朝の光が差し込むリビング。
美月は静かに立ち、一真をまっすぐに見つめて言い放った。
「一週間経ったわ。もう行く。」
コーヒーを淹れていた一真の手がぴたりと止まる。
「――たしかに、君を自由にすると言った。」
振り返った彼の目は、どこまでも暗かった。
「でも条件がある。選べ、美月。」
「天野蓮のところへ行くか、それとも――俺のそばに残るか。」
美月は鼻で笑った。
「私が選ぶのは、も――」
言い終わる前に、一真が懐からリボルバーを取り出し、自分の心臓に押し当てた!
「選択肢は二つだ。」彼の声は恐ろしく冷静だった。
「残るか、離れるか。」
「この銃には、四発中三発が空砲、残り一発が実弾。君が一文字発するたびに、一発撃つ。」
…つまり、美月が「のこる」と言ったときにしか、彼は生きられない。
もし「はなれる」と言ったら、その瞬間、彼は確実に死ぬ――!
「……あんた、バカなの?」
美月の声が震える。「自分の命で脅すなんて……!」
「脅してなんかないよ。」
一真はうっすらと笑った。
「これは賭けだ。君が、ほんの少しでも俺のことを想ってくれてるかどうかの、な。」
「風間一真……!」
美月は奥歯を噛みしめ、涙をこらえるように声を震わせた。
「これ以上、あんたのこと……憎ませないでよ!」
「憎まれるほうが、忘れられるよりずっとマシだ。」
その目には、狂気と――どこか切ない優しさが混じっていた。
沈黙が満ちる。
長い、長い、呼吸すら苦しいほどの沈黙のあと――
「……は」
「バン!」
一発目、空砲。
一真はまばたきすらしなかった。
「……な。」
「バン!」
二発目、空砲。
額に汗が滲んでいても、彼はまだ笑っていた。
「続けて。」
美月の指先がわずかに震える。けれどその声は冷たく、鋭かった。
「……れ……」
「バン!」
三発目、空砲。
「る……!」
四発目――
「バン!!」
銃声と同時に、真っ赤な血が一真の胸元から吹き出した。
「っ!?」
彼は数歩ふらついたあと、どさりと床に倒れ込む。
それでも、口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「美月……君は……ほんと、冷たいな……」
血で濡れた唇から、吐息のような声が漏れる。
美月はその場を動けなかった。爪が食い込むほど、拳を強く握りしめて。
床に広がる血を見つめ、薄れていく彼の瞳を見つめ、駆け込んできた救急隊に彼が運ばれていくのを、ただ――
一度も、振り返らなかった。
一ヶ月後、南区。
天野蓮が、美月のために盛大な結婚式をあげた。
純白のウエディングドレス。咲き誇る真紅のバラ。集まった人々の祝福の言葉。
「桐谷美月さん、あなたは天野蓮さんを妻とし、貧しくとも富めるときも、生涯をともにすることを誓いますか?」
美月は目の前の優しい男を見つめて、小さく微笑んだ。
「……はい、誓います。」
指輪交換の直前。
天野蓮が低く囁いた。
「……彼、あまりよくないらしい。」
美月の指先がぴくりと震えた。
「銃弾が、心臓からわずか1センチの位置にあったそうだ。助かったのは奇跡……でも、もう二度と目を覚まさないかもしれないって。」
長い沈黙のあと、美月は微笑んだ。
「……その話は、もうやめましょう。」
そして背伸びして、天野蓮の唇に口づけを落とす。
「これからの人生、どうかよろしくお願いします――天野さん。」
天野蓮も、彼女を抱きしめて囁いた。
「こちらこそ――天野さん、よろしくお願いします。」
☆
結婚式が終わった深夜。
美月は、一人でバルコニーに立っていた。
月光が、左手薬指のダイヤの指輪に反射してきらりと輝く。
ふと、思い出す。
いつも無表情で、自分の後ろを無言で歩いていたあのボディーガードのこと。
彼に守られる日々のこと。
雨の夜、黙って背中を貸してくれたぬくもり。
そして――
「美月、俺は命をかけて君を愛する」
そう言って、血の海の中で笑っていた彼の顔を。
その最後の言葉が、今も耳の奥で微かに響いている。
夜風がそっと吹いて、頬の湿りをさらっていく。
美月は静かに、夜空へ向かって呟いた。
「……一真。さようなら。」
「さようなら。」