1夜明けて2日目の夜。馬宮と烏丸は24時前に「夜光町プレイタイム・ファクトリー」に出勤してきた。入り口のシャッターをくぐると中には誰もいないはずなのに、馬宮と烏丸が入るとシャッターが勝手に閉じていく。
「こんばんは〜馬宮。あれからちょっとは眠れた?」
「……ええ一応は。お金も泊まるところもないですし、ベッドは近所の公園のベンチの上でしたけど」
馬宮がそう言うと烏丸は意外そうに片方の眉をはね上げる。
「ええ〜何それ。だったら帰らずにここにいるか、アタシのアパートに来ればよかったじゃん」
「さすがにそれは。だってアルバイト先ですし……。部屋のほうは邪魔でしょう俺がいたら」
「大丈夫だって。明るいうちでもあの小部屋にいるか工場内の掃除さえきちんとしてれば追い出されないから。ほら……ここって何があっても会社が全然責任取る気ないし」
烏丸は今までにやったことがあるのか、後から付け足すように馬宮にそう囁いてきた。そういえば夜間警備のマニュアルには「夜間警備中の不慮の事故や怪我については運営会社はいっさい責任を負わないものとする」というのがあった気がする。
「あ、そうだ。烏丸さんこれ。昨日の夜甘いの飲みたがってたでしょう。公園の近くの自販機で売ってました」
「お〜、サンキュー!ってこれ甘いけどストレートじゃん。ミルクも入ってないし」
烏丸は馬宮が差し出した紅茶飲料のペットボトルに巻かれた赤色のラベルを見てがっかりする。
「紅茶にミルク……入ってないとダメなんですか?」
「うん、ダメ。甘くても飲めない」
烏丸は手にしたペットボトルを見てこの世の終わりだと言わんばかりの顔をしている。
「そうですか。ここの廊下にある自販機には売ってないんですかミルクティーって」
「ある時もあるけど、昨日見たらなかったし……ムリかも」
烏丸はペットボトルを両手で持って見つめ、さらに表情を曇らせていく。馬宮は念のため廊下に出て、小部屋から離れた自販機を確認しにいく。ミルクティーはおろか、ラインナップはジュースやお茶系で紅茶の類たぐいは1本も置いていなかった。
「ね、なかったでしょ?いいよ別に。飲まなきゃ死ぬってわけじゃないし、明日朝帰る時にコンビニ寄るから。さ、仕事始めよ〜」
「はい。あれ……?烏丸さんキーホルダーってここに置いてました?」
馬宮は自分のトートバッグの上に昨日仁礼野からもらった馬と烏の頭をかたどった手作り感のあるキーホルダーが烏丸の分と2つ並んで置かれているのを見つけ、烏丸に尋ねる。
「え?アタシもさっき来たばかりだし、それはないよ」
「じゃあ、一体誰が……」
馬宮はつぶやいてからたった1人、置くことができる人物がいることに気がついた。でも一晩であれは……組み直せるものなのだろうか。
「きっと仁礼野さんなら……できますよね。だって……人間じゃないんでしょう」
「うん。だけど……あれだけ壊されたらさすがに時間かかると思うし、ないかも」
烏丸がそう言って自分の前の監視カメラのモニターをつけると、4番カメラのステージが映った。馬宮のモニターにも同じものが映る。2人が見ているのは4番以外のカメラであのステージが映ることはまずありえない。
「ねえ。馬宮……これってもしかして心霊現象って……やつ?」
「かも……ですね。他のモニターも全部、4番のステージが映ってます」
烏丸が馬宮の指摘に上下と左右のモニターを見るとどれもがステージの上を映し出していた。ステージの中央にあった仁礼野の残骸はきれいに片付いており、いつものようにクマ、オオカミ、ヒツジ、キツネの4体のマスコットキャラクターたちが並んで目を閉じて眠っていた。
「え……なにこれ」
