「ついに、来たか勇者よ」
薄明かりが石畳に淡く滲む、崩れかけた古城の謁見之間。
そこに、魔王エルギアは深紅の玉座に優雅に腰を下ろしていた。
重厚な静寂を切り裂くように、彼女の声が響き渡る。
頭上に聳える二本の剣角は天を貫くように鋭く伸び、赤い双眸は闇の中で爛々と輝く。
黒光りする外套が肩から床へと流れ落ち、その姿はまさに『生きた闇』――威圧的で禍々しく、だがどこか妖艶な雰囲気を漂わせていた。
「どうやら貴様、『世界の希望』と呼ばれておるようだな」
その声は低く、艶やかに響き、聞く者の心を凍りつかせるどころか、妙にドキッとさせる。
魔王の唇が弧を描き、嘲笑とも誘惑とも取れる微笑みを浮かべた。
「クク、『希望』か……我が前に立ちはだかるには、些か頼りない呼び名よ」
言葉が終わるや否や、城内に異変が走る。古びた床が軋み、壁に亀裂が這う。
崩落の前触れか、それとも彼女のオーラの余波か。
空気が重くなり、息苦しさと共に妙な緊張感が漂った。
エルギアは優雅に立ち上がり、漆黒のオーラが彼女の周りで渦を巻く。
背後から低く唸るダークなBGMが流れ出し、スポットライトが彼女を捉えた。
長い外套が風もないのに揺れ、剣角が光を反射するその姿は、まるで闇を纏った歌姫が喝采を浴びるかのように華やかだった。
「闇こそが真の秩序、混沌こそが絶対の美。愚劣なる存在どもが望む平和など……我々には不要なのだ!」
声を張り上げ、右手を高く掲げる。
赤い瞳が鋭く輝き、名乗りが最高潮に達した。
「さぁ、勇者よ!我が前にひれ伏し、永遠の闇を味わうがいい!我はエルギア!厄災を司る暗黒の王な……り……」
BGMのサビが轟き、城全体が震え出す。
床石が跳ね、埃が舞い、緊張感が頂点に達したその瞬間――。
「ちょ、ちょっと待て、BGMとめろッ!揺れが!揺れがヤバい!城崩れるからやめ――」
轟音と共に背後の壁が吹き飛び、石塊が宙を舞う。
「ア、ちょッつ!だから待てと言っとるだろッ!誰だこの演出考えたヤツは!聞いて、な、ぁ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!ただの予行演習なのに!ただの予行演習でドミノ倒しみたいに城が半壊していく!止めろぉお!だれか止めろォォお!」
叫びが虚しく響き、天井の一部が落ちてくる。
彼女は外套を翻して避けつつ、悲鳴を上げた。
――数十分後。
半壊した謁見之間で、エルギアは埃まみれの外套を叩きながら頭を抱えていた。
玉座は傾き、剣角にはひびが。
完璧な計画がこんな形で崩れるとは。
「くそっ、これでは最終決戦で勇者にガッカリされてしまう……」
深いため息をつき、立ち上がる。
まだ時間はある。
修復して、最高の姿を勇者に見せねば。
「次はもっと慎重にだ!皆の者ッ、失敗を恐れるな!小まめに休憩入れつつ持ち場へ戻れ!水分補給も忘れるな!現場責任者、後で話があるから覚悟しとけ!」
『ぅおおおおおおおお!全ては勇者のためにィィィィィイイ!』
「待っているがいい勇者よ!フハハハハハハハハ!」
魔王の笑い声が崩れた城内に響き渡った。
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勇者が『はじまりの国』を出てから早1年。
魔王城にいつ来てもおかしくない時期だ。
「クク、勇者が遠路はるばるやって来るのだ。どうせなら最高の演出で出迎えてやろうではないか」
エルギアはそう意気込んでいたのだが――。
勇者は未だに現れない。
半壊した城の片隅で、彼女は埃っぽい外套を羽織ったまま、頬杖をついてぼんやりと空を見上げていた。
「……遅いなぁ、勇者よ。こっちはもう3回も予行演習して、城が半壊して、そのたびに修復費で我の貯金が減ってくのだぞ?」
ふと、彼女の視線が脇に置かれた小さなメモ帳に落ちる。
そこには殴り書きで『演出案その4:巨大な闇の龍を召喚して登場』と書かれていた。
「これなら勇者もビックリして腰抜かすはず。しかし、龍のレンタル代高いし……どうしたものか。は!そうか!」
エルギアは突然立ち上がり、キラキラした目で部下たちに振り返った。
「皆の者!今から『闇の龍もどき』を紙と布で作るぞ!予算がないから手作りだ!我は裁縫得意だから飾り付けは任せろ!」
『お、おおおおお!?魔王様!?それはちょっ……いや、素晴らしいアイデアです!』
部下たちが困惑しつつも応える中、エルギアはノリノリで裁縫道具を取り出した。
「フフフ、勇者の驚く顔が目に浮かぶようだぞ!」
エルギアは満足そうに頷き、針と糸を手に持つ。
崩れた城内に響くのは、彼女の鼻歌と、部下たちの微妙に引きつった笑い声だった。
「待っておれ勇者よ!我が作った龍もどきに腰抜かしたら、もう立ち直れんくらいカッコいい登場シーン見せてやるからな!フハハハハハ!」
一ヶ月後――――やはり、勇者は未だに現れない。