
疲れた、 本当に、疲れた。
最近とみにそう思う。
まかないがあるから飲食業選んだけど、昼は値切ったら余り物ばかりで全然足りない。
スタッフのドアを開けて、ロッカーに行くと着替え始める。
食堂や飲み屋が並ぶこのビルの、4階の一番奥のラウンジ、飲み屋だ。
カーテン引いて、制服のスラックスに履き替える。
バイトで出勤は一番最後、帰りも一番最後。
ラストの掃除と戸締まりを任されている。
帰りが遅いので、電車が無い。
もらった自転車持ってたんだが盗まれた。
最悪だ。おかげで2度レイプされかけて、オーナーに防犯ベル持たされてる。
男が防犯ベルなんて、世も末だ。
ゲイに襲われるなんて寒気がする。
カギを任された時、泊まってもいいとオーナーに許しも貰ったので、たまに泊まってここから午前のバイトに行く。
実際、その方がうんとラクなんだけど、どこで寝ても疲れなんか取れないから、命すり減ってる気がする。
ベスト着て髪を後ろで結び、バーテンダーからもらった度の入ってない眼鏡かける。
自分の顔なんて疲れ切った爺さんみたいなのに、女より目立つなとバーテンに言われて眼鏡もらった。
更衣室出て事務室行くと、60代の女性オーナーが珍しくいた。
いつもグレーのスーツに派手なジャンパー着てる。
髪をピシッとまとめて濃い化粧は戦闘モードなのか、カッコいいおばさんだ。
「お疲れです。」
「待ってたわ、ヤギ。」
タイムカード押してると、イスを指される。
座るとやっぱり仕事の話だ。
「今月いっぱいだったわよね。昼も? 」
「いえ、昼だけにしようと思ってます。昼のオーナーが正で雇ってくれるって言うんで。
俺も身体が限界に近いから、丁度良かったというか。最近、夜中帰るのがちょっと。」
「そう、借金見通し立ったの? 」
「銀行には相談済んでます。
無理して死ぬより多少伸びても返して貰った方がいいと。」
ふうんと、オーナーがタバコをくわえる。
ヤギが灰皿を差し出し、傍らのライターで火をつけた。
火をつける、その顔が男女問わずヤギは好きだ。火に照らされ目を伏せる、何処か影があるその顔が。
「くくっ、ありがと。」
フッと煙を吐き、オーナーがクスクス笑う。
俺の都合で時間外になるのに、割り増しオッケーで雇ってくれた、懐の大きい人だ。
「苦労しただけあるわ、あなた。
ヤギ、うちでフルで働かない? 」
「えっ、えーっと、あー、でも帰りがなー」
言うとまた心配かけるけど、最近あとを追われてる気がする。また襲われそうで怖い。
「あら、帰りがやっぱり怖い?
タクシー乗りたいなら店長にチケット貰って頂戴。」
いやいや、店長にドヤされますよ。バイトがタクシーなんて贅沢ですよ。
「まあ、電車待つか、家まで走りますよ。
ただ、なんか足音が気になるんですよね。」
「あらイヤだ、また追いかけられてるの?
あなた、自覚無いけど、男も女も惹きつけちゃうのよね。
そうね、昼の仕事がどうしてもいいってんなら、海沿いのフレンチのホール、手伝ってくれない?
あなた、最近の若い奴の中でも働きがいいわ、所作が上品なのよ。
フレンチにピッタリ、手放したくないわ。
昼の仕事いくら出すか聞いて来なさい、私が上を出すわ。」
「ハハッ、随分買ってくれますね。」
「当然よ、私は人を見る目はあるのよ。あなたよりね。
でも、もう少し太りなさい。髪もパサパサ。
向こう断ってきたら支度金あげるわ。
話付けるから指定のエステに行って、少し休んで身体を整えて来て。
あなたならきっと向こうの店、流行らせてくれる。」
「なんだ、売り上げ悪いんじゃないですか。ひでぇ」
「だから、店長手伝ってよ。今評価が散々なの。特にホールのね。
あなたのような花が必要よ。」
「俺が花?? 俺、男なんだけどなー 」
プッと吹き出して、笑い合う。
確かに、僕の人を見る目は最悪だ。
でも、ミツミは元々いい奴だった。あいつも騙されて、僕がそれをかぶっただけだ。
僕は、あいつが好きだった。
だから、少しでも力になりたかったんだ。