さて、筆者がこの雀部権蔵なる人物についての手がかりとなる情報を探していたところ、『軍魔新聞』(1953年2月14日号)に次のような記事が掲載されているのを発見することができた。
『昨夜未明。軍魔県穢栖出夷爺頭村において、現村長である江角信義氏(90歳)に性的暴行を加え、そのまま死亡させた疑いで、軍魔県警は14日、不同意性行等致死傷罪の容疑で同村在住の雀部権蔵容疑者(52歳)を逮捕したと発表した。警察によりますと、自宅の寝室で臀部を露出した状態で亡くなっている江角さんを発見した家族から警察へと通報があったことにより事件が発覚。同村では前日から雀部容疑者から性的暴行を受けたという男性たちからの通報が相次いでおり、江角さんについても雀部容疑者による犯行の可能性が極めて高いとして、今回逮捕に至ったとのこと』
この記事によると、雀部権蔵氏は、生け贄の儀が行なわれた翌年の1953年に性的暴行事件を起こし、警察に逮捕されているようだ。
ここで気になるのは、被害者にあたる江角信義氏の遺体発見時の様子についてだ。彼もまた臀部を露出した状態で亡くなっており、一連の事件の被害者たちと特徴が一致する。
また、信義氏は「1.旧穢栖出夷爺頭村における過去の祠破壊事例とその顛末について」の章でも紹介した、祠を爆破したのち不審死した江角信長氏の実の父親でもある。奇しくも父子共々臀部を露出した状態で亡くなることとなり、その点についても何かしらの関係性を疑いたくなるところだ。
話を雀部権蔵氏のことに戻すと、逮捕からわずか3日後の『軍魔新聞』(1953年2月18日号)に次のような記事が掲載されている。
『2月17日。軍魔県警は、先日14日に不同意性行等致死傷罪の疑いで軍魔刑務所に身柄を拘束されていた雀部権蔵容疑者(52)が、同刑務所内で亡くなっているのが発見されたと発表した。発表によると、雀部容疑者の死について事件性は確認できず、自殺とみられるとのこと』
逮捕からわずか3日後。雀部権蔵氏が獄中で自殺したという記事だ。この事件そのものに特筆するべき点は特に無いのだが、この日を境にして、とある事件が発生することになる。
『2月28日。軍魔県穢栖出夷爺頭村近くの山中にて、行方不明となっていた同村在住の佐藤弥七さん(48歳)が臀部を露出した状態で亡くなっているのが発見された』(『軍魔新聞』1953年3月1日号)
『3月5日。軍魔県穢栖出夷爺頭村近くの山中にて、行方不明となっていた同村在住の後藤秀次さん(35歳)が臀部を露出した状態で亡くなっているのが発見された』(『軍魔新聞』1953年3月4日号)
『3月13日。軍魔県穢栖出夷爺頭村近くの山中にて、行方不明となっていた同村在住の和田英五郎さん(56歳)が臀部を露出した状態で亡くなっているのが発見された』(『軍魔新聞』1953年3月12日号)
穢栖出夷爺頭村において男性が次々と行方不明となり、後日もれなく臀部を露出した状態の遺体で発見されたという事件群だ。警察の必死の捜査も遺体や現場周辺からは指紋の一つすらも検出されず、手がかりの一つも掴めぬまま怪死事件として迷宮入りしたことから、一部のオカルトマニアたちの間では『穢栖出夷爺頭村神隠し』『雀部の呪い』などと騒がれたことは記憶に新しい。
『3月25日。一連の怪死事件を受け、穢栖出夷爺頭村内の神社で追難特別祈祷が行なわれた』(『軍魔新聞』1953年3月26日号)
どうやら実際に祈祷も行なわれていたようであり、何の因果か怪死事件の発生も一時的に収まったようである。
ここで私は、「ゴンゾウサマ」信仰は、この1953年3月25日の追難特別祈祷からの流れを汲んで生まれたものなのではないかと仮説を立てた。