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第2話 ギリギリの生活

ミツミと別れて、ヤギが駅に向かう人々に逆らって、うつむいて歩く。

角を曲がり、暗い路地を近道して繁華街に進んだ。

暗い道から前を見ると、道の先の明るい光が、まるで死者が天国でも目指しているような気分になる。


いや、そんな縁起でも無いこと考えるのやめよう。

そうだな、言い方を変えると、まるで光を求めて飛んで行く虫のようだとでも言った方がいい。

死人から虫けらに変わっただけか。

ほんと人生ろくでもない。


ポケットから名刺を出して、会社名に眉をひそめて、またポケットに入れる。

ぬるい名刺に、あいつの胸元の暖かさが手に伝わるようで懐かしい。

恥ずかしさなんて吹っ飛ぶように、手を繋ぐことが普通だった。

フフッと思い出し笑いして、手の平を見る。


もう、あの頃の綺麗な手は消えちゃったけど。

皿洗いも仕事のうちだから、すっかり荒れちゃったよ。


僕のナイト、ずっと守ってくれた。ミツミ…… 

もう会えないと思ってた。

会いたくなかったろうな。フフフ……


すっかり暗くなった道も、繁華街になると気にならない。

昼のように明るく道を照らし、そぞろ歩く人々が食事するには遅い時間だ。

恐らく飲み屋を探しているんだろう。

仲間と楽しそうに語り合い、笑い合いながら騒いでいる。

週末になるともっと人は増える。

その余裕がうらやましいと思っていたのは随分前のことだ。

もう、すでに諦めた。


ミツミ…… 結婚してなかったな……


なぜか、少しホッとしてる。

1人で歩んでくるしかなかった僕は、絶望抱えてホームレスになって、そして福祉の人に助けられてやっとサビだらけのアパートに住んでる。

生活力なんてからっきし駄目でさ。


でもね、ミツミ…… 僕は、死ななかったよ。


立派な社会人の君と、並んで歩いていいのかわからない。

君と友達になれる資格なんて、ないかもしれない。

恥ずかしいなら、嫌なら、いつでも離れていいから。


ギュッと、両手で自分を抱きしめる。

ちっとも温かくないけれど。


君の暖かさが、 ああ、 手を、また手を繋いでよ、ミツミ。


寒いんだ、 とても寒くて、寒くて死にそうなんだ。





バイト先の複合ビルの裏手から階段を上る。

足が重い。一つ目のバイトで、すでにもう疲れ切ってる。

熟睡なんて、出来てるのかもわからない。

短時間2度の睡眠なんて、寝た気がしない。

疲れた、 本当に、疲れた。

最近とみにそう思う。

まかないがあるから飲食業選んだけど、昼は値切ったら余り物ばかりで全然足りない。


スタッフのドアを開けて、ロッカーに行くと着替え始める。

食堂や飲み屋が並ぶこのビルの、4階の一番奥のラウンジ、飲み屋だ。

カーテン引いて、制服のスラックスに履き替える。

バイトで出勤は一番最後、帰りも一番最後。

ラストの掃除と戸締まりを任されている。

帰りが遅いので、電車が無い。

もらった自転車持ってたんだが盗まれた。

最悪だ。おかげで2度レイプされかけて、オーナーに防犯ベル持たされてる。


男が防犯ベルなんて、世も末だ。

ゲイに襲われるなんて寒気がする。

カギを任された時、泊まってもいいとオーナーに許しも貰ったので、たまに泊まってここから午前のバイトに行く。

実際、その方がうんとラクなんだけど、どこで寝ても疲れなんか取れないから、命すり減ってる気がする。


ベスト着て髪を後ろで結び、バーテンダーからもらった度の入ってない眼鏡かける。

自分の顔なんて疲れ切った爺さんみたいなのに、女より目立つなとバーテンに言われて眼鏡もらった。

更衣室出て事務室行くと、60代の女性オーナーが珍しくいた。

いつもグレーのスーツに派手なジャンパー着てる。

髪をピシッとまとめて濃い化粧は戦闘モードなのか、カッコいいおばさんだ。


「お疲れです。」


「待ってたわ、ヤギ。」


タイムカード押してると、イスを指される。

座るとやっぱり仕事の話だ。


「今月いっぱいだったわよね。昼も? 」


「いえ、昼だけにしようと思ってます。昼のオーナーが正で雇ってくれるって言うんで。

俺も身体が限界に近いから、丁度良かったというか。最近、夜中帰るのがちょっと。」


「そう、借金見通し立ったの? 」


「銀行には相談済んでます。

無理して死ぬより多少伸びても返して貰った方がいいと。」


ふうんと、オーナーがタバコをくわえる。

ヤギが灰皿を差し出し、傍らのライターで火をつけた。

火をつける、その顔が男女問わずヤギは好きだ。火に照らされ目を伏せる、何処か影があるその顔が。


「くくっ、ありがと。」


フッと煙を吐き、オーナーがクスクス笑う。

俺の都合で時間外になるのに、割り増しオッケーで雇ってくれた、懐の大きい人だ。


「苦労しただけあるわ、あなた。

ヤギ、うちでフルで働かない? 」


「えっ、えーっと、あー、でも帰りがなー」


言うとまた心配かけるけど、最近あとを追われてる気がする。また襲われそうで怖い。


「あら、帰りがやっぱり怖い?

タクシー乗りたいなら店長にチケット貰って頂戴。」


いやいや、店長にドヤされますよ。バイトがタクシーなんて贅沢ですよ。


「まあ、電車待つか、家まで走りますよ。

ただ、なんか足音が気になるんですよね。」


「あらイヤだ、また追いかけられてるの? 

あなた、自覚無いけど、男も女も惹きつけちゃうのよね。

そうね、昼の仕事がどうしてもいいってんなら、海沿いのフレンチのホール、手伝ってくれない?

あなた、最近の若い奴の中でも働きがいいわ、所作が上品なのよ。

フレンチにピッタリ、手放したくないわ。

昼の仕事いくら出すか聞いて来なさい、私が上を出すわ。」


「ハハッ、随分買ってくれますね。」


「当然よ、私は人を見る目はあるのよ。あなたよりね。

でも、もう少し太りなさい。髪もパサパサ。

向こう断ってきたら支度金あげるわ。

話付けるから指定のエステに行って、少し休んで身体を整えて来て。

あなたならきっと向こうの店、流行らせてくれる。」


「なんだ、売り上げ悪いんじゃないですか。ひでぇ」


「だから、店長手伝ってよ。今評価が散々なの。特にホールのね。

あなたのような花が必要よ。」


「俺が花?? 俺、男なんだけどなー 」


プッと吹き出して、笑い合う。

確かに、僕の人を見る目は最悪だ。

でも、ミツミは元々いい奴だった。あいつも騙されて、僕がそれをかぶっただけだ。

僕は、あいつが好きだった。

だから、少しでも力になりたかったんだ。

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