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1.旧穢栖出夷爺頭村における過去の祠破壊事例とその顛末について

 旧穢栖出夷爺頭村の祠だが、序文にて示した芭摺による損壊事件の前にも一件だけ、人為的に損壊される事件が起きている。


 それは、1983年8月27日に発生した「穢栖出夷爺頭村祠爆破事件」だ。同事件の概要について軽く説明すると、政教分離を村長選挙時の公約として掲げていた当時の穢栖出夷爺頭村長・江角えすみ信長のぶなが(以下「江角」)が、就任後のパフォーマンスとして、村のシンボルたる祠をダイナマイトで爆破したというものだ。


 しかし、奇しくもこの事件から間もない同年の9月3日。江角が自宅にて遺体で発見されるという事件が発生することとなる。この事件については当時から、まだ村に一定数残っていたされる土地神への強い信仰心を持った村人のうちの誰かが、江角の行なった罰当たりな行為に対して憤りを覚え、殺害するに至ったのではないかとする説が一般的であった。


 しかし、当時の軍魔県警による必死の捜査も実を結ばず、この事件は被疑者不詳の怪死事件として、歴史の闇へと葬られている。それ故か、この事件については、爆破された祠の御神体である土地神の祟りによるものなのではないかと推察する者が一定数存在するのだ。


 さて、いまだ謎に包まれたままのこの事件ではあるが、当時の記録類を読み解いていくと、第一発見者となった村長の秘書を当時務めていたという女性による証言の中に、非常に興味深い内容を発見した。それは、遺体発見当時、江角は臀部を露出した状態で倒れていたというものだ。


 これが、とある事件の特徴と一致するということは、既にお分かりいただけたことかと思う。そう。「軍魔刑務所男性受刑者多発変死事件」だ。どちらも遺体の臀部が露出している点で共通しているが、この特異な共通点は果たして本当にただの偶然として片付けていいものなのであろうか。


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