環境論文について
物語のキーワードの1つである環境論文。きっかけは森田研8期生の時にさかのぼります。その時、大学はちょうど周年記念を迎えていました。そのときの大学主導の企画で環境をテーマにした論文を学生に書いてもらうということをやったのですが、それに食いついた当時の8期生が「イガさん、こんなのがありますが書いてみましょうよ」みたいなことが始まりです。
そこから流れが出来て
8期生 題名のない論文
9期生 名もなき若者たち
10期生 名もなき集団
11期生 名もなきリーダーたち
という論文が並ぶことになります。
環境論文はそれぞれの期の色が出るものとなっていますし、期が進むごとにまた森田研も進んでいますが根本的な言いたいことの部分は同じになります。
そして環境論文とは何なのか?という意味合いに関して言える1つだけ確かなことが有って、それが論文を見ることは「森田研の歴史を見ること」になります。あとから入ってきた人たちに向けて「やってきたことを論文という形で残す」ということになります。
これは卒業論文と全く同じになります。大学の卒業研究は「今から全く新しいことを始めます!」といって研究をやるわけではありません。前年、もしくはそれよりも前に既に研究は始まっていて、私たちがやるのは行ってしまえば続きからです。続きからやるのであれば前を見る必要が有ります。
卒業論文を読めば次に私たちが何を研究すれば良いのかが分かるのと同じことです。
実はこれは会社に入っても同じことが言えます。会社に入った後、やることは継続です。となれば大事なってくるのはその前の歴史になります。
環境論文を読めば私たちが森田研で「どのように振舞えば良いか」かが分かるはずなのですが、私は肝心の「読む」という行為をやるのに時間が掛かったため、長い時間よくわからないまま活動することになりました。
そしてそれ以外の意味合いに関しては「個人」に任せられている部分になっています。
ここから語る「環境論文の意味合い」は私、松下一成の考えになります。
環境論文とは自分自身が持つ思考環境を言語化したものだと私は考えています。思考環境ってなんだよって話になると思いますが、それは自分の頭の中にある考える部屋のような場所です。先にも言いましたが考えることは何かに寄り添う必要が有ります。キーワードになってくるのはこの「寄り添う」ということです。
何かが起きた時、それは自分にとってでもいいですし、社会にとってでもいいです。そういう時、自分の部屋の中に有るものに寄り添って考えを作っていく、考えを深めていくことになります。私にとって森田研究室は思考の部屋みたいになっていて、何かを考える時などは大学生過ごしていたあの場所に、今も考える時に自分が座っている。そんな風なのを頭の中に持っています。
寄り添う物を言語化し、まとめた物が環境論文になりますし、これは同時に「森田研究室」を経験しているからこその「環境論文」になります。だから実は私が書いたこの物語と合わせて読むと「繋がり」が見えてくるようになります。
森田研の共育・塾の役割
教育ではなく共育になります。共に育つということになるのですが、これの実践はシンプルでそれが4年生が3年生に教えるということです。これだけですが教える側はキチンと知らないと教えることが出来ません。
そして教えることの第一歩目としてあるのが本の引継ぎです。
物語でも少し話しましたが本の引継ぎを行うのは本の内容を理解してもらうわけでもなく、ましてや環境論文を書く為でもありません。目的はプレゼン資料の作り方を研究室が始まる前の3年生に教えておくということと、研究室に通うという感覚を付けるためです。
本格的な研究が始まり、先生の前でプレゼン資料を発表するというのは4月に待っています。その時、初めてプレゼン資料を作ることや人前で発表する事。自分がやったことをまとめるということをやると絶対に遅れが出てくるのはもちろんのこと、先生がプレゼン資料の作り方を教えなければなりません。
これは事実、森田研究室に入ってからプレゼン資料の作り方に関しては先生の指導を受けることはありませんでした。あっても少し「表現を変えようか」くらいのものです。実験の予定表も同じです。先んじて森田塾で行われている味噌作りなどのイベントの予定表を作ることで前もって経験していたからになります。