モニターを見ていた烏丸が突然ひきつった声を出す。馬宮がそちらを見ると烏丸の見ている画面が乱れてグリッチノイズが入りだし「今からそちらにいきます」という文章が表示された後に他のモニターも一斉に電源が落ちてブラックアウトした。
「い、今のは……もしかして」
「馬宮……小部屋のドアの鍵、開けてきて」
「仁礼野さんが……帰ってくる。出迎えるよ」
烏丸の有無を言わせない雰囲気に馬宮は頷いて小部屋の入口ドアまで走っていき、ロックを外す。廊下に首だけ出して様子をうかがっていると、しばらくして奥のほうからなにかをゆっくりと引きずるような重たい音がしてきたので小部屋に引っこむ。
「仁礼野さん来てる?」
「来てます来てます、もうすぐこの部屋に……」
馬宮が言いかけた時、小部屋のドアが外から開けられた。部屋の照明が一瞬だけ瞬いて元通りになる。電力削減のために薄暗い室内にやって来た何者かはぎしぎし、ぎいぎいと機械が軋むような音をさせて馬宮と烏丸のほうに近づいてくる。
「……お疲れ様です、仁礼野さん」
「反省会、ご苦労様でした」
烏丸が勢いよく被っていたキャップを取って、深く頭を下げる。馬宮もそれにならった。何者かは近くの椅子に腰を下ろすとふう……と長い息を吐いた。陰になっていて姿ははっきりとは見えないが、体のあちこちから廃材の部品やリボンや綿やらが飛び出して着ている作業着を内側から貫いてしまっているようだった。
『初日から……大変にお見苦しいものをお見せしてしまって……申し訳ありませんでした馬宮さん。どうです、この仕事……続けられそうですか』
「いえ、そんなことないです。大丈夫ですよ」
『そうですか?もしどうしても嫌なら……今夜かぎりで辞めてもらっても構いませんよ』
反省会という名の拷問から戻ってきたばかりの仁礼野は作業着のポケットからぶ厚い茶封筒を取り出すと、馬宮の目の前のデスクにそれを置く。手袋をはめた手で馬宮のほうに封筒を押し出した。
『中に……50万入ってます。ウチに応募した時、お金がなくて困ってらっしゃってたでしょう。それを持ってご実家に帰ってください。パーティールームの彼らのことは烏丸さんと私でこの先も何とかしますから』
「こ、こんなに要りません……!俺まだ1夜しか仕事してないんですよ。こんな大金……いただけません‼」
馬宮が憤慨すると仁礼野は顎に手をあてて少しだけ思案し、別の条件を提示してきた。
『……では今夜を含めてあと4日、最後まで逃げ出さなかったらもう50万追加で差し上げましょう……いかかです?』
「え」
「ほら馬宮、めったにないチャンスだよ。ちゃんと答えないと。アンタはどうしたいの?」
隣にいた烏丸が小さな声で囁く。馬宮は正直なところ悩んでいた。口ではああ言ったが、本当は今すぐに50万だけもらって実家に逃げ帰りたかった。
『……いいんですよ、遠慮しなくても。馬宮さんの本当のお気持ち……いっそのことこの場で吐き出してしまいませんか?』
「お、おれ、俺は……」
「ここで、烏丸さんや仁礼野さんと一緒に……働きたいです……!いや、ここで……働かせてください。お願いします!」
馬宮は今朝がた工場を出る時に自分が口にした言葉を、仁礼野がどこかから聴いていたのではないかと思った。それに生まれて初めて仕事を、実家を出て自分1人だけで頑張っているという達成感があった。
『そのお言葉は……馬宮さんの本心ですか?』
「……はい。間違いありません」
『わかりました。では今夜は……監視カメラは烏丸さんに任せましょう。馬宮さん、私と今からパーティールームまでお付き合いいただけますか』
馬宮は首を縦に振った。仁礼野は小部屋を出て廊下を歩きだす。馬宮は昨夜のように後を追った。