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2.旧穢栖出夷爺頭村跡地祠の御神体について

 さて、少し話は変わるが、ここで旧穢栖出夷爺頭村の祠の御神体についての再確認をしていきたい。


 この祠については現存する史料がほとんどなく、先行研究にも乏しい現状だが、今回の研究に際して何か使えるものがないかと必死に探し回った結果、軍魔大学の図書館にて何件かの参考文献を見つけることに成功した。


 そのうちの一つが、各地の土着信仰についての研究を専門としている軍魔大学文学部民俗学科教授の樺地かばじ真由美まゆみ氏の著作『各地の土地神信仰について』中において穢栖出夷爺頭村の事例が取り上げられているのだが、そこに興味深い記述を発見した。


「旧穢栖出夷爺頭村における土地神信仰の調査のため跡地の祠を訪れたことがある。祠の管理をしているという女性に話を伺うと、この祠には『ゴンゾウサマ』なる神様が祀られているのだと話してくれた。類似の土地神信仰は全国各地に点在しているが、『ゴンゾウサマ』という名前の御神体名を聞くのはこれが初めてだ」


 上記引用によると、旧穢栖出夷爺頭村跡地祠に祀られている御神体は、その名を「ゴンゾウサマ」というらしい。恥ずかしながら、私も信仰の対象としては初めて聞く名前だ。


 ここで一つの疑問が生じる。そもそもこの祠は、土地神の怒りを鎮めるために建てられたものではなかったのかと。


 この場合、最も単純な仮説として考えられるのは、「ゴンゾウサマ」=土地神だとする説だろう。しかし、生け贄の儀式についての研究を専門としている荏富蘭えふらん大学文学部民俗学科教授・川崎国義くによし氏の著作『日本の人身御供史』には次のような記述が存在する。


「1952年。土地神へと捧げる生け贄用の生娘を選出できなくなった穢栖出夷爺頭村の村民達は、儀式継続のための苦渋の決断として、村で鍛冶屋を営む男性・雀部ささべ権蔵ごんぞう氏を選出した」


 ここでは土地神に対して「ゴンゾウサマ」という呼称は用いられていない。そして、土地神への生け贄として、奇しくも名前の音が同じである雀部権蔵という男性が選出されている。


 私は、この雀部権蔵という男性こそが「ゴンゾウサマ」と何らかの関係を持っているのではないかと考えた。



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