なので、この場合「本の内容を3年生に引き継ぐ」という意識を持つか「プレゼン資料の作り方や森田研の雰囲気を教える」という意識を持つかでは格段に教え方に差が出ることは明白になります。
これ以外にもやったことは多数ありますが、共通して言えることは森田塾でやることは研究室でやることの形を変えて先にやるため、本業である研究の部分においては本当に研究だけを進めることが出来ます。
そのため3年生が先生と行う初めてのゼミにおいてかなり早い段階から研究内容についての説明を受け、そして自分が行う研究の歴史、背景、内容を知ることが出来ます。それと同時期に自分を知るため自分史を書いたり、自分の考えをまとめたり、人前で発表したりということを早い段階からやっていくため、
就職活動において非常に強みになります。
大学の就活は10月に始まりますが、一般的に研究活動は大体次の年の2.3月から動き出すことが多いです。言い換えると2.3月までは「自分が具体的に何の研究をするのか」ということを知らないまま就職活動に臨むことになります。
そして就職面接で必ず聞かれることが「研究は何をするんですか?」ということ。
10月から自分が行う研究を知っていればここに対して答えることが出来ますし、同時に何の研究をしているのか?というのが就活においてとても大切なことだと気が付きます。
色彩について
物語の最後のほうに出てきた色彩という分野。これに関しては当時全く分からなかったですし、就職したあともそれは変わりませんでした。しかし、私にはこれを学びなおすための時間が用意されてしまったのと同時に、色彩の学びなおしを改めてできたからこそこの物語を書くことが出来た。と言っても間違いではありません。
シュタイナーの色彩を出発点に歴史を辿るとニュートン、ゲーテという人物が出てきます。そしてそれぞれについて深堀していくと「色を見るときの視点」というのが違うことが分かります。
で、最も重要な事なのですが〝どれが正しくてどれが間違っている〟という話をしたいわけではなく、何が違ってどうしてそう見るのか?という考え方を知ることが大切なことだということです。
1つの物事を3つの視点から見つめた時、新しい発見があるわけです。
「森田研究室・森田塾」をシュタイナーの色彩の目線を知った私が見つめなおした時に、文章としてこのように書くことが出来たということになります。森田研究室の出来事を「物語」にすることが新しい発見。みたいな感じです。
物語にも出てきますが私は色彩を「森田研究室の色」として研究室、先生、イガさん、院生、11期生の雰囲気を書くことにしました。そこには物質的な色は存在していませんが、確かに色は存在しました。
他の研究室と森田研究室の違い。
自分と他人の違い。
色彩を学んだことによって「物語を書く」から「物語を描く」になり、そこに色彩が存在します。それは読んで頂いた人たちの中に溶け込み、様々な思いや感情がその色に合わせて自分の中から出てきます。
その出てきた物を否定するわけでも、肯定するわけでもなく、ただ「じっと見つめてみる」ということが大切な事なのではないか。と私は思います。
理解と納得
こんな感じの森田研究室で行われたことには意図が存在しました。そしてそれに対して理解をすることが出来たとしても納得するということまで行くには社会に出て働くという経験をして、そこから「自分で気が付く」必要が有るのですが、その時に頭の中に「森田研究室で学んだこと」を常に置いておくというか、重ね合わせることになります。
これは「意識的に出来ることではない」と私は思っていてそれこそ自分の中の作法として形作られていればおのずと「納得」へと近づいていきます。
例えば先生やイガさん、院生は学部生に対し、年下だからと言って「名前を呼び捨て」には絶対にしませんでした。必ず「ちゃん」を付けたり私のように「あだ名」を付けて呼ぶのですが、それを私も自然と会社に入った時に実行していました。
そしてそれを続けていくとやっぱり大きな「気づき」がそこに生まれてきます。
森田研でやったことの意図を理解し納得できるかどうかは結局、その人次第ということになるわけですが、そのためにはどうしても時間が掛かってしまいます。
それが私にとっては「10年」という時間が掛かったということになります。