歴史の闇の中へと消えていった廃村、旧「
18世紀中頃に建てられたものだとする説が一般的なこの祠だが、今の姿に至るまでには数回の再建を挟んでいる。そのほとんどは老朽化に伴う再建だが、うち2件については何者かの手により破壊されたことに伴う再建だと記録が残されている。
そのうちの一つが2022年に発生した「旧穢栖出夷爺頭村跡地祠損壊事件」である。自称動画配信者の
その最たる例となるのが、芭摺の身柄を拘束していた
実際問題、保茂野が検挙されるまでに至った経緯も、彼が日頃から男性同士による性行為を撮影した成人向け映像作品を愛玩していたことが軍魔県警による捜査の過程で判明し、不同意性行があったと思われる遺体の状況と保茂野の性的嗜好が合致したからだという、因果関係や確実性にきわめて疑問符のつく嫌疑からであり、実際、保茂野の逮捕の正当性については当時から議論が紛糾している。かくいう私自身も、保茂野の逮捕については懐疑的な立場を取っている者の一人だ。
そこで私は、この「軍魔刑務所男性受刑者多発変死事件」が、芭摺が損壊させた祠の御神体による祟りなのではないかという仮説を立て、「旧穢栖出夷爺頭村跡地祠損壊事件」とのつながりについて検証してみることとした。
これは、刑事事件に対するアプローチとしては不適当なものかもしれないが、同時に一民俗学者の立場としては決して無視できない視点であるとも言えるだろう。
本論文では、「旧穢栖出夷爺頭村跡地祠損壊事件」と「軍魔刑務所男性受刑者多発変死事件」との関連性の考察を目的とする。
この論文が、故・保茂野雁造氏の名誉回復へと少しでもつながれば幸いである。